この土地で過ごしていると不便なことより便宜なことのほうが多かったりする。例にたとえてみると手の感覚はその土地特有の寒さのせいで無くなってしまうが(永住しているわけではないのでいまだに慣れていないから)嗅覚のほうは都会者より利である。 街はずれのベンチで見かけた彼は一人ではあったがその背中はどこか楽しげに揺れていた。 「吹雪君」 「あ、喜多海くんこんにちは」 「こんにちは」 丁寧に挨拶するから今日は士郎君だねなんて声に出したらむくれてしまうから言わないのだけれども。士郎は足をぶらぶらと動かしながら喜多海にあそこと促した。 「敦也がね、あそこのクッキー美味しいって」 士郎が指差す先へ視界を動かすと少し洒落ていて外国の雰囲気が漂っている店があった。多分最近できたばっかりなのかな結構なお客さんが順番待ちしていて士郎がどれだけ苦労して手元に持っているクッキーを買ったのかが伺える。 「じゃあ敦也君も食べたことあるのかな」 「どうだろう、敦也も噂で聞いただけなんだって」 「じゃあ食べるの楽しみだね」 「うん…でもね」 嫌いなものでもはいっていたのかなと慰めの言葉を探そうとするとこっちを向いた士郎と目があった。 「今ひとつ食べてみたんだけれども僕は喜多海くんの作ってくれるやつのほうが好きだなぁ」 これはシナモンの味が濃すぎるからと彼はまんえんの笑みでクッキーを頬張った。今この人はなんといっただろうきょとんとその体制で静止しているとマフラーの先端を掴まれ相手の顔があと数センチという場所まで引っ張られる。そして士郎は歓喜に満ちた表情で言うのだ。 「だからずっと待ってたんだよ」 やっぱり声なんかかけなければよかった。いや、かけなくても目の前の洒落た店のガラスが僕たちを写しているから通り過ぎても呼びとめられてしまうし今していることもばればれなんだなって苦笑いした。 |