05 名前は、五条に送られてから改めてお礼が言いたかったのに、任務の都合なのかなんなのか中々会えずにいる。 電話で良いのかも知れないが、名前は五条と良好な関係を築きたいのだから、なるべく面と向かって会話がしたい。 忙しい五条のこと、電話したところで用件が終わればすぐに切られかねない。 会ってお礼を言えば何かしらに繋がるだろうという期待もある。 そういった理由もあるが、本当に敬語なしでいいのかを確認したかった。 酔った人間をからかっただけなら、素面の名前が軽い口をきいてしまうと五条の気分を害してしまう。 折角縮めた距離が空いてしまってはこれまでの苦労が水の泡だ。 名前は、伊地知と話す機会のあるときに、いつ頃ならば五条は高専に顔を出すだろうかと何気なく確認してみると、今日ならば授業もあるから顔を出すのでは、と言うから慌てて百貨店で五条の口に合いそうなお菓子を買って高専へ向かう。 五条はいないだろうか、ときょろきょろと目を動かしながらも、すれ違う人には何事もなさそうに微笑んで挨拶を返す。 教室やグラウンドなどの授業で使いそうな場所をぐるぐると歩き回って五条を探すが中々会わない。 探していないときはよく会うのに、こういうときに中々会わないものだな、と名前は諦めて家入のいる医務室へと足を運び、丁度よく扉に『休憩中』とプレートが下がっているから遠慮せずに中へ入る。 「硝子ちゃん、お邪魔しまーす。」 「今日は、休みじゃなかった?」 「そうなんだけど、五条さんに送ってもらったお礼がしたくて来たの。」 「悟、って呼ばないの?ビンタされるよ?」 「いやいや、酒の席でのことは真に受けないようにしてんの。会えたときに確認してからにするよ。」 お礼は空振りだったかなぁ、と名前は肩を竦めて見せる。 五条に電話すれば良いのに、だって電話したらお礼言って終っちゃうでしょう面と向かって言うことに意義があるの、と家入の言葉に名前は返しながら五条に渡すお菓子を冷蔵庫へ入れている。 名前が冷蔵庫から振り返れば、今程休憩に入ったらしい家入はただ椅子に座っているだけだったから、家入の為に珈琲を淹れてやろうと豆を挽き始める。 「急いでたし、今日差し入れ持ってきてないの。五条さんのお菓子で頭いっぱいだったから。ごめんね、今度何か買ってくるね。」 「いいよ、気を遣わなくて。気持ちだけ受け取っとく。」 硝子ちゃんとお茶するの大好きだから差し入れ選ぶのもっと時間かけたいんだよね、と名前は次に家入に差し入れするものを頭の中で巡らせる。 あれなんてどうかな硝子ちゃん好きそう、前にスマホで見たものを名前は楽しそうに話すが、欠伸を噛み殺している。 「ちゃんと休めてないんじゃない?」 「ゆっくり寝るつもりだったんだけど、五条さんが高専に来るらしいって聞いたもんだから任務終わってから寝ずに来ちゃった。」 朝方現場から直帰した名前は、伊地知と連絡を取り五条が高専に来ることを知ってから、家でゆっくり休む予定を変更して任務で汗だくの体をシャワーを浴びて清め、化粧をし直し、髪も整えた。 昼まで寝ようと思ったのに、その時間はとっくに過ぎていて、五条とは会えずじまいで眠たさも相まって項垂れる。 「そんなに五条が好き?」 「え?うん、好きだよ。あれ?男女的な意味?だったら全然。」 名前は、眠そうな顔を上げてそう答えながら、挽いた豆をフィルターに流し込み、珈琲メーカーのスタートボタンを押している。 五条に好意を持っているのなら、もっと簡単に五条の性癖や好みの外見を調べてそれに合わせるだろうが、名前にその気はない。 五条の視界には入りたいが、女として見られてたとしてそこに価値はないからだ。 女として一緒にいたとして、別れがあればそこで終わってしまう。 下手をすれば憎み合うことだって男女の間にはあるのだ。 そんなものは要らない。 清潔感のある小綺麗な女性、として良い印象は与えたいが、女として見られたいわけではない。 「今日って五条さんいるんだよね?」 「さっき生徒とグラウンドにいたけど。」 「えー・・・さっき行ったらいなかったよ。ニアミスー・・・よく考えたら授業あるんだから押し掛けるの良くないよなぁ。考えなしに来ちゃったなぁ・・・」 「難しく考えずにいつものスイーツ食べに行く感覚で連絡とればいいじゃん。お礼がしたいからスイーツ食べに行きませんか?ハート、で良いんじゃない?」 「硝子ちゃん天才か・・・?ハートは付けんけど。」 お礼のお菓子、は思いついたが、一緒に何かを食べに行くお礼、を名前は思い付かなかった。 家入の良い案に、はっ、とした顔で名前は家入を真剣に見返すと、当の家入はどうでも良さそうな顔で名前を見返している。 真剣そうな割りに、名前は眠たそうに半目になっていたから、家入はその顔に笑ってしまいそうで、どうにか堪えようとどうでも良さそうな顔になっていた。 「半目になってる。寝たら?休憩中は殆ど誰も来ないからゆっくり寝られるよ。」 「じゃあちょっとだけ。そこのソファ借りるね。」 「ベッドは?」 「お仕事用のベッドで寝るのは気が引けるよ。」 名前は、家入の正面からソファへ移動すると、長いソファなのに寝転がることはせずに座ったまま寝ようとしている。 熟睡して五条さん来ても起きれないといけないから、とどこまでも五条中心な名前に、家入は感心するどころか呆れてしまうが、それが名前らしくもあるから何も言わなかった。 五条がどこを歩いても名前が高専内をうろうろと歩き回った痕跡が目に入った。 何をこうもうろうろと歩き回ったのだろうか。 グラウンドに出れば、そこにまで名前の歩き回った痕跡があって気になってしまう。 生徒に、テキトーにやってて、と声をかけると皆顔をひしゃげて見せたが、五条はそんな表情は慣れっこだったから気にすることはない。 名前が何処にいるのか、残穢を辿ってうろうろと歩いていると、この人何をしているんだろう、とすれ違う人間に奇妙な視線を向けられたが、五条がうろうろしているのではなく、名前が歩き回ったせいであって冤罪だ。 そう言って訂正してやっても良いが、訂正するメリットも特にないから言いはしなかった。 普段五条が通る動線をうろうろと歩き回って行き着いた先は医務室だったから、なんだ硝子に会いに来たのか、僕の動線歩き回っているくせに、と肩を竦める。 『外出中』というプレートを見ると名前はいないように見えるが、いるような気配を感じて中へ入れば定位置には座っていないものの、ソファに座っているが目を閉じている。 寝てる、と状況を理解した五条は、名前が起きないように近寄らず、家入がいつも座っている机の方に目を向ける。 一枚小さなメモを見付けて読めば、五条を探してたから起こしてやって、あと冷蔵庫に入ってるお菓子お礼だって、と家入の走り書きの文字で書いてある。 名前が寝ているところに外出する用事が出来たから家入は慌てて書いたのだろう。 僕に会いに来たのなら寧ろ起こさなきゃ、と五条は起こさないようにと気を遣わなくて良いとわかり、どっかりと名前の隣りに腰を落とすがその振動では彼女は起きないようだ。 ぶに、と五条は名前の鼻を摘まむと、眉間に皺を寄せた彼女は軽く顔を振っているから、起きたかなと手を離すが、少し動いただけで起きない。 五条が片手で名前の両頬を掴んで雑に、ぶにぶに、と揉んでやるがそれでも起きない。 つんつん、と鼻の頭や柔らかな頬をつついても名前は起きない。 マスカラで誇張された睫毛を、ふさふさ、と人差し指で緩く撫でてみても起きない。 何をしても起きなくて、一体何をしたら起きるのだろうか、と腹の底がうずいてしまうが、そうやって遊んでいるうちに、名前は身動いで五条の反対側へ頭を傾け、そのまま体も傾いでしまいそうになるから慌てて名前の頭を五条が自分の方に寄せると、こて、とそれは彼の肩に寄りかかってくる。 ああこのまま転がせとけば衝撃で起きたかな、と五条は思ったが、あまりに名前の頭が自分の肩に収まりがいいから、まあいいか、とそのままにしておく。 グラウンドに戻らなければと思うのに、名前の穏やかな呪力に居心地の良さを感じるせいか、どうにも五条の足は動かない。 もしかして疲れてたのかな、と五条も肩にある名前の頭に、こて、と自分の頭を寄せてみる。 それがまた収まりが良くて、目を閉じてみると、うとうととしそうになるから五条は目を開ける。 名前の呪力は居心地が良い。 ぴったりと隣りに座って触れ合う腕から感じるそれはじわじわと暖かくて、ほっと何かを解してくれるような気がする。 名前の膝の上で力なく置かれている手を取って、指先を撫でてみても起きない。 掌を合わせて指を交互にして握って開いてを繰り返すが起きない。 そうやって起きるかどうかわからない触れ合いを繰り返したのち、指を絡めたまま手を握ると、掌からも名前の呪力が感じられて息をつく。 名前の呪力が特別だ、というわけではない。 きっと探せば名前のように穏やかな呪力を持つ者は他にもいるだろう。 ただそういった呪力を持つからと名前のように、他の誰かを側に置こうと思うかというとそういうわけでもない。 五条が特定の誰かを置けばその相手はきっと勘違いして面倒なことが起こるだろうが、名前にはそんな素振りは一切ない。 名前は、五条に何かを求めてこないから楽なのだ。 ああ可哀想に、名前のこの穏やかな呪力を感じられるのは五条ただ一人で、他の人間は感じ取れないのだ。 自分だけの特権に五条は思わず嬉しくなる。 そう考えている五条の隣りで、名前は困惑していた。 今どういう状況なのか、覚醒したばかりの頭では把握しきれない。 名前は先程、頭が揺れたな、と思っても目を閉じたまま微睡んでいた。 頭に重みを感じて薄っすらと目を開き、隣りが誰なのかを確認すると、膝のシルエットと靴の形、あと小さく漏れる息遣いで五条だとわかる。 指先を撫でられて手を握られると起きるタイミングを逃して、え、この人何してるの五条さんの意味不明な行動よくわからない、と困惑して今に至る。 手を恋人のように握られて、ぴたりと止まってしまった五条に、まさかこの人も寝たのか、と名前は起こすべきか逡巡してゆっくりと遠慮気味に指先を動かして手を解こうとする。 「起きた?」 「おっ、おはようございますっ!」 ひ、と名前は喉の奥を引き攣らせながら五条に挨拶を返す。 五条から握ってきた手を解こうとしただけだが、五条の行動の意味をはかりかねて、狸寝入り紛いのことをしていたから悪戯がバレたような心境になってしまう。 名前はただ寝ていただけで何もしていないというのに。 「いやあ、鼻摘まんでも、頬っぺた揉んでも起きないからさあ。指触って手を握っても起きないし。」 「それ起こす気あります?」 起こすのなら体を揺するとか、と名前は思ったが、一般的な感覚が抜けている五条にそういったことを言っても無駄だろうか、と名前はそれ以上は言わなかった。 今日の目的は御礼なのだから、変に口答えして五条の機嫌を損ねるのも良くはない。 「今日高専に来たのはですね、五条さんに送ってもらったお礼が言いたくて!良かったらお礼も兼ねて何処かスイーツ食べに行きませんか!」 前のめりで名前が五条を誘うと、彼はアイマスクで隠れて殆どわからない表情のまま首を傾げて止まると、冷蔵庫へ向かって歩き出す。 「お礼ってこれじゃないの?」 「はっ、」 硝子のメモにそう書いてあるけど、と五条は言いながら名前が先程冷蔵庫に入れた紙袋を持っている。 ああ誘う口実が、と名前は項垂れる。 家入は名前の買ったものを忘れないように、という親切心で書いているのだから責めるのは御門違いだが、天才か、と思った家入の考えた誘い文句を、考えた本人に蹴散らされた気分だった。 肩を落としている名前の隣りに五条は座り直すと、袋の中身を取り出して箱を開けている。 取り出したマカロンを一つ摘まんで、ガブリ、と遠慮なく食べている五条に、ああそれお高いやつ、と名前は五条と自分の価値観におろおろとしている。 「はい、あーん。」 「あー・・・」 あーんされたぞ、と名前はむぐむぐと口を動かしながら五条の食べかけのマカロンを咀嚼する。 口にマカロンを押し付けられたときに、指が唇に当たって思わずどきまぎとしてしまったから、美味しいはずのマカロンの味が、五条の食べかけということも相まって名前にはさっぱりわからない。 食べかけなんて、と顔を顰めるところだが五条のものとなれば話は別だった。 これは飲み込んで良いのだろうか、と思いながら飲み込まずにいると、何故か五条が名前の目の前で新しいマカロンを構えているから慌てて飲み込む。 五条は、名前の口にマカロンを押し付けるから控えめに齧って口を離したら、今度はその食べかけのマカロンを五条は口に放り込んでいる。 これ何の時間だろう、と名前が考えていると、で何処行くの、と五条は名前に聞いてくる。 「へ?」 「何その間抜けな声。お礼にどっか連れてってくれるんでしょ?」 そう言いながら五条はマカロンをまた遠慮なく口に放り込んでいる。 お礼だと認識しているマカロンを食べているのに、何故そう言うのかわからずにいると、また名前の口に五条はマカロンを押し込んでくる。 むぐぐ、と名前が苦しそうにしていると、五条は可笑しそうに笑っているからどうにも性格が悪い。 これは名前も一緒に食べてるから無効だからね、と五条はそう言うから、名前は頓挫したお誘いが受けてもらえるのが嬉しくて表情を輝かせ、急いで口の中のマカロンを飲み込む。 「良いんですか?!何処に行きましょう?!」 また名前が前のめりで五条に詰め寄ると、五条は不満そうな顔をして、パチン、と全く痛くない力加減で彼の両手が彼女の頬を包むように軽く当てられる。 「敬語。」 「すみませ、」 「敬語。」 「ごめんなさい。」 「え?」 「ごめんっ。」 五条は笑っているのに、何かの圧を感じて、名前は確認するまでもなく、敬語を改めることになった。 本当に良いのだろうか、とふわふわとした気分で名前は、悟、と一つ呼ぶと、なあに、と優しく返されてくすぐったい気持ちになった。 (20211017) ← : → |