03 今日名字さん約束に行けなくなったようで、と慌てた様子の伊地知は、普段五条を恐れている割に、用件だけを話すと現場の処理があるとかで通話を切ってしまった。 名前から五条に直接連絡がないということは、彼女は口がきけないほどの怪我でもしたのだろうか。 五条から名前に連絡を入れても留守電に切り替わってしまった。 伊地知にかけてもあの慌てようでは出られないかもしれない。 名前が真面目な分、待っててくださいね、と言った本人からの連絡がないのは不思議だった。 何かあったのかな、と好奇心に駆られて現場へ来てみれば、現場にいる野次馬の波から離れたところに、伊地知が運転してきただろう車があり、そこに名前は寄りかかって現場をじっと見つめて立っている。 「お姉さん今暇?」 急に隣りにいる五条に名前は、びくりと驚いて体を跳ねさせた。 野次馬は皆現場を観察することに夢中で、急に五条が現れたことなど誰一人気になどしていない。 初めて会ったときのような軽い口調の五条が場にそぐわなくて、名前は眉間に皺を寄せる。 「・・・何でいるんですか、伊地知さんが連絡した筈ですが。」 「名前から直接連絡ないし、電話も出てくれないしで、僕寂しくなって会いに来ちゃったよ。」 「電話出ないのわざとだと思いませんでした?」 「怪我でもしたのかなあ、って。」 一度名前は五条に視線を向けたが、その一度きりであとはずっと無表情に現場を見ている。 「それ無理ありますよね。この一ヶ月、難なく任務こなして五条さんと遊んでた私が怪我してると思います?」 「万が一ってことあるじゃないの。」 「期待に応えられなくて申し訳ないです。埃一つついてないですよ。私強いので。」 それとも弱々しく怖かったって抱き着けば良かったですか、と名前が皮肉っぽく言えば、五条は名前の顔を覗き込んだ。 アイマスク越しに見つめられて、五条の表情が読めず、名前は自分の失言に後悔する。 「いいね!それが素?僕そっちの方が好きだよ。何で猫被ってたの。」 「五条悟に嫌われるの損じゃないですか。」 「今は?」 「今猫被る気分じゃなくて。」 だから電話出なかったのに、と名前がブツブツと怒っている。 一瞬、五条悟の機嫌を損ねた、と過った自分の脳を名前は殴りたい。 五条が名前にそこまでの感情を持てるほどに関係を良好なものにはしていないのだ。 何があったの、と五条が尋ねれば、ただ被害者が出ただけです、と名前は単調に答える。 名前と呪霊の相性が悪かったらしく、呪霊に集中してしまい、たまたま居合わせた一般人に目が向かなかったのだということだった。 「助けられなかったことを嘆いてるの?」 「いえ。たまたま居合わせたのは運が悪かったとは思います。」 「静かだから悔いてるのかと思ったよ。」 「弱きを助けるのは呪術師の行動理念でしょうけど、一般人助けて私が死ぬ方が損失は大きいでしょう。」 名前は、寧ろ私が死なずに呪霊祓ったから被害は最小です、と言うのに、ただじっと現場を眺めている。 現場を納めるのは伊地知の仕事であって名前ではない。 もう現場で何もすることのない名前は帰ったっていいのに、用もないのにそこに留まって成り行きを見守っているのは、悔いていなさそうな素振りを見せて、被害者への贖罪があるのだろう。 「手でも握ってあげようか?」 五条は名前と一緒に現場を眺めながら、そう軽口を言えば、隣りで彼女は鼻で笑っている。 「こういうとき男に慰めてもらうぐらいなら、端から呪術師なんてやってませんよ。」 五条とのこの遣り取りも少し面倒になってしまって、名前は深呼吸する。 被害者を出しても割り切るつもりではいるが、それに慣れることはない。 人としての感覚を保っていたいなら、人が死ぬことに慣れてもいけない。 慰められて気持ちを遣り過ごすなんて、被害者への冒涜のようにも感じられる。 勿論引き摺るつもりはないが、今この瞬間だけでも名前は悼んでいたい。 「名前が呪術師やってる理由って何?家系?」 名前が鼻で笑ったからか五条に話を変えられるが、名前としては五条にはさっさと帰ってもらいたい。 あっけらかんとしている五条の声はどうもこの場には相応しくないのだ。 悼みたいのに気持ちが削がれてしまう。 「きっかけは家系です。続けてる理由は他にあります。それを成し得るまでは死ねません。」 名前の強い口調に、五条は彼女の理由が少し気になるが、どうもその口調の強さは拒絶のようにも感じる。 聞いてくれるな、と牽制されているようだ。 しかし、それを気にする五条ではない。 「で、その理由は?」 「私が死ぬときに五条さんが隣りにいたらそのとき教えてあげます。」 「え?何それプロポーズ?死ぬまで僕に隣りにいて欲しいの?」 何でそう茶化してくるかな、と名前は内心でげんなりとしてしまう。 ポジティブすぎるだろ、と五条の明るさに今は青筋が浮かびそうになる。 名前は完全に五条のペースに巻き込まれてしまっている。 「何でそうなるんですか!私が死ぬときに五条さんが隣りにいるわけないでしょう!死んでも教えない、って意味ですよ!」 「えー、辛辣ー、冷たーい。」 口を尖らせる五条に、名前は、早く帰ってくれないかな、と頭を抱えそうになる。 まあいいや甘いものでも食べに行こう、と五条がさっさと歩いて行ってしまう。 急に興味が失せたらしい。 甘いもの、と言うが名前と行く約束をしていたフェアの時間は終わっている。 日が暮れているこの時間に何処に甘いものを食べに行くのだろうか、いや、女だな、と名前は何となく思ってしまう。 何だったんだ台風一過か、と名前は考えながらスマホを取り出して電話帳から家入を呼び出した。 「硝子ちゃん近々私と一緒に呑んでやってください。」 『改まって何かあった?』 「五条さんに素がバレちゃった。めっちゃ嫌味いっぱい言った。」 『ぶっ!』 家入にしては珍しく電話越しに大笑いを堪えているのが伝わってくる。 それは五条だから仕方ない名前は悪くない、と家入は言うが、視界に入りたいのに印象が悪くなるのは目も当てられない。 結局、上手く行かなかった任務や犠牲者に対する悔いは五条のせいで気分が軽くなってしまった。 人のペース乱しやがってだから嫌だったんだよ会うの、と名前は内心で毒吐きながら現場を見つめる。 そもそも私がちゃんと自分で連絡入れれば良かったのか、とそんな反省をし始めるが、いやもうそんな交流も出来ないかもしれない、と興味の失せたらしい五条の後ろ姿を思い出して項垂れた。 (20210710) ← : → |