ゆめしょ | ナノ 17


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「たっだいまー!!」

 仕事の帰りだとは思えないほど、五条は名前の家に元気良く現れた。この数時間前の五条から、僕も時間作るから一緒にいようね、と名前が言われたのは黄昏の頃だった。もう夜半となり、名前はこの時間ならば五条はこないだろうと油断した。名前は、五条は名前の翌日の休みを聞いたのだから、来るのは翌日だと考えを改めて、夕飯を食べ、風呂へ入り、ソファでダラダラと寝転がって映画を見ていた。しかもパジャマで。およそ誰かを迎え入れる格好ではない。

「いらっしゃい」

 名前は、予想にしない五条の登場に開き直ってその体勢のまま笑顔で迎えるが、彼の表情は名前からは不服そうに見えた。やはりだらしないのは良くなかったか、と名前は起き上がる。するとそれに合わせて、五条は軽く屈んで目の前の彼女の顔を覗き込んだ。

「ただいま」
「??おかえり?」

 ただいま、と再度五条が言うから名前は違う答えを返してやる。その答えに満足して、五条はにっこりと笑いながら、ソファに座る名前を抱き締めて、ただいま、と繰り返した。
 
―何故この腕は私を抱き締めるのか―

 今まで名前は、五条が名前をどう思っているのか、そんなことを考えたこともなかった。名前と五条とでは多くのものが違うから、同じラインで考えるとこはなかった。彼女は、五条が自分に特別な感情を持っているなんて考えもしなかった。体を合わせるのは、ただそこに男女が揃ったからというだけだと思っていた。そこに多少何か感情があったとして、名前が死んだときに五条の頭の端に何かが過るぐらいの、そんな程度であれば名前は満足だ。名前はそれ以上を望まない。
 五条は、名前のそんな心中も知らずに、彼女を抱き締める腕を緩めると、両掌で彼女の頬をぐにと挟んで上を向かせて、可愛らしく一つ唇を押し付けてやる。突然のそれに、名前は目と唇にぎゅうと力を入れる。

「んむ・・・」
「あはは、色気なぁい、可愛い」

 五条は、ただ触れ合うだけのキス一つに、満足そうに笑っている。五条に挟まれた名前の頬は押し潰されていて、名前の顔は"可愛い"というものから程遠い。そんなことは名前もわかっているのに、五条から優しく笑いかけながらそう言われると、名前の胸がむず痒くなってくる。

「悟、ご飯は?簡単なもので良かったらお茶漬けでも食べる?」
「食べてきたけど名前のお茶漬け食べたい!」

 先にシャワー浴びてくる!と五条は風のようにリビングから去っていった。名前はむず痒い胸を抑えようと話題を振っただけだが、五条が瞳を爛々と輝かせて名前の作るものを食べたいと言うものだから、彼女のむずむずとしたものが収まらない。
 五条は、自分の家のように浴室へ向かっていった。もうずっと前から名前の部屋には五条の私物がこれでもかと置いてある。彼の衣服は勿論、好きな飲料や歯ブラシも。シャンプーは借りるのではなく彼用のものがボトルで置いてあり、順調に量を減らしていっている。
 五条は、もはやここで暮らしているかのように、ただいま、と当たり前に言うのだ。名前は先程なんとなく「おかえり」と言ってしまったが、その「ただいま」を受け入れるべきではない。五条が例えば本当に、名前に何かを思っているのなら、彼女の内側へ迎え入れてしまえば、勘違いさせることになってしまう。

「シャワー終わった!」
「っわ!ちょっと待ってね!」
 
 名前は、五条の烏の行水に合わせてお茶漬けの用意をしていたはずが、考え事をしていたら鈍い動きで用意をしてしまった。名前の真後ろから、いいよー、と間延びした五条の声が聞こえて、彼女は驚いて顔だけ振り返った。

「近い、あと暑い」
「それはシャワー浴びたばっかだし?ただのお茶漬けになに時間かけてんのか気になってさぁ」

 五条は、名前の背後から彼女の手元を覗き込んだ。名前は、すでに魚の身がほぐし、小ネギを刻み、今から大葉を刻もうとしていた。

「え?え?漬物だけとか簡単なヤツかと思ったらちゃんと準備してくれてんの??」

 五条は、手を伸ばして隣のコンロの鍋の蓋を開ける。ふんわりと湯気の上がった鍋からは出汁の良い匂いが香ってくる。

「ちゃんと出汁じゃん。名前のこういうとこ大好きぃ」

 名前の後ろに立っていただけだった五条は、彼女をそのままの体勢で抱き締めると、頭の天辺に一つおどけて優しくキスを落とす。そのキスや"大好き"の言葉に、名前の胸がまたむずむずとして、今度は頬まで熱を帯びてくる。どうしてこんなに急に五条の一挙手一投足を意識しているのか名前は自分のことなのにわからない。不意に後ろから伸びてきた五条の手が名前の顎に添えられてぐいと彼女を上に向かせる。

「なんか耳赤いけど、顔も赤くない?どうしたの?」

 ふ、と余裕のある笑みを浮かべる五条と上を向かされた名前の目が合う。悟ってこんなに綺麗な顔だったっけ、と名前は思わずぼうと魅入ってしまう。

「名前?」
「あ、いや、出汁の火、かけてたから暑いだけ」
「ふぅん」

 五条は、名前の頬の赤さから、そろそろ自分を意識しているのではないか、と思ったのだが、彼女はなんでもなさそうにしている。期待を裏切られた彼は、彼女の顎に添えていた指で今度はつまらなさそうに彼女の頬をつついた。

「ほら、あとよそうだけだから座ってて」
「はぁい」

 五条が拗ねたような声色で名前に返すと、彼は大人しくダイニングテーブルに座った。名前は用意をすますと、お茶漬けと漬物とお茶を乗せたお盆を五条の前に置いて再びソファに座る。さきほど五条がきて中断した映画を再び再生させた。
 いつもなら名前は五条と一緒に座って、食べているところを見ていたりと、何かしら会話を楽しむのだが、今はそんな気にはならなかった。いつもは何も気にせずにしていた行動がもしかして五条の気をひいていたのではないかと気になってしまう。いつもの名前の行動が、五条にべったりとくっついているように感じられて、彼女はいつもと違う行動をとってしまう。下手に五条のことを気にしないようにしようとすればするほど、余計に意識してしまっていることを彼女は上手く処理できなかった。
 急に名前の目の前のローテーブルに、ゴト、とさきほど五条に渡したばかりのお盆がそのまま乗せられた。
 名前は、五条のことを考えながらぼんやりとテレビに意識を向けていたから、急なその音と、どっかりと隣に座った五条に彼女の肩が跳ねる。五条の少々乱暴なお盆の置き方と、大仰な座り方に不機嫌さを感じて、名前はそちらを見ると、彼はムと唇を歪めている。

「え?どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。同じ空間にいるのに別々にいる方が不自然じゃん」

 何見てんの?と五条は、名前に話しかけながら、お茶漬けの木の器とスプーンを持って行儀良く夜食を食べている。この190を越える大男が行儀良くしている様がどうにも名前には可愛く見えて、彼女の口元が思わず緩む。
 名前は、外から焦がれていた頃には『五条悟』がこんなに可愛らしい男だとは知らなかった。彼は、神秘的な外見とは裏腹に、俗物的なものが好きだった。チェーン店のハンバーガーだとか、話題の人気のクレープだとかゲームセンターの対戦ゲームだとか。その辺にいる普通の人間と何ら変わらないものを好んだ。特に甘いものが好きらしく、甘ったるいスイーツには更に生クリームを追加していた。ただ外から眺めていたときには知らなかった人間らしい一面が、名前には可愛くてしかたなかった。

―五条も人間だし男だし、名前と同じで感情があるんだよ―

 名前は、急に家入にいつか言われた言葉を思い出した。その当時、名前は何も考えずに『わかっている』と答えたが、本当にわかっていたのだろうかと改めて考える。食べ終わった五条は、いつの間にか名前の肩に腕を伸ばして、彼女の耳やら頬をふにふにと玩んでいる。なぜだかその触れ方が名前には優しく感じて体を固くしてしまう。
 名前だって、五条に感情があることを、頭ではわかっている。ただ、それが彼女に向けられるだなんて思考には至らなかった。今までは。

「名前?おーい」
「へ?」
「映画終わったよ」
「あれ?」
「ちゃんと見てた?」

 五条は、名前の前に隣から身を乗り出して彼女の目の前で手を振っている。名前の様子に、きょとんとした顔で見ていた五条は、ニタと意地悪く笑ってみせた。

「もしかして僕のこと考えてて映画見てなかった?」
「え?」
「ん?」

 五条の言ったことは図星だった。名前は、ずっと五条のことを考えていた。医務室の出来事からずっと。この五条のあてずっぽうに、図星をつかれた名前の頬が急に赤くなる。それは名前が意識したことではない。無意識に体温が上がってしまい、頬や首がじわりと赤く染まっていく。
 えホントに僕のこと考えてたの、と五条の口角が上がって名前に詰め寄ろうとするが、それよりも速く名前は立ち上がった。

「私片付けするから!ほら!悟は歯磨きしてきて!寝よ!」
「急にお母さんみたいなこと言うじゃん」

 ケラケラケラ。五条が笑う。名前は、誤魔化したことがばれているような気がして、落ち着かない。あまり考えないようにして五条が食べた後の食器を片付け、さっさとベッドへ入った。名前が言った通り歯磨きをしたらしい五条は、名前がベッドへ入った少し後にそこへ潜り込んだ。五条に背を向ける形で彼女はベッドへ入っている。
 夕方『続き』をあえて口にした五条としては、名前と如何わしいことをするつもりでいた。ただ、五条にはどうにも彼女の背中が彼を拒絶しているようにも見えて、下手に彼女へちょっかいを出すのはやめておいた。なんだかぼんやりした様子の名前の可愛らしいところも今日は見られたから、それだけでも満足していた。五条は、さきほどソファで名前の肌がじわじわと赤く染まっていく肌を思い出していた。五条を意識していたと暗に語っているように見えたそれに満足して、彼は背中を向ける名前の腰をきゅうと抱き締めて瞳を閉じた。

「え?」
「んえ?」

 名前の声に五条は、彼女の素頓狂な声で緩く瞳を開ける。名前に寝るよう促された五条は、寝るつもりでいたから動作が遅かった。
 軽く五条を振り向いている名前は、吃驚した顔をしている。それもそのはずだった。彼女は、夕方に五条が言った『続き』があると思っていた。それがないのなら、この家に来る意味すらないと思っていた。そうでなければいけないとすら思っていた。彼が単純に体を求めているのなら。

「しないの?」

 なにを、だなんて無粋な話だ。五条は、名前が何を意図しているのか寝入る間際でも瞬時に理解した。元々夕方五条が仕掛けたことだったが、彼女から誘われたように感じてしまう。一度頓挫したはずだったのに、彼女から誘うのだから五条が乗らないはずもない。
 五条は、掛け布団を弾くと名前の上に馬乗りになった。彼女から誘ってきたようなものだったのに、五条の下で驚いて身を固くしている様を見るのは、彼には面白く見えた。まるでそんなことになるとは思ってもいなかった少女のようだ。

「えー!名前ったらソノ気だったの?寝るって言ってたから今日はシたくないのかと思った!」

 五条は、名前の上で着ていたスエットの上を脱いだ。それを乱雑にベッドの脇へ放っている。名前はその光景をぼんやりと見ていた。彼女は、五条の爛々とした瞳を見つめて、そうかやっぱりシないわけないよね、と納得していた。そもそも五条がこの家に来るのはそれが目的なのだ、と名前は改めて考えた。そうでなければ彼が頻繁にくる理由はないと。

―悟が私を好きだとかそんなことがあるわけない―

 名前は、上半身を五条に剥かれながら安心する。名前は五条に愛されたいわけではない。名前が死んだときに、惜しい呪術師を失くした、とそう思ってくれるだけでいい。名前は、五条が自分なんかを本気で相手するわけはないと思うことが、五条の気持ちを蔑ろにしているだなんて思いもしなかった。『五条悟が本気なわけがない』と名前の目の前で、五条が瞳を爛々とさせて楽しそうにしていたとしても。

(20230902)





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