15 名前は、目蓋越しに眩しい光を感じてうっすらと目を開ける。眩しいと思ったが、実際にはまだ薄暗い。どうも深夜に帰ってベッドに入ったからか、睡眠の足りていない彼女の感覚が鈍っている。 今日の仕事は何時からだったか、と名前は気怠げにベッドの真ん中でもそもそと体を動かしながらベッドサイドのスマホを手に取った。またど真ん中に寝直すと、肩まで掛け布団を被って、一人寝転がりながらスケジュールアプリを開く。 今日も内勤明日も内勤、と名前はつまらない気持ちになりながらそれを確認していく。術師なのに何故内勤でいなければならないのか。 名前は、自分の立場を重々理解している。匿われているのだから自分から高専外へ任務に出たい、と言うのは我儘かもしれないが、自分の能力を全く使わないなんてあまりにも宝の持ち腐れだ。そろそろ勘が鈍ってくるかもしれない。名前は自分なりに訓練はしているが、実践とそれはまるで別物だ。 名前は、顰めっ面でスマホを見ながら、五条にこの勤務体制を多少変えてもらうことも考えてみる。忙しい彼にそんなことをお願いしてももいいのか悩んでしまうが、前に何度か夜蛾に相談したときに歯切れの悪い返事をされて終わってしまった。五条から言ってもらえれば少しは変わりそうな気がしたから言ってみるのも手かもしれない。 そもそも名前は襲われても怪我などしていないのだからここまで過度に匿われる理由はない。今までも高専の周辺で日用品の買い物をしても何も起きなかった。まあ高専のお膝元ともいえるその周辺で襲われることなど有り得はしないだろうが。そうなんとも不毛なことを考えて、名前は項垂れる。何をどれだけ考えたところで、彼女は勤務体制に対する希望は言えても、口出しなど出来る立場にはいない。一級とはいえまだまだ東京高専では新参者にすぎず、意見するには立場が弱い。 それまでの考えを吹き飛ばすように、名前は頭を振ってのっそりと起き上がる。まだ起きるには早いが、考え込んで頭が冴えてしまったから起きることにする。 名前が一階へ降りると、物音がしたような気がすた。しかし、何の気配も感じない。まあ家鳴りでもしたんだろう、とさして気にも留めずに洗面所へ行き、これからの予定を考えながら身支度を整える。今日の名前は昼からの出勤だ。今から御飯食べて、軽く掃除でもしてから出ようか、やっぱりもうちょっと寝ようかな、着替えは後でいいや、と名前はそう考えながらリビングに入る。 きょとんと名前は驚いて固まった。入った途端に、いるはずのない五条と目が合ったからだ。彼は、にっこりと綺麗に笑っている。 「おはよう」 「おは、おはよう??」 どうして五条がここにいるのか。挨拶をしたものの、名前は記憶を辿って考え込んでしまう。確か名前が起きたときには隣で五条が寝ていた気配はなかった。それに名前が夜中にベッドへ入ったときにも五条はいなかった。いくらベッドが広くても、名前が伸び伸びと中央で寝ていたら、五条の寝るスペースはない。一体こんな朝早くに他人の家へ何の用があるのか。 リビングへ入って五条と目が合ったことだけ認識できた名前は、状況をよくよく確認する為に五条の側へ寄っていく。先程名前が家鳴りかと思っていたのは、五条がキッチンに立って何やらしていた音で、その何やらは朝御飯を作っていた音だった。 朝御飯!五条悟が朝御飯を作っている!!と名前は口を半開きにして驚いている。確か彼は前に料理が出来るような発言をしていたから作れることに驚きはしないが、あまりにも美味しそうで名前は声が出ない。食卓テーブルに並んでいる綺麗な焼き色のついた焼き魚に、全面綺麗な黄色の卵焼きは、焦げ目など一切ついていない。まだコンロに置いてある鍋の中にある味噌汁の良い匂いは、リビングに入ってからずっと名前の鼻腔を擽っている。この匂いならば出汁の取り方だって完璧に違いなかった。 ピーッ、と炊けたことを自己主張する炊飯器を名前が開ければ、そこには一粒一粒がふっくらツヤツヤの白米で埋め尽くされている。五条がここで料理をしているのだから、名前と同じ食材を使っているはずだ。この同じ米を使って名前はいつも米を炊くわけだが、五条のようにふっくらツヤツヤにならない。どうやったらそう作れるの?!と、名前が一瞬意識を飛ばしていると、ついでに御飯よそってね、と五条からしゃもじを渡された。言われた通りに名前は御飯をよそい、五条も味噌汁をよそっている。二人して椅子に腰かけ、綺麗に手を合わせている五条に、名前は、相変わらず育ちはいいなあ、とぼんやり思った。 「美味しい」 名前は、目の前の朝食を一口ずつ食べてそう呟いた。『五条悟は性格以外は完璧』だと皆が口にする。それを名前も否定しない。彼女がいくら五条を崇拝していたとして盲目ではない。ただ、何かしら不得意はあるのだろうと彼女は思っていた。このシンプルな料理すらも美味しく作る男に一体どんな死角があるのだろうか。 これ冷蔵庫に入ってたヤツだよね?私同じ食材使ってるはずなのに何でこんなに違うの?と、五条と自分の作る料理の違いに名前が思考をぐるぐるとさせている。いやそれよりもだ、名前は今、アノ、五条悟が作った料理を食べている。五条悟の手料理を食べるなんてそうない。この美味しい料理がすぐ失くなるのは勿体無くて、彼女はちまちまと口に運ぶ。そうやって彼女が大事そうに食べている間に、五条は御飯をおかわりしている。 「さっき、美味しい、て聞こえた気がするけど、全然進んでなくない?」 「美味しいよ、ただ、私、五条悟の作った御飯食べてるんだな、て思うと手が震える・・・!」 「はぁ?そんなこと言ったら硝子なんて何回も食べてるから痙攣しちゃうよ」 え、硝子ちゃんいつそんなに食べたんだろ、学生の時かな、硝子ちゃんいいな!と名前は羨ましく思いながら目の前の料理を小さく口に運んでいく。 「あのさ、また作るから普通に食べたら?」 「本当に?!また五条悟の御飯が食べられる・・・!」 名前がキラキラした顔で五条の言葉に喜んでいる。名前としては五条の料理が美味しかろうが不味かろうが、『五条悟』が作った、ということがプラチナ並みである。 「『五条悟』ねぇ・・・」 五条が何かを言った気がして、名前は彼を見つめるが、彼はただ笑い返すだけだった。何か聞こえたような気がしただけで気のせいか、と名前はまた料理を一口頬張る。その一口を咀嚼して飲み込んだ後、朝起き抜けに考えていた言うつもりもなかった希望を名前は口にすることにした。朝の穏やかな空気が口を緩ませたようだ。 「そういえば、悟に相談なんだけど、」 「うん?何?」 「私そろそろ外の任務に出たいんだけど、どうかな?」 「えー?大丈夫かなー?」 「もう!そんなに私弱くないでしょ?」 「そうじゃなくて名前って田舎の純粋培養気質だからさぁ。足元掬われても気付かないタイプっていうの?」 「ねぇ・・・そのたまの田舎者扱いやめてくれない?馬鹿にしてるの・・・?」 「え?心配してるのに?」 五条は、名前が何故怒っているのかわかりません、というきょとんとした顔で首を傾げている。この都会育ちの正真正銘のお坊ちゃんに「田舎育ちを引き合いに出すのは悪口とも捉えかねられない」と名前はとくとくと説明してやりたい。あと名前は地方出身であって田舎ではない。しかし、恐らく彼は「田舎育ちなのは本当のことなのに、どうして言っちゃいけないの?」と言うタイプだ。自分がトップに立っていると、下々のことが理解できない。どうして田舎育ちがコンプレックスになるのか、ということを理解しない。いや五条ならわかっていてそういう態度なのでは、と名前は考えるが、彼がからかうつもりで言っているのか、本気で疑問に思っているのかがわかない。もう彼の何が本音なのかわからない名前には、五条の言葉をスルーしなければ話が進まない。 「心配してくれるのは有難いけど、ずっとこのままだと、実践の腕が鈍っちゃうよ。いざってときにヘマするかもしれないでしょ?」 「まあ・・・それもそうだけど」 五条が何故そんなに渋るのかわからず、名前は不思議に思う。五条は名前が上京したときに、彼女の実力を目の前で見ている。見ているのならば、彼女がこちらへ来てから一度も怪我をしていないことは知っているはずだ。たまたま今まで倒した呪霊が弱かった、なんてことはない。名前の階級に合わせた任務が与えられるのだから、呪霊が弱かったわけではない。 「わかったよ。学長と相談してみる」 「やったー!ありがとう!」 「ただし、任務に出られても様子を見ながらだからね」 名前と五条は、続けて週に任務をどのぐらいの頻度で入れるのかと相談していく。話ながらキッチンでお湯を沸かしたりしている五条の背中を見ながら、名前が御飯を食べ終わると、五条は皿を下げて、淹れたお茶を彼女に出してくる。 なんと!お茶を淹れるのも完璧なんですね!と香り立つお茶を名前は幸せそうにすする。本当に性格以外完璧なのかぁ、と名前がしみじみ思っていると、五条はにこにことしながら名前を眺めている。 こんな風に五条がただ名前を眺めてくることは度々あって、彼女はこれに慣れてしまった。あまりにも落ち着かなくてやめさせようと思ったこともあったが、どうして見てるの?と問えば、どうして見ちゃいけないの?と返ってきてしまう。五条との押し問答には近頃慣れてきたが、名前は五条を言い負かすほどの話術を持ってはいない。今日も見てくるが、いつものことだと彼女は気にも止めていなかった。 「終わった?」 名前が最後の一口を飲み込んだところで、五条は待っていたと言わんばかりに口を開いた。名前は、飲んでいた湯呑みでも片付けたかったのだろうか、と立ち上がった五条を見ながらぼんやりと彼の行動を予測する。五条のこの後の予定を名前は知らないが、彼女は腹がいっぱいになって眠たくなってきてしまう。眠り足りないと思っていたのだ、よし寝よう、なんて名前が考えているうちにベッドの上に転がっていた。 「あれ?!んぐっ」 転がったと認識した途端に、ぬっと名前の上に跨がってきた五条に、名前はかぷりと唇を噛まれた。何で噛むの?!と噛まれたことに名前が驚いて抵抗もままならないうちに、五条は舌を入れて口内を弄んでやる。どうして急にベッドの上なのか理解の追い付かなかった名前は、これが五条の仕業だと理解する頃には、もう五条のいいように舌を弄ばれていた。 「ちょ、ちょ、んん、あ、朝なんですけど?!んむ」 「んー?朝が何?ん、こらこら逃げないの」 五条は名前の頬を両手で包むと名前がソノ気になるように厭らしくキスをしてやる。 早朝に仕事を終えた五条は、名前の顔だけ見ようかと寄って、名前の寝顔を暫く眺めてから、何となく一緒に朝御飯でも食べようかと思い付いた。単純にゆっくり一緒に朝を過ごそうと思っていたのだが、名前が起き抜けの気の抜けた格好で、五条が置いていったダボダボのTシャツを着て、それに隠れたキュロットからは惜しげなく生足が曝け出されている。この無防備な姿に欲情しないのは無理がある。 「もぅ、ちょっ、と、あっ、」 キスをしている合間に名前は、反抗的な声を上げるが、それは甘ったるいものに変わってきている。五条が彼女の太股を撫でながらキュロットの中に手を入れてショーツに指をかけると、必死に名前は五条の手首を掴んで止めようとするがその力は弱い。もうちょっと、と五条が名前をソノ気にさせようとあれやこれやとしているうちに、ふと悪戯心が芽生えてくる。 ぐるりと名前と五条の位置を反転させると、彼は彼女を自分の腰に乗せて厭らしくその頬を撫でてやる。 「ねぇ、任務に出たいなら僕に媚びてよ」 この言葉に名前はどんな反応を示すだろうか。狼狽えるか、嫌悪するか、憐れむか、笑い飛ばすか。五条は彼女の反応にわくわくと胸を躍らせる。 「私、昨日深夜に帰ってきて、起きたのも早かったんだけど」 「僕だって仕事で朝帰りだよ」 「え〜?じゃあ今から普通に寝ようよ〜?」 名前は口を尖らせると、ぽすんと五条の胸に顔を埋めて寝始めてしまう。せっかく五条は彼女の反応にわくわくしていたのに、彼女は五条の脅しなんて気にも止めずに寝息を立てはじめた。なんてこった、五条はもうソノ気なのだから寝られては困ってしまう。任務に出たくて気乗りしないけど無理にでもセックスをする、というシチュエーションは中々そそるものがあるのに。彼女のTシャツの中に手を入れて五条がフニフニとその柔かな胸を弄くってやると、彼女は体を震わせて飛び起きる。 「ちょっと!!」 「いいの?学長に言わないよ?」 「それ本気じゃないよね。全然脅してる口調に聞こえないんだけど」 「え〜?どうかなあ〜?どうしようかな〜?」 五条の声が完全におどけていて、名前には全く脅しのように聞こえない。この脅迫のようなものの真意は五条の顔に書いてある。それは、名前から媚びられるエッチがしてみたい!というものであり、名前は全く危機感を感じない。脅迫よりも厭らしさの方が勝っている。どうして仕事で朝帰りだったはずの五条がこんなに元気なのか、体力の差か、と名前は深夜帰りで多少寝た筈の自分の方が眠たいことがおかしいように感じてしまう程だった。 五条から脅迫の気配は感じられないが、シなければ解放してもらえなさそうな雰囲気を彼は出している。まあ小一時間でも相手をすればいいか、と名前は五条の服に手を掛ける。 「私眠いから途中寝たらごめんね」 「何言ってんの、名前が頑張らないと終わんないんだから寝かさないよ?頑張って媚びてね」 何それ怖〜い、とおどけながら返す名前は、五条の言葉を気にした風もなく、彼の服をたくしあげて肌を撫でている。 名前がそうと感じていないだけで、五条が言っていることは全て本気だった。名前が知らないだけで、一度外の任務へ出る予定だったのに、彼女を内勤にし続けているのは五条だ。相談された通りに名前を自由に外へ出してしまえば、また地元へ帰ると言いかねない。せっかく朝御飯を作っても、『五条悟』が作ったからと彼女が有り難がるのだから五条は面白くない。そろそろ『五条悟』じゃなくて『僕』を見てよ、と五条はそんな気持ちを込めて、腹を撫でる名前の手を取って掌に優しくキスをする。物欲しそうに彼女を見つめながら。 「ねぇ、私に媚びて欲しいんじゃなかったの?」 「うん、待てないから早く。」 見た誰もがうっとりするような綺麗な笑みを浮かべて五条は名前には媚びる。それに名前も漏れずに見惚れて、吸い寄せられるように彼女の掌にキスし続けている五条の頬にキスを落とした。五条が名前の頬を撫でると、彼女ははにかみながらその掌に頬を寄せている。 名前の反応はどう見ても五条を愛しそうに見ているものだが、それは彼が『五条悟』だからだ。それは恋や愛ではない。ではどうやって彼女にそれを恋や愛だと勘違いさせようか、と最も難しい問題に五条は暫く頭を悩ませた。 (20221010) ← : → |