04 名前は、会社からの帰宅途中に見上げた、星の瞬かない真っ暗な闇夜と、そこに浮かぶ白い月を見て、ふと五条と夏油を思い出した。ただ、思い出したことといえば、常備菜が今日で多分なくなる、という彼らの冷蔵庫事情だ。美麗な青年二人を思い浮かべて冷蔵庫の中身を関連づけるなど全く色気がない。名前は、幼馴染みの五条にひっそりと思いを寄せているというのに。名前がひっそりとしてしまうのは、一生五条と一緒にいるなら幼馴染みでいなければならないと思い込んでいるからだ。 名前が土日に家事代行をするのは、五条に少しでも会いたいからという下心があるからで、この家事代行を続けるためにもしっかり仕事をこなさなければならない。その中でも一週間分の作り置きを用意することは最も重要な作業だ。数年前に作り始めた頃、名前はどれぐらいの量を作ればいいのかわからず、考えて作った量を一週間もせずに食べきられ、よく五条からウザ絡みをされていた。それが何度か続くと、足りないからと五条が名前の部屋へ突然現れ、『突撃幼馴染みの晩御飯』とアホなパネルまで用意して待ち構えていることがあった。 随分前のことなのに、名前の中の五条に関する記憶はいつも鮮明で、それもつい最近あったことのように感じる。当時既に忙しかったはずの五条がたびたび訪れるから、もしや暇なのか、と名前が思ったほどの頻度だった。ところであのパネルはどこへいったのだろうか、もう廃棄されただろうか、と名前はつまらない帰り道に、最近はもう見なくなった懐かしいパネルを思い出していた。 そんなこともあった名前だが、今では二人の一週間分の消費量を計算できるようになるまでに成長した。それと、夏油が祓本と個々のスケジュールをまめに送ってくれるようになったおかげで格段に計算しやすくなっている。今も送ってくれている夏油のそのまめさに、この心配りはかなりモテるだろう、と名前は勝手に感心している。まあ今日の分足りなくても二人とも出前でも何でも頼むでしょ、お弁当とか出るかもだし、と名前は考えながら最寄り駅へ向かう。 そんなことを考えていたから反応が遅れてしまったが、ゆるゆるゆる、と徐行した車が名前の横に急に停まる。どうにも怪しすぎるその黒いバンに、彼女は思わず早歩きをしようと思ったが見覚えのある車だと気付く。恐らく危険な車ではないだろうと名前は思いつつ、鞄の中の防犯ブザーを探すがどれだけ漁っても出てこない。 名前がそうもたもたしている間にバンが開き、そこから延びてきた掌に名前は口元を押さえられ、腹にも腕を回されて簡単に引きずり込まれてしまう。そんなことをされているのに、名前は全くの無抵抗だった。 「はい確保。伊地知車出して」 「・・・んむぅ」 名前は、車を見て十中八九幼馴染みの五条だろうと予想していたが、耳元でした声にやはりそうだと確信を持つ。そろそろと顔を上げて視線を向けると、五条も視線を合わせるために彼女の後ろから顔を覗き込む。 わあ久々の悟だ、と名前は嬉しさに瞬きをするばかりで言葉が出ない。先週の土日、五条は着替えを取りに帰ってきただけだった。一つ二つ言葉を交わしただけだったから名前は物足りない気分になっていた。ただの幼馴染みでいいからそばにいたいと名前は割り切っているのに、どうしても欲張って一緒に過ごす時間を望んでしまう。 五条は、名前と目が合っているにもかかわらず、彼女のあまりの反応のなさに、反応があるまで待とうとするが、1分ほど見つめあっても彼女の表情は変わらない。そんな反応のない名前であっても、五条はぎゅうと彼女を後ろからを抱き締めていると疚しい気持ちしか起きてこない。彼は、運転席と後部座席を仕切るカーテンを一気に締めると、無反応なのをいいことに何の許可も得ず名前に、ちゅ、ちゅ、と軽くキスしてみる。全くの無反応だと思っていた名前が、横抱きになるように体を動かして五条の首に腕を回してくるから、彼は嬉しくなって続けて軽くキスをしてやる。疚しい気持ちしか持ち合わせていない五条は、名前を抱き締めながら、その腰や腹をそろそろと撫でてみる。柔らかい下腹をふにふにと軽く押しながら撫でているとその柔らかさが癖になってくる。びくっ、と名前の腰が跳ねたところでようやく五条はキスするのをやめた。やめざるおえなかった。急に我に返った名前が五条の唇を掌で制してきたからだ。 「いやいや、拉致だから!なんで声かけられないかな!」 「ひぃッ!」 名前の怒声が響き渡り、運転している伊地知は、自分もこの拉致に荷担している自覚があって悲鳴を上げる。しかし、当の五条は全く気にしておらず、名前を抱き締めたまま、何食わぬ顔をして背後からパネルを取り出した。 『突撃幼馴染みの晩御飯』 それまだ持ってたんだ、と名前は先ほど思い出していたパネルを五条から掲げられて懐かしい気分になった。そのパネルを名前が見るに、五条と夏油の作り置きはやはり予想通りなくなっているようだった。 「名前のマンション行ったら灯り点いてないし、電話出ねぇし、職場見にきたら一人で暗いとこ歩いてるし、俺がやった防犯ブザー持ってねぇし」 「鞄に入ってるよ!」 「取り出してちゃんと持って歩けよ」 五条から眉間に皺を寄せて窘められるから、名前は小さく、ごめんなさい、と謝った。そもそも車内に引きずられた私に謝るべきでは、と名前は考え直したが、五条があまりにも真剣な顔をしているから文句を言いそびれてしまう。 「心配した」 「・・・ごめんね」 真剣な顔をしていた五条がパネルを置いて名前をきゅうと抱き締め直してくるから、彼女はなんとなく胸の中にある文句を言えなくて再度謝ってしまう。改めて名前は、文句もろくに言えないないぐらい五条に弱いということを再確認した。 甘ったるい車内の雰囲気に、なるべく空気に徹していた伊地知は、この人達高校の頃からこうなのにどうして付き合っていないんだろう、と宇宙猫になっていた。 「ところで、ご飯食べたいの?」 名前がそう確認すれば、五条はまた無言でパネルを掲げてくる。まあ悟からしたら私飯炊き女だろうしそれしかないか、と名前は大外れなことを考えてしまう。そう名前に勘違いされている五条は、単純に彼女が作る料理を食べたい。五条が食べているところをにこにこしながら見ているときの彼女はとても可愛い。名前の作るものは全て五条好みで、彼女が料理を作るたび、自分のことだけを考えてくれているように感じて、五条は優越を感じる。どんな時間帯でも、ご飯が食べたい、と五条が我儘を言えば必ず名前は作ってくれる。逆にこんな我儘を言わないと彼女は会いにも来てくれない。と、五条は思っている。 「今から作るにしても近所のスーパー閉まってる」 「マンションで買い物すればいいだろ?」 五条達のマンションは、高級でコンシェルジュもいれば、24時間営業のスーパーも入っている。外に出なくてもマンション内だけで生活が出来るほどに何でも揃っている。 「今から悟のとこ?帰るの夜中になっちゃう」 「は?泊まればいいじゃん、部屋あるし」 「いや、でも、」 名前が急におろおろしだしているから、これ俺のこと意識してるヤツ、と五条はハッとする。しかし、傑くん帰ってくるでしょ傑くんが困るんじゃ、と名前がぽつぽつと困り顔で言うから五条は腹が立ってしまう。傑のこと気にしてんのかよ、ああそうだよな俺なんか家族みたいなモンだし?今更意識しませんってか、一緒のベッド入っても一夜の間違いも起こす気ないんだろお前、いや俺は何夜でも間違い犯すけど?むしろ間違いじゃありませんけど、と五条は苛々したのち、名前を泊まらせる解決策を打ち出すべくスマホを取り出す。女性一人というのが気がかりらしい名前のために、彼女が信頼する女性を呼べばいいのだ。 「硝子、まだ仕事?・・・もう終わる?名前のご飯で晩酌出来るから泊まりにおいでよ。伊地知のお迎えつき。」 急に名前を呼ばれて伊地知の肩が、ぴゃっ、と揺れるが、彼は五条の勝手な提案に反論しなかった。それもまた五条の計算だ。伊地知は名前の上がった女性、家入硝子に憧れのような感情を抱いている。高校の頃から雰囲気のある美少女で、今となっては女医という肩書きまである。そんな家入に憧れを抱くのは至極当然で、更に面倒事に対する立ち回りが上手く、硝子の言うことを聞いていれば間違いない、と名前も信頼をおいている。 「硝子来るって。それならいいでしょ?伊地知ぃーマンション前で俺ら降ろしてから硝子迎えに行って」 まあそれなら、と名前が納得したのを見てから、五条は通話の終わったスマホをズボンのポケットにしまう。 ころん、と名前は、急に視界が反転して横長の座席に転がる。どうしてコイツいつもほぼ無抵抗なの、と彼女を転がした五条は、あまりの意識のされなさに頭をむしゃくしゃに掻いてしまいたい。その余裕のない衝動をなんとか抑えて五条は名前にのし掛かる。名前が無抵抗なのは五条のことが好きだからなのだが、そういう思考に彼は至らない。家族みたいに思われている、とお互いがお互いをそう誤解し合っている。 抵抗がないのをいいことに、ちゅ、ちゅ、と五条は名前に軽くキスをするが、やはり彼女は全く嫌がらずされるがままだ。従順な名前に、五条は調子に乗って舌を捩じ込んでやる。んッ、と鼻にかかった吐息をもらしながら名前の体が跳ねているのが、五条の煩悩を揺さぶってくる。そんな彼女が艶やかで可愛くて、彼の理性は一溜りもない。 五条は、名前の手料理は素直に食べたいが、それよりも彼女と触れ合いたくて仕方がない。料理など作らなくていいから側にいて欲しい。コイツ何で俺のじゃないの?と五条は、舌に戸惑うくせに抵抗らしい抵抗をしてこない名前の可愛い反応に、頭の上にクエスチョンマークが舞ってしまう。 「んぅ・・・ちょっ、と、待って!」 五条が名前の服に手を掛けると、やっと彼女は抵抗を見せて顔を背ける。その背けた顔が嫌そうではなく、ほんのり火照っているから五条の情欲はそろそろ我慢の限界を迎えている。 「何、ああ、金?」 「違う!こういうのやめよう?」 「はぁッ?何でッ!」 食い気味に嫌がる五条に、名前は首を傾げる。そもそも名前は、五条から金をもらって触らせるほど大層な体でもなければ、それ相応の技術を持っているわけでもない。名前は、金銭という五条に触れてもらえる口実が欲しかったから金を喜んでもらっていた。ほんの小遣い程度だったのが、金額も五条の触り方も日々エスカレートしている。元々五条に触ってもらいたい名前は、触られることを上手く拒めない。このままずるずるとおかしな方向へ進んで、五条と体の関係でも持ってしまえば、幼馴染みの枠から完全に外れてしまう。なんとか名前はこの関係を軌道修正したい。 「お金払ってこういうことするの法的に良くないし、それに私じゃなくてプロにお金払った方が絶対いいと思うよ」 名前のこの言葉に、五条の眉に皺が寄って目尻もつり上がってしまう。見るからに五条の機嫌は一気に氷点下まで下がっていた。 「一応聞くけど、プロって?」 「えー・・・だから、女の子のいる、お店?いや、悟なら業界の綺麗な、人、とか、」 何故私は悟に他の女の人勧めてるんだろう、と名前は悲しい気分になりながら五条を説得する。当の五条は少し思案顔をしたあと、不思議そうに首を傾げている。 「それって、俺に何か得ある?」 いや逆に私にお金払う意味は、と名前が呆気にとられていると、その疑問を投げ掛ける前に車が止まる。 「あのー・・・マンションの前に着きましたよー・・・」 カーテンで見えないせいか、伊地知は恐る恐る背後へ声をかける。慎重に声をかけなければ、タイミングを間違うと五条から大目玉をくらってしまう。そんな伊地知の心配など気にしていない五条は、何の咎めもなく、硝子よろしく、と言って名前の手を引いて車から出ていく。二人が出て行ってから、誰もいないのに伊地知は誰かに聞かれることを恐れるようにひっそりと安堵の息を吐いた。 五条に半ば強引に手を引かれる名前は、伊地知に送ってくれた礼も言えずにただ車を見送ることとなった。 「ほらさっさと何か買って飯にしよ。硝子来るし酒も買ってさ」 ぐいぐいと五条に引っ張られて、転ばないように名前は慌ててついていく。いやちょっと話途中だったんだけど、と名前は話を戻したかったが、外でしていい会話ではない。外でしてもいい話でもないが、伊地知の前でしていい話でもない。ただし、気遣い屋の伊地知は、空気に徹していたから、二人は気にせず会話をしていた。空気に徹していた伊地知だが、空気を読むのも上手いため、五条の雰囲気を読み取って会話を切っていた。流石伊地知、と男を褒める気が更々ない五条は、心の中でだけ褒めておく。五条は、名前と触れ合う口実を取り上げられないように、一体どう躱してやろうかと必死に策を考え続けた。 (20220813) ← : → |