13 夕暮れ時などとっくに過ぎた頃に、名前は予想外の人間に声をかけられた。五条が高専で受け持っている生徒の虎杖、伏黒、釘崎だ。 この三人と名前は全く面識がないというわけではない。しかし、「五条の生徒」ということ以外に彼らの情報がない名前には、予想外すぎる人物からの声掛けだった。しかも、その内容も、名前さんの家に入ってみたい、というもので、ますます予想外だった。 名前が「え?私の家?」と驚いて返した言葉に、三人は、予め用意した口実を使った。あの護符が貼ってある家の中はどうなっているのかと、三人―伏黒は全く乗り気ではない―は、呪術高専の生徒らしく興味津々な顔をして、名前にキラキラの瞳を見せつける。このキラキラとした純粋な若者の瞳に名前は弱い。 なぜ三人がそれを知っているのかというと、彼らは担任の五条がそれについて唇をムと突き出しながらぼやくのを度々聞かされていたからだ。 五条のぼやきの内容は、「名前が君らのこと思い出してヤラシイ雰囲気に持っていこうとしないんだよね」などと思春期の子どもに言うにはあまりにも刺激的なないようのものだった。この五条のぼやきが授業中に出るものだから、三人はどこかへ逃げることも出来ずに、その殆ど惚気たぼやきを白目になりながらなんとか受け流していた。 五条の惚気ほど時間を無駄にするものはない。 しかも五条は、聞かせている相手の状態などお構いなしに喋るのだ。 それこそ呪霊と戦っている実習のときまで喋るのだから三人はうんざりしてしまう。 しかし、この惚気の合間に出る、名前がキラキラの瞳に弱い、という話を何度か五条から聞いていたおかげで、三人は名前との交渉を易々と進められるのだ。 名前は、急な申し出に部屋の状態を思い浮かべて逡巡しつつも、まあいいけど、と了承した。 この名前の承諾に三人は目配せをする。 いつもの彼らなら、ハイタッチでもしてギラギラとした喜びを表すものだが、今日ばかりは大人しくしなければならない。なぜなら、本当の目的は、護符ではなく、五条と名前が同棲しているのではないか、ということを確認したいだからだ。そのために、名前の家に入って同棲の証拠がないか探そうとしているのだ。 とうしてそれを気にしているのかといえば、単なる思春期の好奇心で、それ以外に理由はない。どうしても理由をつけるとすれば、三人は度々五条が名前の家の方向へ歩いていくのを目撃しているから、それが気になってしかたがなかった。 今あからさまに騒いでしまえば、きっと名前から不審に思われて、三人は家に入れてもらえなくなってしまう。 伏黒だけは、大人しくしている虎杖と釘崎の方が不審に見えた。いつもの二人なら馬鹿みたいに大袈裟に騒ぐのに、静かに大人しいのは違和感しかない。虎杖と釘崎にとって救いなのは、名前が二人とあまり接点がないから、そう不審に思っていないことだった。おかげで名前の家へ入る交渉はどうにか成功した。 三人は、名前との交渉を成功させると、彼女に促されるまま家へ行き、おどろおどろしい護符の貼り付けられた玄関の前に立った。玄関の鍵が開けられ、はいどうぞ、と先に入った名前から丁寧に招かれるが、三人は緊張にごくりと喉を上下させる。 三人は、この家で大分前に肝試しまがいのことをしたことがあった。そのとき、家入から不用意に家を開けると消し炭になると脅されたのだ。今回は名前が快く招いてくれている。しかし、家の中に入って同棲の証拠でも掴んでやろうと意気込んでいる彼らにはやましさがある。もしかしたら、玄関を通ったら消し炭かもしれない。そんな思いが交差して、あんた行きなさいよ、お前先に行けよ、と三人は軽い小競り合いをする。 この三人の小競り合いが、名前は子猫や子犬がじゃれ合っている姿と重なって、ぶ、と思わず失笑してしまう。三人は、名前の笑いが、怖じ気付いている自分達に向けられているのが恥ずかしくなってやっと意を決して玄関と向き合った。 「普通だ」 「普通だな」 「普通ね」 伏黒、虎杖、釘崎の順に決死の覚悟で玄関をくぐったのに、なんの変哲もないそこに三人はぱちくりと目をまたたいた。 外装の護符の加減を見れば、中もきっと護符だらけに違いないと思っていた。それなのに、まあなんとすっきりとしている普通の家だろうか。その廊下を名前に誘導されながら三人は進み、リビングへ通される。 「普通だ」 「普通だな」 「普通ね」 伏黒、虎杖、釘崎の順に、また室内の感想を述べていく。あの護符だらけの外装を見れば、誰だって内装もおどろおどろしく装飾されていると予測する。しかし、どう見たって普通のリビングであり、普通のソファであり、普通の壁である。 せめて壁に絵画でも飾ってあれば、その裏に護符が隠されているかもしれないが、それすらない。 「・・・そう!浴室!裸になる無防備な空間なら何かあるかも!」 「おお・・・!」 釘崎と虎杖は、瞳をキラキラとさせている。これは完全に当初の目的を忘れている顔だ。そんな二人の挙動に伏黒だけは面倒そうに途方に暮れていた。五条がこの二人にどう対処するのか検討がつかなかったからだ。彼らが下手なことをしないようにとついてきた伏黒は、この状況を全く面白がってはいない。まさか浴室というプライベート空間に入るつもりか、と元々乗り気ではなかった伏黒は二人を止めようとする。しかし、とうの名前は、伏黒の遠慮などものともせずにあっけらかんとしている。 「そんなに気になるなら見る?」 「是非!」 「俺も!」 「あんたは駄目よ!」 「何で?!」 「女性の浴室に入るなんて、どんな神経してんのよ」 釘崎は、浴室に入ろうとする虎杖を止めようとする。五条もおそらくこの浴室を使っている。だから虎杖が遠慮する必要はないかもしれない。しかし、今回はあくまで「名前しか使っていないだろう浴室の調査」なのだ。男性の虎杖が当たり前に女性の一人暮らしの浴室に入って良いなんてことはない。 釘崎は、それを目配せで伝え、虎杖は何とか勘で受け取った。好奇心は勘をも鋭くさせるようで、その目配せで彼らは、頼んだぞ釘崎、任せろ野郎共、と会話している。なんとなく、伏黒はそんな二人のテンションについていけず、ひっそりと溜め息をついた。 名前が釘崎を脱衣所へ案内すると、すぐに釘崎は2本の歯ブラシ、男性ものの洗顔料とシェービングジェル、そして、浴室に男性もののシャンプーを発見する。それを発見すると、釘崎はすぐさまリビングへと戻っていく。 先程玄関やリビングをじろじろと見ていたはずなのに、急に護符に対しての興味を失ったかのようだ。すぐさま出ていく釘崎に、名前は、驚きながらもそのあとを追う。 「黒よ!」 「マジで!」 リビングへ戻ってそうそう、名前は三人のわけのわからない会話に首を傾げる。一体何が「黒」で、何が「マジ」なのか。 「何が黒なの?」 名前が不思議そう投げ掛けると、三人は、自信満々に彼女へキラキラと瞳を輝かせて向き直る。実際、瞳をキラキラさせているのは虎杖と釘崎だけで、伏黒は面倒臭そうにしていたのだが名前には全員がキラキラした目を向けているように見えてしまう。 「五条先生がここに住んでるかどうか!」 「住んでない。泊まりにはきてるけど」 虎杖の渾身の宣言を名前は間髪いれずに否定する。まさかの名前の否定に虎杖が、う゛、と怯んでしまうから、今度は釘崎が一歩前に出る。 「男物の洗顔料とかシャンプーがある!」 「まあ、泊まりにはくるからね」 はっきりとした名前の否定に、今度は釘崎が、う゛、と怯んでしまう。怯んでしまった二人は、何も口にしないが、頼む伏黒、と念を送る。その念を受け取りたくはないが、ここで伏黒が黙ってしまえば、後から二人に数日恨み言を言われ続けてしまう。こういうときの協調性は、気が乗らなくても社会生活を円滑に進めるためには大事である。 「五条先生がここから出勤して、ここに帰ってきてるの俺たち見てます」 「まあ、泊まってるからね」 名前は、びっしり護符が貼られている家が物珍しいのだろうと三人を中に入れた。中に入って何の変哲もない家だとわかれば帰ると思っていたのだが、三人の興味―伏黒は興味がないことは名前にもわかる―は名前の考えているところとは違うところにあった。どうしてそんなに同棲にしたいのか、と名前は軽く頭を悩ませる。思春期の子ども達は色事に興味津々なのだ。 「いや住んでるからね」 三人の後ろから聞こえた急な低い声に、ぎゃ、と思わず名前を含めた四人ともが飛び退いた。同棲を肯定した低い声は、今まさに話題に上がっていた五条のものだ。音もなく伏黒達の後ろに現れたのは流石と言うべきだろうが、あまりにも心臓に悪い登場の仕方をするから、全員怒りしか沸かない。しかし、五条の肯定の言葉に、名前以外の三人は、怒りよりも好奇心が満たされることを優先する。 「同棲だ!」 「いやしてないからね!」 きゃっきゃ、とはしゃぐ三人―伏黒はそうでもない―に、名前は否定する。ただ、テンションが上がりすぎた子どもたちに名前の声は届かない。これでは否定の方法を変えるしかなく、名前は五条を睨みつける。 「ちょっと!住んでないでしょ!」 「住んでるよ?」 「住むなんて聞いてないんだけど!私許可してないし!」 「最初から住んでるよ?」 「?意味わからないんだけど?」 「だってここ僕の所有だし」 「は?」 五条を睨み続けていた名前は、彼が何を言っているのか頭がついていかずにぽかんとした。五条の所有であるなら、ここに住む前に説明がありそうなものだが、名前はそんな説明を今までに一切聞いていない。名前は高専が用意した居住に住んでいるはずなのだ。 「待って、ここ住み始めた頃、そんな説明誰からもされてない」 「うん、説明任されてたの僕だからね。言わなかったよ。だって言ったら名前住むの拒否しそうだし」 「そりゃ、悟の家にいたら余計誤解されるでしょ。え?待って?私家賃とか光熱費とか今まで払ってないけど」 「好きな子にそんなの出させるわけないじゃん」 名前が狼狽えていると、五条は彼女の顎を指で掬い、アイマスク越しに目を合わせてから面白そうに囁いてくる。 「名前ったら、ずうっと僕に囲われてたんだよ?知らなかった?」 「言われてなかったからね!!」 五条は面白そうにしている割りに甘ったるく名前に囁く。それをものともせずに彼女は彼から顔を背けて抵抗らしい行動をとった。どうやら名前は、五条のそんな甘ったるい妖艶さには慣れっこのようだ。 名前は、五条から離れてリビングから出ると、たたた、と早足で二階へ行き、また早足でリビングへ戻ってくる。何も言わずにそこを離れた彼女の後ろ姿を、この空気にどう反応するべきかわからない子ども達は、ただ見送った。逃げたのかと思ったが、名前はすぐに戻ってきた。戻った途端に、名前は持っていた小さな冊子を五条の胸に押し付けた。 「何?通帳?」 「それ私が算出したここの光熱費と家賃!請求はされてないけど念のため請求されたときのとこ考えて毎月貯めてたの!」 「うわぁ。真面目ぇ。使っちゃえば良かったのに」 「福利厚生の可能性もあったけど念のため」 「なぁんだ。払わせる気なんてないけど、そのうち請求して払えないって言われたら、体で払ってね、て言おうと思ったのに」 「怖。払える自分で良かったと心底思うよ。ちょっと!通帳返さないで!ズボンに捩じ込むのやめて!もう!生徒いるの忘れてない?変なこと言わないで!」 名前は、厭らしいことを言い出した五条にそう釘を刺す。しかし、五条はわかっていたくせに、あらまだいたの、と少しぞんざいにその生徒たちに声をかける。 この五条の態度に、伏黒と釘崎は青筋を立てるが、それをものともしないのが虎杖だ。 「先生」 「はい、悠仁」 「同棲までしてるのに何で付き合わんの?」 子どもの純粋な問いに、五条は怯むことなくさも当然と言わんばかりに返してやる。 「まあ別に付き合うとかなくてもエッチも出来るし、子どもも作れるし」 「最低なんだけど」 五条の発言に釘崎は、嫌悪感たっぷりに吐き捨てる。どうしてこんな人間が自分の担任なんだろうかと、三人は冷たい視線を五条に向ける。その視線に五条は、わあ流石の僕も生徒からの冷たい視線は悲しいかも、と呟いているが全く心が篭っていない。 どうやらこの件に関しての三人からの評価など五条はどうでもいいらしい。 「子どもになんてこと言うの・・・!」 五条の言葉に、名前は真っ赤になって声を震わせている。名前は、怒りに任せて本気で彼の脇腹を殴ってみるが、無下限のせいで全く当たらない。いつものことだが、名前の無駄な抵抗や攻撃が、五条は可愛らしく見える。そうやって無駄に攻撃してくる名前の腰に五条は手を回すと、まるで今からするのは当然の流れだとでも言いたげに彼女に顔を近付ける。 全くそんな流れではないが。 「ちょ、え、嘘でしょ、ん、」 五条は、名前の腰をガッチリと抱いて、彼女の頬に片手を添えて口付けてくる。 勿論五条は、名前のキスしているときの艶かしい表情を見せないように、三人に彼の背を見せる形でキスをしている。それでも名前から漏れ出るくぐもった声だとか、熱っぽい吐息は嫌でも三人の耳に入ってしまう。そんな五条の行動に、名前は腕を動かしてどうにか抜け出てやろうと思うのだが、五条相手にきくわけがない。 全く名前の抵抗を気にしていない五条は、彼女の気持ちの良いように優しく舌を弄んでやる。どんどんとそれに溺れていってしまう名前は、いよいよ体を支えきれずに五条にすがってしまう。それに気を良くした彼は満足するまでキスをしてから、ようやく彼女を離してやる。 五条は、顔を離して三人に名前のとろんとした可愛い表情を見せないように、優しく彼女を胸に閉じ込めた。 五条が後ろへ向き直ると、そこにいる三人は急に大人の世界を見せられた影響で固まっている。 どうも刺激が強かったようだ。 「ほぉら、ここからは大人の時間だよ。帰った帰った」 しっしっ、と五条から犬でも追い払うような仕草で手を振られ、やっと三人は我に帰る。 言われなくても帰るわよこの淫行教師!と釘崎が男二人を引き連れて叫びながら帰るところを、元気だねぇ、と五条は呑気に見送る。 「生徒帰ったから続きしよっか。何でいたのか全然かわかんないけど」 五条は、玄関の扉が閉まる音を確認して胸の中の名前に声をかける。しかし、名前からの返事はない。それを不思議に思って、五条は無理矢理名前の顔を上へ向かせると、涙目の彼女と目が合う。 「ひどい、さいてー」 真っ赤になって震える名前は、三人の前でキスを見せびらかした五条を睨む。あまりの羞恥に、名前は上手く言葉が紡げない。そんな名前のことが五条はあまりにも可愛くて、わあ何これ凄い苛めたくいやいや可愛がってあげたくなる、と余計に気持ちが昂ってしまう。 帰ってもらうならもっと他にやりかたあるでしょ、と名前はまだ羞恥を引き摺ってぼそぼそと話している。そう名前から言われるが、五条は三人を帰らせるつもりでキスをしたのではなく、彼女が可愛いからしたのだ。 五条は、いまだ何かぶちぶちと文句を言っている名前の口を彼の唇で塞ぐ。寸前まで文句を言っていた名前だが、五条からキスをされると、ほとんど抵抗もせずに受け入れている。この名前に、素直でよろしい、と五条は心の中で花丸をあげながら、先程生徒の前では出来なかった厭らしいキスをしてやる。そうやってキスをしていると、もそもそと名前が膝を擦り合わせ始めている。いつもより名前の体が熟れ始めるのが早い。 生徒への羞恥でそうなっているのなら、五条は予想外に家にいた生徒に感謝したい。 五条は、生徒巻き込むの有りだな、とどう考えてもアウトなことをまるで名案のように思いながら、名前の体を楽しそうにまさぐり始めた。 「なんかAVよりも凄いもの見たかもしんない」 「虎杖記憶から消せ。覚えてたら五条先生が何するかわかんねぇぞ」 「私、今日の出来事丸々頭から消したいんだけど」 三人は、好奇心に勝てずに名前の家に入ってしまった。まさか忙しいはずの五条があんなに早く帰ってくるなんて予想外だったのだ。 単純に五条と名前が同棲しているのかが知りたいだけだった。それだけだったのに、三人は間近で五条と名前の絡みを見てしまった。明日学校行きたくない、と三人は同じことで頭を抱えている。きっと明日の三人の始まりは、彼らの都合無視の五条の惚気から始まるはずだ。 これが好奇心は猫を殺すということか、と三人は満たされた好奇心に満足するどころか項垂れて足取り重く寮へ帰っていった。 (20220627) ← : → |