本気で何かを口にするという行為は、時に多大な勇気を必要とする。 ラチェットは目の前で展開されるモニターの基盤部分を覗きこみながら、そっと隣を仰ぎみた。基地内の情報伝達機能に不備がないか確認したい、悪いが手が空いているのが君だけなんだ手伝ってくれないだろうか、などともっともらしい理由をつけたせいか断続的にモニター部に表示されていく文字を追う司令官のアイセンサーは真剣だ。 ―――――違う。そうじゃないんだ、オプティマス。 ぐ、とフェイスパーツを歪めたラチェットの手に握られていたレンチが、かすかに軋んだ音をたてる。 「ラチェット。君が今データベースから選出した座標は、ここで間違いないか」 簡潔に座標を口にしながら向けられた青い両目を直視しないように慌てて腰を屈める。基盤と医療装置の安全点検を行うフリをしながら「あぁ、」と肯定する旨を伝えれば、すぐ隣に立つ機体から安堵したような頷きが返ってきた。そして、ラチェットが時折レンチを動かす音と(実際には不備のない部分にレンチを押しあてているだけなのだが)、金属生命体二機分の稼働音がメインルームの広い空間を支配する。やがて、ガシャン、カシャン、と重量のある金属が移動する足音が自らの隣、背後、と遠ざかっていくのを感じた。その一瞬を逃すまいと詰めていた排気をもらしたラチェットだったが、すぐに聞かれはしなかったかと背後を振り返る。メインルームに見慣れた長身の機体は見当たらない。考えてもみれば、確認後に指示を待っていたであろうオプティマスに短い返答と長い沈黙のみを与えてしまった、とラチェットは後悔した。 確かに大半の点検は済んでしまっているし、この場合のオプティマスが自分の役目は終わったとばかりに基地周辺のパトロールに出たとしても不自然なことではない、のだけど。 「…馬鹿か私は、」 オプティマス・プライムはオートボット司令官である。そしてラチェットという名の非戦闘員は、ただの軍医である。考えただけでも馬鹿馬鹿しいことだ。絶対的に変わらない立場が、責務の重さが、いつだって叩き壊してやりたいほど憎たらしい。きっと彼は望まないだろうがな、とラチェットは大きく排気して思考を落ち着かせつつレンチを置いた。 「ラチェット」 びく、と小さく震えた機体を誤魔化すように背後を振り返れば、不思議そうにオプティックを瞬かせた長身の機体が基地の奥から顔を覗かせた。パトロールは、とラチェットの発声回路が無意識に吐きだした言葉は小首を傾げたオプティマスの表情に小さな笑みをつくっていく。 「あぁ。行こうかと思ったが戻ってきた」 「いやその、すまん、私が指示をださなかったから…暇だったろう」 「そうでもないさ。私にとってもいいものが見れたしな」 「…いいもの?」 訝しんでオプティマスを見上げれば、カシャン、と歩み寄ってきた大きな手がラチェットの脇をすりぬけ、使い古されたレンチをとった。どことなく柔らかくなったフェイスパーツを指摘すれば普段の"司令官"に戻ってしまいそうで、ラチェットは何も声をかけることができない。そんな様子に気づいていないのか、一度モニターを仰いだ青いオプティックが穏やかな言葉を紡いでいくのをただただラチェットの聴覚センサーが拾い処理していった。 「我々は地球人を守ることに重きをおいている。そのために必要であるからこそ、戦っている」 「……」 「だがもし、ここに君がいなければ…すべてが終わっていただろう」 我々の命も、彼らの命も、いやそもそもサイバトロン星で生き残ることすら不可能だった。 大袈裟すぎるだろう、とラチェットは排気した。たしかに過去尽力したことは事実だが、それは周囲のためというよりは自分のためであったように思う。そう、今も昔も変わらないのだ。そして"それはすべて君のためになるから"などと本音を晒せるほどの勇気が今も昔も自分にはないのだとラチェットは再認識する。 俯いて首を振る姿を無言で見下ろしていたオプティマスの手が、ふと、ラチェットの手に触れた。咄嗟のことに反応できなかったらしい神経回路のせいか小さく震えてしまった機体ごと、労わるように大きな指先がラチェットの手の甲を撫でる。摩擦音のない、どこまでも優しい触れ方であった。 けれどラチェットは知っているのだ。この手に負わされた目に見えない"何か"が常にオプティマスに酷な選択ばかりさせ、優しい手を傷だらけにしていることを。 「いいや、大袈裟ではないよ」 「…、」 「君のこの手に私たちは助けられている。…だから戦える」 今日は君の努力を間近で感じることができた、ありがとう。そう囁いた声は穏やかだった。穏やかすぎるほどに。戦火を生き抜いてきた勇敢な司令官と思えないほどに。どうやら"いいもの"というのはラチェットの働きを比喩した言葉らしい。ぐ、とオプティマスに手をとられたまま俯いているラチェットがフェイスパーツを歪めたことは、きっと誰も知らないだろう。それでいい、とさえ思う。 そもそも、どうやったって優しさが似合う機体が平気で酷な仕打ちをできるわけがないのだ。不毛で理不尽な暴力と殺戮はオプティマスから大切なものを削り取っていくだろう。それが無理やりならば、あるいは自分一人のスパークを身代わりに解決するのならば、どれだけよかったか。 「……それでも君は私を選ばないだろ」 「ラチェット?」 「…いや、何でもない。ありがとうオプティマス。君の役に立てているなら嬉しいよ」 なのに我らが司令官は正義なんて曖昧なもののために死を選ぼうとするのだ。そうしてラチェットのやっていることはそんな機体を死へ近づける行為と同意義である。分かっている。分かっている、が、ならばどうすればいいのだろうか。オプティマスの言葉通りにラチェットのおかげですべてが成り立っているのだとしたら、そんな彼の"自己犠牲精神"で生を繋いでいる自分はどうなる。考えただけでも馬鹿馬鹿しい話だろう。 結局のところ、二機は互いを傷つけているだけなのだ。 それに気づいているか、気づいていないか、の違いがあるだけで。 ラチェットの言葉にやっと小さく笑ったオプティマスは、少し気が抜けたようにオプティックを細めた。どこまでも澄んだ青が柔らかな光を放つ。 「それでは私は周辺を巡回してこよう」 「あぁ。留守は任された」 「頼もしいかぎりだ」 トランスフォームした後ろ姿が基地をでていくのを見送ったあと。モニターの点検を終えたラチェットは「お前さんが本当に頼っているのは正義だけだろうに」と呟き、小さく笑った。 ![]() |