squabble



ゆっくりと伸ばされた手によって頭を撫でられる感触に、ひくりと機体が跳ねる。普段ならば素直じゃないなと呆れ声混じりの囁きが共に落とされるのだが、今現在クロームドームの背後に立つブランカーは何も言おうとはしない。ぎゅ、と握り締めた手が小さく震える。


「…なぁ」


呼びかけた声は二人きりの室内で小さく反響しながら消えていった。答える声はない。相手側にクロームドームの声に応える意志がないからだ。頭部を撫でていた手が、ゆっくりと首の曲線を辿りながら肩へと滑り落ちていく感触に無意識に息を詰めてしまう。煽られている、と感じた。苛立ちがほんの少し頭をもたげたが、何よりも馬鹿馬鹿しいのは本気で嫌ならば振り払えばいいというのにこうして完全な拒絶を与えてはこないブランカーの戯れを取り零すまいと受け止める自分の方かもしれない。


今となっては口論になったきっかけすらもすでに曖昧だった。その事実は自分の中でいかにその内容が重要性のない、取るに足らないものであったか思い知らされると同時、そんなくだらないもののために意地になっている自らがまるで駄々をこねる子どものように感じられてしまい、胸中に渦巻く言いようのない悔しさにクロームドームは固く口元を引き結んだ。

本当は、熱のあがったブレインを持て余しながら自室に駆け戻った時にはもうすでに自身の言動に後悔していたのだ。クロームドーム自身あまり自覚はないのだが、どうにも一度タガが外れるとつい衝動的になってしまう性質らしい。今回の喧嘩の原因もほんの些細なことであったはずなのに、ブランカーとの売り言葉に買い言葉でどんどん熱を帯びた口論はクロームドームの理性の手を離れ、結果として本来抱えている感情とは全く無縁の言葉を吐き出してしまった。


『あんたなんか嫌いだ! 大嫌いだ…っ、…もう俺に話しかけてくるなッ!』


あんなことを言いたかったわけじゃないのに、とどれほど後悔しても表情を消して無言のままこちらに背を向けたブランカーの姿がブレインに焼きついて離れない。やっぱり、嫌われた、んだろうか。とうとう見放されたのかもしれない。謝罪すべきかと逡巡していたところに部屋を訪ねてきた相手にもしかしたら仲直りできるかもしれないと淡い期待を抱いていたクロームドームの心はすっかり消沈しきっていた。


「……悪かったよ」


すり、とクロームドームの背中を撫でていた手が止まる。マスクの奥で排気を整えながら吐き出した謝罪に罪悪感に蝕まれていた心は幾分か軽くなった気がしたが、それでもやはり背後のブランカーは何も答えない。何も言葉を返してはくれない。

現状を看過したとして、互いの立場上 任務や日常生活で遅かれ早かれ会話を交わすことにはなるだろう。けれどそれでは駄目なのだ、とクロームドームは挫けそうになる自身の心を叱咤した。このままブランカーの気持ちが自分から離れていく図を予想したブレインサーキットが熱を持つ。


感情のまま罵倒し合うことなどこれまで何度もあった。そうしてその度にどちらからともなく許しあってきたものだから、謝罪が意味を為さないこの状況の解決策が分からない。今更ながら嫌われたくないなどという感情が止めどなく湧き上がってきてクロームドームは混乱した。マスクの内側で吐き出した排気が不規則になる。スパークの拍動が早くなる。熱を持ったブレインを冷まそうとオプティックの奥から冷却水が滲む。


「――――ぅ……っふ、」


青い両目から伝った感情がマスクの曲線を滑り落ちていく。地面に落ち、小さく跳ねる音がした。この涙を受け止めてくれるのがブランカーの手ではないという事実と、これから先もう二度と愛おしさを伴って触れられることがないのではないかという思考に悲しさが膨れ上がり、戦士として鍛えられたはずの心をあっけなく締め付ける。これ以上こんな情けない姿を晒したくなんかないのに。小刻みに震え喘ぐ体はまるで逃げるよう、無意識に背後の相手から距離をとろうと足を踏み出した。ともすれば嗚咽をこぼしそうな唇を噛み締める。

どうにか自分の醜態を悟られずに帰ってもらう方法は、とブレインを埋めた思考を掻き分けながら伸ばされた腕が、不意にクロームドームの腹部に回された。

驚いて硬直する機体を無視し勢いよく引き寄せられれば、自然とブランカーの胸部が背中に密着する姿勢になる。思わず俯いていた顔を上げた。聴覚センサーは耳障りな金属音を捉え、機体背部は背後に触れる温度を認識する。


「おい…! な、にを」


反射的に溢れそうになる文句を塞ぐように振り向いた顔に触れてくる、手。マスクの表面をなぞる指にびくりと震えたクロームドームの視界からはブランカーの表情を伺うことはできなかったが、自分を見つめてくるオプティックの気配だけは妙にはっきりと感じとれた。マスクを覆っていた金属の手が目元に残っていた僅かな冷却水を掬いとる。その仕草に我に返ったブレインに突き動かされるまま、咄嗟にやめろと叫び声をあげ手足をばたつかせたが、そんな些細な抵抗はびくりとも動かないブランカーの腕の中で次第に自然消滅していった。

その代わりゆっくりと熱の引いた脳内を占領したのは、ただただ不甲斐ない自分への怒りと正体の分からない悲しさだけで。


「…んで…何も言わないんだよ、なぁ…っ」

「……」

「俺は…こんな……ちきしょ、う……離せ! 離せよぉッ…!」

「……」

「あんただって本当は呆れてるんだろ! もう俺のことなんか」


好きでも何でもないんだろ、と口にしかけた言葉のあまりの恐ろしさに排気を止めた瞬間、マスクの両端を包んできた手によって強制的に相手の方へと振り向かされる。引き結ばれた口元とどこか怒りを孕んだオプティックと視線が交わった。予想外に至近距離にある端正なフェイスパーツに困惑している間に向こうはさらに距離を詰めてきて、次の瞬間にはマスクの表面をブランカーの舌が這い始める。時折金属の繋ぎ目に柔く歯が立てられる。ぴちゃぴちゃとわざとらしく鳴らされる相手の腔内オイルがマスクの表面を冷ましていくのに反し、内側にこもる排気は熱をあげていく。息苦しさに耐えきれずカシャリとマスクを収納すれば一瞬だけ心地よい冷たさの外気が熱をもったフェイスパーツに触れ、それを認識した途端に吐息も何もかもを呑みこむような口づけが降ってきた。


「んぐ…っ!? ん、ん……ぁ、っふ…」


噛み付くようなキスに気圧される。無意識に逸らした顔を掴まれ強く引き寄せられた時には唇の表面をたどるだけだった軟金属が荒々しく中に侵入してきた。じゅるじゅるとクロームドームの口内を満たすオイルを嚥下しながら絡まされる舌の熱さに、頭がくらくらとする。機体を捩る体勢の辛さに顔を顰めれば、まるでこちらの心境を察したかのようにブランカーの腕の中で体ごと正面を向かされた。はふ、と機体熱を下げるための排気すら許さないと言わんばかりの性急なキスに意図せず脚部が震える。腰を引き寄せてくる腕から逃げたい気持ちと与えられる熱の心地よさを手放したくない気持ちがぐちゃぐちゃになってもうわけが分からない。


「…クロームドーム」

「ぁ…、」


角度を変えて繰り返される口づけの合間に落とされた声に、思わず目を見開いた。荒い呼吸のままくしゃりと歪んだ顔を隠すように強く目を閉じれば、キスの余韻を伴った熱い手が頭部に触れる。先程のように押さえこまれるでも奪われるでもなく、まるで子どもをあやさんばかりの優しい仕草で頭を撫でられる感触に強張っていた機体から徐々に力が抜けていった。ちゅ、ちゅ、と音を立てて剥きだしの頬や顎、唇に触れてくるキスの稚拙さと気恥かしさにフェイスパーツが熱を持つ。

そうしてゆっくりと額同士が触れ合わされる気配に、薄らとクロームドームのオプティックに光が宿る。鼻先がぶつかりそうなほど近くで自分を見つめてくる両目と視線が絡み合う。ほんの一瞬の静寂が互いを包んで、次の瞬間には同時に逸らされた青い両目。「あの時の…その……あれは、…違うからな」と口論の中で投げつけた言葉を撤回するように小さく吐き出した声に、小さく笑みを象った口元が分かっているとでも言いたげにヘッドパーツに押し当てられた。


俺こそ意地を張りすぎたと低い声が返されて、その声音があまりに優しく愛おしげな響きを孕んで自分の名前を紡いでくるものだから。クロームドームは言い様のない嬉しさと切なさのせいで、再び滲みそうになる涙を堪えるのに随分と苦労した。



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