ふと、足を止める。 まるでそれが合図であったかのようにブレインに舞い戻ってきた意識はパーセプターにとても奇妙な感覚を与えた。自分が、今、この瞬間、この場所に立ち止まるまでの記憶がさっぱりないのである。頭の中の一部が欠けているというよりも"最初から存在していなかった"かのような感覚はどうにも落ち着かず、まさか私は記憶喪失にでもなったのかと無表情が僅かに動揺を表した。 けれどその考えはすぐに否定する。まず、自分の名前は分かる。種族や母星、戦争や仲間たちのことも記憶に残っている。冷静に、と努めて慎重に一つずつブレインサーキットを遡っていく度、彼は自分の中に曖昧だった"個"が積み重なり確かな形を成していく感触を覚えた。力なく下げていた手をそっと胸に当てる。何よりも自身が自身の過去を覚えている、その事実にパーセプターは酷く安堵した。 『誰だって自分の過去は忘れられない、忘れちゃいけない。だってそれは自分だけのものだ』 スパークの鼓動の奥から飛び出してきたその言葉は不思議なほどパーセプターのブレインによく馴染んだ。そしてふと、疑問。あぁでも、これはいったい誰の声だっただろう、と。興味が湧いてデータの検索をかけてみたがパーセプターの求める答えはどこにもない。存在しないのだ。ふむ、と一つ頷いた。彼はいつだって自身の探究心に関しては周囲のそれを逸脱している自覚はあったけれど、こんな状況では分からないものは分からないこととして片付けるしかない。ひとまずパーセプターは自らの置かれた状況を把握することにした。 佇む視界には一面の闇が映っている。文字通り、何もない、黒一色の世界だ。今のパーセプターには上も下も右も左もうまく認識することはできなかったが立っている感覚だけはしっかりとあった。しかもこれまた不思議なことに、足元の景色はちゃんと視覚情報として取り込むことができたのである。どこにも光源などないのに何故、と彼の中の探究心が再び頭をもたげ始めたが、それは何気なく自らが辿ってきただろう道を振り返ったことによって呆気なく掻き消えた。 「…―――――これ、は」 片方だけのオプティックが見つめる先には無数の鉄屑の残骸が転がっていた。正確には、かつては生あるトランスフォーマーだっただろう者たちが、だが。あるものは機体が上下に分断された状態で横たわり、あるものは胸の急所に一撃を受けたのかスパークのあるべき個所が空洞になっていた。露出した機体の断面からばちばちと不規則に火花を散らしている者もいる。まるで地獄絵図のようだ。ざっと見た限りでも100以上の骸が暗い闇の中に放置されていることを認識した彼は、けれどその光景に嫌悪や悲しみといった感情を抱くことはなかった。ただただ妙に温かな懐かしさだけを感じていた。 幾らかの戦場を駆けてきた者にはおのずと各々の戦闘スタイルが生じるようになる。どのような武器を使用しどのような戦術を得意とし、どのような殺し方をするか。もちろん狙撃手としてのパーセプターにもそういった類のものがある。あえて挙げるならば彼は遠距離からの狙撃に集中するため戦闘時は後方支援に回ることが多々あった。けれどそれは同時に敵との近距離戦になった場合に不利になる、ということと同意義である。 だから、頻繁に彼と組む機会が与えられた。 あちこちに散らばるパーツを避けるように死体の山へ歩を進める。 『あんた変わってるな』 『そんなことを言われたのは初めてだよ。…差し支えなければ意味を聞いても?』 『…俺の噂くらいとっくに耳に入ってるだろう。ここの連中はお喋りな奴ばかりだから』 そう、少しからかうような軽い調子で言ったきり口を閉ざし私をみた彼の表情はその言葉に対し決して嫌なものではなかった。むしろそこには私たちに対する穏やかな感情が透けて見えたような気がしたのだ。…これは彼にとって暇潰しの類なのだろうか、と推測しつつ、とりあえず素直に頷いてみせることにした。実際、私は仲間うちで交わされる彼についての根も葉もない噂を何度か耳にしていたし、その上で彼とある種のパートナーのような関係を構築していた。二人って仲がいいよね羨ましいなぁ、とブラ―に告げられた記憶はあるのだが果たして彼と自分の間にまともな友好関係を築くことができているかは曖昧である。 すると彼は私が頷くことなど最初から予想していたのだろう、特に気に障った風もなくそうかと一つ頷き返してきた。腕に剣を抱きこみながら地に座す彼とその隣で立つ私。自然と見上げられ見下ろす関係が成立した互いの間には特に何の言葉もなく、それは私が沈黙に耐えきれず口火を切るまで続いた。 『…君、は』 『うん?』 『君は、とても立派な戦士であると私は思う』 知り合って間もないのに何を、と思われるかも知れないが。それ以上の言葉は続かなかった。彼に対しどこまで踏み込んでいって良いものか把握していなかったし、何よりもスパークの端を浸食するむず痒さに耐えきれそうもなかったのだ。機体を駆け抜ける羞恥に目を逸らすと、彼はそれはそれは意外そうな目で瞬きながらゆっくりと笑みを浮かべてみせた。ありがとう。柔らかな声音で紡がれた謝辞に妙に居た堪れない気持ちになって俯いたことを昨日のことのように鮮明に覚えている。 今になって思えば、あれは彼が私に対し初めて心からの笑みを浮かべてくれた瞬間だった。 死体の間を縫うように歩みながらその表情を一つ一つ眺めていく。幸か不幸かどの機体とも面識はなかった。ただ、皆一様に胸にオートボットのインシグニアが刻まれていたのを見るかぎりこの凄惨な状況を生みだした者はディセプティコンらしい。この残骸の先に当事者がいる可能性は決して高くはないというのに、私のブレインには不思議なことに確信めいた何かがあった。 この先に、いる、彼がいる。 …しかし彼とはいったい誰なのだろうか。 「 」 そうして歩み続けた先。果たして彼は、そこにいた。 身の丈もあるような刀身の剣を地に深々と差し、その柄を両手で握り締めながら片膝をついていた。俯くフェイスパーツに影が差しているせいで表情までは窺うことができない。おそらく白かっただろうと記憶していた彼の機体は全体的に暗色の装甲に変わっている。 ふー、ふー、とまるで有機体のように不規則な呼吸を繰り返す姿に一歩ずつ近づいていくパーセプターはとうとうその真正面に辿りついた時、こちらを見上げた瞳が赤い輝きを宿しているのを確かに見た。 けれどそんなものはどうでもよかった。 「…どりふと」 同じように膝をつき、自分の持てるだけの力を込めて目の前の機体を腕の中に引き寄せる。抵抗されるかもしれないというパーセプターの予想に反しあっさりとその体を預けてきた体の持ち主は自分を抱く相手を確かめるように手を伸ばしながら「パーシー、」と消えそうな声音で呟いた。彼のスパークの鼓動が伝わってくるようだった。触れ合う場所から互いの体温が溶けていくような穏やかな感覚に浸るように目を閉じる。 どりふと、どりふと、あぁドリフト。大丈夫だよドリフト。声には出さず胸の内で語りかけてみる。 いっしょにかえろう、と囁いた言葉にあんたもな、と笑い声混じり返してきた彼の機体は黒ばかりの世界で眩いほどの美しい白だった。 ****** 目を開ければそこには不安そうな目をしたドリフトがいた。 私を覗きこむ彼の背後には見慣れた自室の内装が見てとれて、あぁここは自分のベッドかとぼんやりとした思考で把握する。 「…大丈夫か?」 「わた、し…は、」 「あんたがなかなか起きてこないものだから…悪いが勝手に部屋に入らせてもらった。何だか酷く苦しそうだったぞ」 まさかどこか具合でも悪いのかと寝台に腰掛けながら私の方をみたドリフトに「いや…特にはこれといったエラーもないようだ」と簡易的に機体をスキャンしながら首を振ってみせれば「ならいいが…」と半信半疑の相槌を返された。彼が言うのならば本当なのだろうが、残念ながらスリープモード中の自分の様子に心当たりはないのでこればかりは仕方がない。思わず苦笑が漏れる。君は心配性だね、と首を傾げれば途端に真っ赤な顔をして押し黙ってしまうその様子がとても愛おしかった。 自室のセキュリティコードを教えたのは自分なのだからいつでも勝手に入ってくれていいと再三言葉をかけているというのに、存外純朴なところのあるこの恋人はなかなか実行に移す気がないようだった。その分ふとした瞬間に優しく甘やかしてくるものだからこちらとしては戸惑うことも多いのだが。 「心配してくれてありがとう」 「…別に。感謝されるほどのことでもない」 「ははっ………あ、」 「ん?」 「あぁいや、そういえばまだ言っていなかったと思ってね。おはよう、ドリフト」 「あぁ。…おはよう、パーシー」 (It begin a new day.)(おはようのキス) ![]() |