小説 | ナノ

where're we goin'?


木、木、それから木。草原。木。灰色の空。それらがぜんぶいっしょくたに、びゅんびゅん高速で過ぎ去っていく。助手席の窓にはぼくの顔が映ってぼんやりとぼくを見つめ返している。空は高い、高い高い。あつぼったそうな雲さえも高い。いったいいつになればぼくはあの雲をつかむことができるだろう?
ジャイロ、ヴァルキリー、ぼく。いまのぼくら。あんまり多くは必要じゃない。お金も。ほんの少しでいい。
隣でヴァルキリーを運転するジャイロを盗み見る。別に盗み見なくたって堂々と見ればいいんだけど、彼はそうしていいひとじゃない。今はぼくに盗み見られるためにある人だ。
彼はイイ男だ。男のぼくから見ても。っていうか、ぼくが惚れたんだ、イイ男に決まってる。長く伸びた亜麻色の髪――今は結っている(それもイイ)けど、ほどいて風に遊ばれているのも見惚れる――ハンドルを握った手――見た目はごつごつしているのに、肉厚な掌に一度つつまれたら忘れることなんてできない。あったかくてフワフワで、しかもあの手は魔法を使える――その手から続く、半袖のシャツから露出された裸の長い腕と、アクセルを踏み込む度に筋肉が盛り上がる長い足、他にも枚挙すればキリがない。そんなジャイロを、いまぼくは独り占めしている。好きなときに眺め、盗み見、触れ、キスをする。ぼくらのキスは、唇、舌、唾液、すべてが熱い。身体中すべてが。どくどくと平素よりも何倍も速く脈打つ心臓に火がつき、血管を伝って体内に燃え広がる。その熱をぼくらは交換する。粘膜を触れ合わせるだけで、ときにはセックスによって。
だけどいまは、なにもしない。灰色の空と灰色のアスファルトに挟まれて、ジャイロはヴァルキリーを走らせ続ける。
ヴァルキリー――艶のある真っ黒な車体のジャイロの愛車はフリーウェイを走り続ける。どこへ?さあ。ぼくは知らない。ジャイロも、ヴァルキリーも知らない。ただ知っているのは、ぼくらはニューヨークを出発してきたってこと、西に向かってるってこと。西、太陽の沈む方角へ。夕陽を捕まえに行くのかもしれない。そうかも。件の太陽は灰色の雲の向こうに行ってしまってぼくからは見えないけれど。
「そろそろ出口がいっこある…降りてモーテルにでも泊まるか?」
エンジン音と二人分の規則正しい呼吸音だけが響いていた車内で、ジャイロが口を開いた。彼を盗み見ていた(その頃にはもうすっかり盗み見る"フリ"だけになってしまって、ぼくは遠慮なくじろじろとジャイロのことを眺めていた)ぼくは彼の顔に視線をやる。彼は前を見ながら、たまにどうするという風にちらりとぼくの方を見ていた。一日中運転しっぱなしで疲れたのか、目の下にはうっすらクマができている。
「どっちでもいい」ダッシュボードに埋め込まれた時計は、青い光で17:42を伝えている。「君がもう疲れたって言うならそうしよう」
煮え切らないぼくの返事を聞いて、ジャイロは片眉をつり上げた。形のいい眉が片方だけ、釣り針で釣り上げられたみたいに。
「じゃ、こうしよう」
ジャイロはウィンカーを点滅させて(でもフリーウェイにはぼくらの他に誰も走ってないからウィンカーの意味はあんまりない)ハンドルをきった。バックミラーの付け根にぶら下がったクマちゃんが遠慮なくぶらぶらと揺れる。
「フリーウェイは降りる。だけどまだ休まない。オレが疲れたらどっか見つけて泊まる。どうだ?」
一応ぼくに提案ってフリをしているけど、それは決定事項だ。クマちゃんがぶらぶら揺れた時点で、ぼくに決定権は与えられていない。でも特に異議や不満があるわけじゃない、だってこれがぼくらだから。ジャイロと、ヴァルキリーと、ぼく。ひとくくりにまとめる、ぼくら。

未だにクマちゃんが揺れる車内で、ぼくは空を見上げる。灰色の絵の具をパレットの中で濃淡をぐちゃぐちゃにかき混ぜるみたいな空。エンパイアステートよりも何よりも高い空。
空に手を伸ばす代わりにダッシュボードに手を伸ばしてボタンを押す。データの中の三番目、お気に入りの曲。静かだった車内にいくらか高めの音が響きだす。ぼくは目を瞑って音の中に沈み込む。
目を覚ましてマギー、
彼はそう歌い出すけれど目を瞑ったまま。ぼくは彼のハートを盗んでなんかいないから。盗まれたのはぼくのハート。
「おたくこの曲好きだよなあ」
ジャイロが言う。ぼくは片目だけ開けて彼を見る。ハンドルに指を絡ませた彼を。
「兄さんがよく聞いていた」
べつにぼくが好きなわけじゃないってフリ。
マギー・メイ、もうずいぶんと古い歌だ。夏休みの終わりに聞く曲だけど、兄さんはこの曲が好きで冬だろうと春だろうと夏休みの始まりだろうと関係なく聞いていた。プレーヤーにCDを入れて、白く長細い指がボタンを押すと、弦が弾かれる音がスピーカーから飛び出して踊り出す。兄さんはそれを、どんな表情で聞いていただろう。間奏のマンドリンをどんな瞳で見つめていただろう。
再び目を閉じて、マンドリンの音を感じる。星屑が零れるような音。胸が締め付けられるメロディーと、ギターよりも少しだけ高いマンドリンの、ぽろぽろとこぼれる音がぼくの耳から脳髄へ浸透してゆく。ヴァルキリーの息遣いやジャイロのアクセルを踏み込む音もいっしょくたにまぜこぜになって、窓の外の灰色の空みたいになる。
きみの顔なんて見なければよかった、ぼくは家に帰るよ、そのうちにね…
そして灰色の雲は整然と並べられて帰ってゆく。
ぼくは目を開ける。フロントガラス越しの空は雲がかかったままだ。
今度はジャイロが手を伸ばして曲を探し始めた。前を見つめながらイントロを聞いて、ハンドルに手をかけながらダッシュボードのボタンを操作した。雲越しの太陽にうっすら照らされている彼の横顔。
「あった…これだ」
厚い唇が小さく動いた。離れていく褐色がかった腕。熱。
「これ?ジャイロあんまり聞かないじゃん」
アップテンポなギターの音。これもまた古い曲だ。こんな曇り空には似合わない。
ぼくの言葉にジャイロは首を横に振る。いいや、と否定の言葉を添えて。
「GO! ジョニィ、GO! GO!」
ジャイロが口ずさむ。ぼくは恥ずかしくなって窓の外に視線をずらす。まばらに見える民家には暖かそうな光がチラチラと見え隠れしている。彼らの今日の夕ご飯はなんだろう?
「ホントはよく聞いてるんだぜ、おめーのいねェときによ」
ピアノが跳ねる、跳ねる。
ぼくは、ふうん、とぶっきらぼうに返事をする。髪が顔を覆うほど長くてよかった。ぼくの頬はきっと真っ赤に違いない。ガラスに映った自分さえ恥ずかしくて見れやしない。
「ジョニィ、お前の寝てるときとか、お前なしで買い物行くときとか…」
「ああーもういい、やめてくれ、そんな口説き文句聞いたことない」
ジャイロは口を大きく開けて笑った。ぼくは助手席の中で小さく縮こまる。
GO! ジョニィ、GO! GO!
バックミラーの下のクマちゃんもゆらゆら揺れて笑った。

結局ぼくらは20:00頃にジャイロが見つけたイタリアンレストランに入り、21:00頃、そこからすぐ近くのモーテルに泊まることにした。黄色いペンキが所々はげた壁のモーテルの一階。田舎であまり流行らないのか時期がそうなのか、車は殆ど駐まっていなかった。部屋の中は空調が効いて、よそよそしく冷たくぼくらを迎え入れる。
「なあよォ〜クマできてンだけど…見てみろジョニィ、ホラ、オレの目の下」
ほんの四時間ほど前までは雲が空を固くガードして、太陽なんかホンモノの姿を見せる隙なんて無かったのに、今はオレンジ色の優しい夕陽が窓から部屋の中を照らしている。ぼくらの向かう方向へ沈んでいく柔らかくて突き刺すような光。バスルームから出てきて夕陽の眩しさに目を細めたジャイロは、ぼくの方に顔を寄せた。ぼくは顔をあげてそれを見る。そんなに顔を近づけなくたってわかるのに。キスしちゃうぞ。
「あーほんとだほんとだクマできてる。けど大丈夫、イイ男には変わりない」
軽くあしらおうとしたぼくの返事に口をへの字にして下唇をちょっと突き出していた彼は、ぼくの"イイ男"って言葉ににんまりと笑った。単純だ。金をかぶせた歯が夕陽にきらめいた。GO!GO!ZEPPELI。
「クマができてもイイ男はそのまんまってか…悪くねえ、悪くねえぜジョニィ」
ぼくは車椅子から身を乗り出してジャイロにキスをする。車椅子が軋んでぼくらの歯はぶつかって音を立てた。ジャイロは肩を揺らして笑った。金色がキラキラ、いったりきたりする。
何がそんなにおかしかったのか、ジャイロはゲラゲラ笑いながらバスルームに戻っていった。服を脱ぐ音がして、蛇口をひねる音がして、水の雫がバタバタと暴れまわり壁に張り付く音がしたけれど、ジャイロはまだ笑っていた。お酒でも飲んだのかな。部屋の中を見回してみるけれど、それらしい入れ物はどこにも見当たらない。
ぼくは手持ち無沙汰になって、ベッドに腰かけてぼうっと窓の外を見る。クーラーで冷やされたベッドは、窓側で日が当たっているにも関わらずひんやりしている。空調の冷たい風にひらひら揺れる青いカーテンに脇をかためられた窓枠の向こう。一応は手入れされているらしい狭い庭の芝生の向こうには延々と続く草原、と、たまに人家。暗く影になった人家のそのまた向こうでは赤々と燃えるまんまるな太陽が、今にも沈まんとしている。あの太陽を絞ったら、意外と普通な味のジュースができるかもしれない。でもきっと舌触りは特別だ。ざらざらドロドロしていて、燃えるように冷たいだろう。世界中の誰もが、その舌触りを求める…。だけどぼくには必要ない。だって、ジャイロのコーヒーがあるから。ジャイロの淹れるコーヒーさえあれば、あとは安物のジュースやミネラルウォーターで充分だ。ああ、それと、たまにぼくの淹れるハーブティー。
眩しさに耐えられなくなって、部屋の中に視線を戻す。長く伸びた、家具とぼくの影。あと十分もすれば、電気をつけてカーテンを閉めることになるだろう。今ではない、これから十分先に。
「お待たせ…」
笑い疲れたのか一日の疲れがでたのか、目の下のクマを際立たせるように疲れきった目をしたジャイロがバスルームから出て来て、フラフラともう一つのベッドに倒れこんだ。ぼすん、とかたそうなスプリングが音を立ててジャイロの体を受け止める。彼は腕をだらしなくベッドの脇にぶらつかせて、既に目を閉じていた。窓の側に腰かけていたぼくは一度ベッドに倒れこみ、寝返りをうってジャイロの顔を覗き込む。夕陽に照らされた彼の濡れた髪がベールを纏ったみたいだ。
「歯磨きは?」
いつもこれを聞くのはぼくじゃなく、ジャイロの役目だ。
「…した……」
殆ど眠りかけている彼の声がぼそぼそと答えた。
「窓側のベッドじゃなくていいの?いつもきみ、窓側がいいって言うじゃないか」
「………」
返事の代わりに寝息が聞こえる。
つまんないの!
ぼくはむくれて車椅子を引き寄せる。ついさっきまで一人でゲラゲラ笑ってたくせに。まったくもって自分勝手だ(ぼくも人のこといえないけど…)。
「あーあ、つまんないの!」
わざと大きな声を出して車椅子に乗ってバスルームに向かう。確か隣の部屋の前に車は駐まっていなかったから少しばかり大きな声を出しても平気なはずだ。背中には無言しか返ってこない。バスルームの入り口から彼の倒れこんだベッドを見てみたけど、彼はオレンジ色の煌く光の中で死体みたいに動かないで眠っていた。彼から見えるはずもないのに、ぼくはつんと鼻を上にして、バスルームのドアを音をたてて閉めた。

ドアを開けると真っ暗だった。バスルームの中では電気をつけていたからわからなかったけれど、外はもう日が沈み真っ暗な夜に沈んでいる。開けっ放しのカーテンの間から空を見上げたら星が見えるだろうか?ぼくはバスルームの電気を消す。闇。
シャワーを浴び、歯磨きも終えてスッキリした体を車椅子の上に乗せて、真っ暗な部屋でベッドに向かう。途中であちこちぶつかりながらも――幸か不幸か、寝ているジャイロの体に車椅子ごと体当たりすることはなかった――ベッドに辿り着く。冷たいシーツはぼくのことを拒絶しているようだ。
ベッドに寝そべって空を見上げる。星は見えない。暗闇に慣れてきた目で見上げると、空は星が輝くには少し明るすぎる。看板のせいだ。
横になっているのに、少しも眠くない。当たり前だ、ぼくは一日中なにもしないで、助手席に座り続けていただけなのだから。
「ジャイロ」
小声で彼の名前を呼ぶ。勿論彼からの返事はない。
寝返りをうって隣のベッドに横たわる彼の姿を見つめる。うっすら光っているようにすら見える彼の姿。触れたい。熱いのか?冷たいのか?在るのか?無いのか?
カーテン、しめようか?
ぼくは心の中でだけ、ジャイロに話しかける。
眩しくない?カーテンしめる?寒くない?そっちに行ってもいい?ジャイロ?
きみに触れても?
返事はない。だから、ぼくのいいように解釈する。
カーテンはしめない、きみは眩しくないから。クーラーのリモコンには触れない、きみはそうしてほしくない。
ぼくは一度車椅子に移る。ほんの少しの移動だけど、きみのところに行くまではやっぱり車椅子が必要だ。面倒くさい、歩けるのならたったの数歩できみに会いに行けるのに。もどかしい距離。ヴァルキリーに乗っていたときは腕を伸ばすだけで、触れようと思えば触れられる距離にいたのに。
ジャイロを見つめる。彼の顔の、30センチほど上から。少しづつ、少しづつ距離を縮める。ぼんやりとした青白い光が、やがてはっきりとした反射の色になるまで。笑うとえくぼのできる頬にはえるうぶ毛や、長くて真っ黒な、日中はキラキラ輝く瞳を縁取るまつげの一本いっぽんまでもが見えるようになるまで。
「ジャイロ」
頬に唇を近づけ、囁く。ジャイロは起きない。
顔の横に手をつき、ベッドに体を持ち上げる。彼の長い髪が水の中のようにゆらりと揺れた。それを見て、ぼくの口から熱い吐息が漏れる。
空調が唸り声をあげた。その声におされるように、ぼくはジャイロの体の上に自分の体を重ねる。一瞬だけ、彼の呼吸音は乱れる。けれどそれはほんの一瞬だけのことで、再び規則正しい寝息が繰り返された。
ぼくは腰を折ってジャイロの首元に鼻をうずめる。ニューヨークにいた頃とは違う匂い。シャンプーもボディーソープも違うし、洗剤だって違う。でも嫌いじゃない。ジャイロの匂いはなんだっていい匂いな気がしてくるから不思議だ。彼はもしかしたらそういう魔法をぼくにかけてるのかもしれない。彼の匂いを嗅ぐだけでペニスを熱くさせてしまう魔法も一緒に。
大きく息を吸い込む。鼻腔をジャイロの匂いが満たす。ぼくのぼくは元気になる。もう一度大きく息を吸い込む。鼻腔を、喉元を、肺腑をチリチリと焦がしながら、ジャイロの匂いはぼくの中に入り込んでくる。ぼくはもっとペニスを硬くする。無意識のうちに鼻にかかった声を小さくあげる。夕方にヴァルキリーの中で聞いたマンドリンとギターがいっしょくたになって頭の中ではじける。
もっとほしい。
ぼくは鼻をジャイロの首筋にすりつけ、一緒に腰も揺らめかせる。ぼくのペニスはボトムの中ですっかり元気になっている。ジャイロのせいだ。それなのに当の本人は淡い星の光の中でさも何も知りませんという顔をして眠っている。
「ジャイロ」
彼の名前を呼ぶだけでぼくの精嚢は熱くなる。
「おきてよ、ジャイロ…おきてよう」
ああ、かわいそうなジョニィ・ジョースター!
今すぐにでもペニスをケツ穴にぶち込んで欲しいと、甘えた声で恋人に呼びかけているというのに!無情な恋人は甘い誘惑に気づくことさえせずに心地よい夢の国を漂っている。
そりゃあないぜ、ジャイロ・ツェペリ。ぼくをかわいそうだと思わないのかい?きみの匂いに欲情し、ペニスをガチガチに硬くして興奮しているきみの恋人を、かわいそうだと思わないのか?
ボトムの中に右手を突っ込む。下着越しに先端に触れるとびくりと体が強張る。口からは息切れした犬のように、はしたない、短く熱い息が絶え間無く漏れている。
「ぁ、あァ…ジャイロ」
変えたばかりのぼくの下着はカウパー液でべとべとだ。見なくたってわかる、触ったら湿っているんだもの。焦れったくて、焦らしたくて(言っておくけれどぼくはマゾじゃないからな!)、しばらく下着越しに触れ続ける。キモチイイ、焦れったい、キモチイイ、ジャイロ。
「ジャイロ、じゃいろ、ン、はァ、あぁア…」
鼻をジャイロの髪にすりつける。いつもと違う匂い。左手で彼の髪を指に絡め取る。そこいらの女の子よりよっぽどよく手入れされたサラサラの髪。昼間は結っていた長い髪。横目で彼の顔を見ると、あかりの反射する長いまつげがいたずらっぽく震えている。
「ジャイロ?んンっ、ね、おきてる?っぅあ、ねェ…おきてるんだったら、ァ、へんじしてよ、ぉ…ねえっ、あ、ア」
耳元で囁いても、ジャイロは起きる気配を見せない。夢の中で何を見ているのだろう。ぼくのゆめ?ぼくが必死にきみの上で腰を振っているゆめ?教えて、ジャイロ、きみの夢の中でぼくはなにをしている?満足できてる?できてないなら起きてみなよ、きみが満足するまで付き合うから。その代わりに、きみの熱く滾る太いペニスを、血管の浮き出るグロテスクなペニスをぼくのケツ穴にぶち込んでくれ。
「あ、あぁン、っァ、じゃいろ、はァんっ」
堪えきれなくなって、下着の中に手を突っ込み、直接ペニスに触る。
「ぅあっ、おおん…」
鼻から息が抜ける。ジャイロのフワフワな手からしたらぼくの手なんて比べ物にならないけれど、今はこれしかない。幹に指を巻きつけて上下に擦る。下着の中で手が動かしにくい。でも興奮しきったぼくにはあんまり関係の無いことだ。もっと気持ち良くなりたい、もっと、もっと。
ぼくは動かない腰を精一杯揺らめかせ、口の端から唾液を垂らしながら喘ぎ声を漏らす。ジャイロの耳元で。ペニスの裏筋を擦り、カリ首のあたりを優しく引っ掻き、亀頭を親指でこする。尿道口からはとぷとぷととろみのある液体が溢れ、幹を擦る指の動きを早める。
ああもう、キモチイイ。これでジャイロのペニスがあれば最高なのに。
いつもジャイロはぼくにしてくれるとき、どうしていたっけ?ぼくのペニスを擦りながら、ごつごつした指をゆっくりとぼくの肛門から中へ埋めてゆく…しばらくそのままで、ぼくが慣れるのを待ってくれる。そのうちぼくの腸はジャイロの指を引き込むような動きに変化してくる。そうするとジャイロは指をすすめ、前立腺のあたりを優しく刺激する。まずは前立腺の周りを…そして、そう、一番の性感帯である前立腺を、容赦無くぐいっと押す。前立腺から脳天にかけて電気が走り抜け、ぼくは意味のわからない悲鳴みたいな声をあげる。ジャイロは金歯を見せつけるようににやりと笑う。
それから、それから?ぼくの手は止まらない。幹を上下に擦り続け、亀頭をこすり、時たま思い出したように陰嚢を揉む。
それからジャイロは一気にぼくの前立腺をいじめぬく。ぼくは目の前がチカチカしてきて、気絶するんじゃないかとさえ思う。頭に血がのぼって、ありとあらゆる場所の血管が破裂しそうになる。唾液を垂らし、意味をなさない言葉を発し、女の子みたいな喘ぎ声を発し続ける。まるで拷問だ。前立腺を爪をたてて引っ掻かれ、指の腹で撫ぜられ、吐精しないようにペニスの根元は抑えられ、肛門に入った指は二本に増やされる。増えた指はぼくの腹の中を縦横無尽に動き、広げるような動きもしてしみせる。たまに、広げた肛門から中へ、ジャイロがフッと息を吹きかける。ぼくは動かない足を動かそうと、腰を高く持ち上げる。
「じゃいろォ、ンはぁ、ああぁ…っうぁ、はァんンッ」
ぼくの背が跳ねる。浜に打ち上げられた魚のように、酸素を求め唾液にまみれた口をぱくぱくとさせて、背骨を跳ねさせる。キモチイイ。最早ここが(隣の部屋は多分誰もいないにしろ)壁の薄いモーテルの一室であることなどぼくの頭からは吹っ飛んでいる。
それから、それから?ジャイロはすっかり勃ち上がった彼のペニスを――赤黒くグロテスクな色をした、太いペニスをぼくの肛門に擦り付ける。ぼくの口からは唾液と吐息と喘ぎ声が一緒に漏れ出す。肛門はひくつき、早く欲しいとねだる。欲しい、欲しい、ジャイロのソレが欲しいと何度も声に出して言う。動き辛い腰を押し付け、早く早くとジャイロにねだる。ジャイロはにまにまと笑う。でも彼にも余裕というものは殆ど残されていない。何度目かのおねだりの途中で、彼は怒張したペニスをぼくの中に突き入れる。腸のひだを押し分け、一直線に一番奥を目指して。ぼくは白目を剥いて失神してしまいそうになる。頭蓋骨の中で脳みそが爆発する。ぐちゃぐちゃになる。ジャイロは無我夢中で腰を振る。彼のカリ首が、亀頭が、ぼくの体内で前立腺を押し潰しながら出たり入ったりする。ぼくらはほぼ完成する。この頃、ぼくの意識は朦朧としている。
ぼくは夢中でぼくのペニスを擦る。身体中あっつくて、きもちよくて、もっときもちよくなりたい。
「ア、あァッ、ジャイロ、じゃいろ、キモチイイ」
ホントはきみのペニスがあった方がもっとキモチイイし最高だけど。
ああでももうイきそうだ、ペニスが爆発しそうだ。ティッシュあったっけ?ない、ヴァルキリーの中だ。どうする?こらえる?無理だ!できっこない!仕方ないから両手を突っ込む。
「ン、はン、も、イくっジャイロぉっ、イくイく、ぼくイっちゃ、ひゃぁあああうゥッ――ッッ!」
尿道口を親指の爪でえぐる。
熱いものが精嚢から尿道へ、たまりにたまった熱を一挙に解放する。キモチイイ。
耳元で星がうたう。うるさい。はるか下で今にも死にそうなぼくが白目をむいている。あつい。つめたい。
両手に飛び散った精液は暖かい。ゆっくり瞬きをする。疲れた。だるい。こんなことしなきゃよかった。
荒い息と、空調の唸り声。濃紺にもやをかけるモーテルの看板のあかり。
ぽん、と肩に何かが触れる。
「…ジャイロ?」
かすれた声が喋る。小さく囁いたはずなのに声は部屋の中に響く。
ていうか、起きてたの?ウソだろ。
「ジョニィ…寝ろよもう…」
ぽん、ぽん、と一定の間隔でぼくの肩を叩く。あったかい、ジャイロの掌。いつもなら心地いい体温。だけど今はいらない。
「起きてたの?マジ?いつから?ぼく何回も起きてって言ったのに」
ジャイロがうっすらと目を開いてぼくを見る。ああ、キラキラしてる。そんな目でぼくを見ないで。ボトムの中に、下着の中に両手を突っ込んで自分の精液を受け止めたぼくを。
「そりゃおめー…耳元でシコシコハァハァされたら起きるわ」
眠そうな声。かわいそうに、ぼくに睡眠を邪魔されたんだね。でもぼくの方がもっとかわいそうだった。ジャイロの手はぼくの肩を優しく撫ぜている。
「耳元ではハァハァしてただけだろ。シコシコはきみの腰のあたりだぜ」
「変わんねーよ」
いつもより低い声で、ワンテンポ遅れて返ってくる返事。
ジャイロにオナニーを見られていたことはあんまり気にならない。何度かあるし。不思議なことに、今の今までオナニーのオカズにしていたジャイロの体温が嫌でたまらない。一人になりたい。向こうのベッドに移ってくれないかな。
「ジャイロぉ」
頭でジャイロの首元を押す。いてェよ、と抗議の声が聞こえる。寝かせてくれよ、とも。いいよ、きみが向こうのベッドに移るなら。
ぼくの肩を撫ぜていたジャイロの手はいつの間にか動きを止めていた。
「おたくは座ってるだけでいいかもしんねーけどよォ…オレは明日も運転すンだよ…寝かせてくれって」
それならぼくが運転しようか?できないけど。
「じゃああっちのベッド行って。そしたら寝ていいから。あっつい」
ジャイロは大きくため息をついた。オーボーだとかなんとか口の中でつぶやいているけれどはっきりとした言葉にはなっていない。
「あっついなら…シャワー浴びれば…せーしまみれの両手もあんだろ…」
「めんどくさい」
「なら寝ろよ…」
ジャイロがぼくの体を抱きしめて、いよいよ寝る体制に入る。ちょっと待ってよ、ぼくのこと抱き枕かなんかと勘違いしてない?しかもまだぼく両手を下着の中に突っ込んだままなんだけど。
「あついよジャイロ」
返事の代わりに静かな寝息。さっきジャイロがしたみたいな大きなため息をひとつ。空調が笑った。
カーテンを開けっ放しにしたままの窓の外を、いくらか遠く見える空を見上げる。太陽がいないせいで空に雲があるのかないのか、どんな絵の具を混ぜているのかはよく見えない。ひとつわかるのは、雲があったってなんだってその向こうに星があるってこと。ギターの上でマンドリンが音を零すように、星ははるかな空の向こうで、光の速さをもってしても何億年とかかる距離からぼくらを狙ってる。太陽が東から昇り西へ沈むのと同じように、星はいつだってそこに在る。
ぼくは?ぼくはいつでもここに在るか?ぼくはどこへ向かっている?
萎えたペニスが指に触れる。下着のゴムが手首を締めて痛い。体に巻きついたジャイロの体があつい。
ヴァルキリーの中でゆらゆら揺れるクマちゃんはどうしているだろう。マギー・メイとジョニー・B・グッドを聞いて笑ったクマちゃんは、さみしくないだろうか。いや、さみしくなんかない、だってヴァルキリーと一緒だから。ぼくがジャイロと一緒にいるように、クマちゃんもヴァルキリーと一緒にいる。
ヴァルキリーの中でロッド・スチュワートは歌った、ぼくは家に帰るよって。兄さんは口ずさんだ。ぼくは家に帰るよって。ぼくも口ずさむ。ぼくは家に帰るよ。でもぼくはもう帰るべきところにいる。家を出てきたけど、ぼくには帰るところはいつだってひとつだ。
「ジャイロ」
そっと囁く。ジャイロの口がゆっくり弧を描いた。夢の中で楽しい思いをしているに違いない。そこにぼくはいる?ぼくは何をしているだろう?きみに笑いかけている?それとも不機嫌なフリをしてる?ぼくがいないなんてことはないだろ、なあジャイロ。ぼくを抱きしめたまま眠っているんだ、ぼくの夢を見なきゃダメだよ。
さっき、ジャイロが起きて向こうのベッドに行ってしまわなくてよかった。でもきっとそうだったとしても、ぼくはしばらくしてからジャイロの隣に行っただろう。そうするしかないし、そこがぼくの場所だから。ジャイロのいる場所はいつだって光り輝き、ぼくを引き寄せる。うっすらした夜の光に照らされ、青白く光るジャイロはぼくを離さない。ほんの数分前まで暑苦しかった彼の体温は今でもあついことには変わりないけれど、空調のおかげか心地よいあたたかさに変化してきている。
明日は晴れるかな、雨かな。どっちだっていい、ぼくらはどっちにしろヴァルキリーに乗って東へ行くから。それか、北か南へ。行き先はどこだっていい。
ジャイロ、明日またジョニー・B・グッドをかけてくれよ。GO! ジョニィ、GO! GO! ってさ。きみにそう背中を押されたら、ぼくはなんだってできる気がする。跳ねるギターとピアノがぼくの体を前に進めるから。そしたらきみも前へ行くだろ?朝日に背を向けてさ。
ぼくらは一緒だ。ジャイロと、ヴァルキリーと、ぼく。どこまでだって行ける。




210714(220714 加筆修正) こまち






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