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『幸せとは何か?』
かつての俺なら、鼻で笑っていた問い掛けだ。
『幸せ』などこの世の中には存在しない、少なくとも俺自身には『幸せ』など最も縁の無い言葉だった。
『幸せ』なんて何の意味も無いただの幻想に過ぎない、と本気で信じていたのだから。
だが、今ならば違う答を返すことが出来る。
何故ならば、俺は『幸せ』という物をやっと見つけられたのだから。
やっと見つけた俺にとっての幸せは、愛するヨーコの傍に寄り添う事だ。
かつての俺には、守るべき物など……自分自身位しかなかった。
自分以外は、全て利用するべき存在でしか無かった。
ドブネズミの様に生きてきた俺には、それ以外の他人との関わり方を知らなかったのだ。
俺は孤独だった。
誰かに愛された事も、誰かを愛した事も無かった。
………それでも良かったのだ。
この手が汚れきっていようと、欲しい物は何でもこの手で掴んできたのだから。
女だろうと金だろうと、必要な物は何時だって手に入った。
俺程の容姿の男なら、寝たいと渇望してくる女なんて幾らでもいたのだから。
…………だが、何を手にしても、俺の心は何かが欠けてしまっているかの様に、満たされる事は無かった。
しかし、………あの街でヨーコと出会ってからは、全てが優しく変わり始めたのだ。
弱々しく優柔不断に見えるのに、本当は芯が強く誰にも負けない程の優しい勇気を持っている。
控えめで、生真面目で、純粋で、可憐で、………見る角度によって色を変える宝石の様に様々な面を見せるヨーコに、その新たな面を見付ける度に惹かれていった。
共に行動し始めたのは気紛れからだった筈なのに、気が付けばもう自分ではどうしようも無い程にヨーコに惚れ込んでいた。
初めてだった。
自分以外の誰かを守りたい、……そう思ったのは。
愛しくて、何をしてでもその優しい微笑みを守りたくて。
優しさなんて知らなかった筈の俺の中に、温かな思いが芽生えていた。
…………そう、初めてだったのだ。
愛されたい、と思うなどと。
力付くで手に入れるのではなく、ヨーコの方からも俺を愛して欲しいと願うなど。
果ての無い闇の中に射し込んだ光………。
俺にとってのヨーコは当にそれだった。
その傍にいるだけで、俺は孤独から救われていたのだ。
ヨーコに寄り添っているだけで、今までは何をしても満たされる事は無かった心の渇きは、不思議と消え去った。
ヨーコが俺に穏やかに微笑みかけてくれる度に、ヨーコに鈴を転がしたかの様な声で名を呼ばれる度に、言葉には出来ない程の喜びが俺の胸を満たすのだ。
最早、ヨーコの居ない日々を考える事など出来ない程、彼女を愛している。彼女の存在こそが、俺の生きる理由なのだ。
だが、………ヨーコから愛されていると分かっていても、俺はまだ心の何処かにどうしようも無い闇を抱えている。
ヨーコの手に俺の手を重ねる時に、時折何処か後ろめたさを感じるのだ。
俺とヨーコでは生きてきた世界が違い過ぎる。
喩えヨーコという光を手にしていても、俺の手が汚れきっている事には変わらない。
そんな手で、ヨーコに触れる資格などあるのだろうか?
………時折不安になるのだ。
ヨーコに寄り添って生きるという事は所詮は叶わぬ夢なのではないか、と。
空を飛ぶ事は叶わぬ獣が、空高く舞う鳥を見上げて、自分も飛べる気になっているだけなのではないか、と。
だから………何時の日にか、俺はヨーコを喪ってしまうのではないか、と。
ヨーコには、俺よりも相応しい男がいるのかもしれない。
だが、俺にはヨーコしか居ないのだ。
ヨーコを喪っては、俺はきっと生きていく事さえ出来ない。
だけど、俺がそういった不安に苛まれていると、ヨーコはそっと俺に微笑みかけてくれる。
そして、何も言わずに何も問わずにただただ俺に寄り添って、その手をそっと俺の手に繋いでくれるのだ。
『大丈夫』と、言葉にはせずに伝えようとしているかの様に。
ヨーコに微笑みかけられる度に、彼女の優しさに触れる度に、俺の心に巣食った闇が少しずつ薄れていく。
………それでもきっと、その闇が完全に消え去る事は無い。
過去は決して無かった事には出来ないのだから。
だから、これから先も何度だって不安に苛まれてしまうのだろう。
……だが、それでもいい。
この手を重ねる度に伝わる温もりが、言葉にせずとも伝わる優しさが、春の陽射しの様な微笑みが。
何度だって闇に囚われそうになる俺を照らし出してくれる。
二人で重ねていく日々が、全てを温かく包み込んでくれるのだから。