世界を変える願い事







『不気味な程静かね……。
照明だけは着いているのが救いだわ………。』

園内は不自然な程の静寂に満ちていて、そう呟くアリッサの声がやけに響いた。
空には雲がかかり、星明かりすら地上には届いていない。
辺りは既に夜の闇に包まれていて、ポツポツと所々で灯された照明だけが微かに暗がりを照らしている。

檻の中に動物達の姿は無い。
そこにいた筈の動物達は何処へ行ったというのだろうか。

……恐らく、無事ではないのだろう。


シンディは何度かこの動物園を訪れた事があったが、記憶の中の楽しかった動物園の風景と、今目の前にある、廃墟の様な物悲しさと不気味さが漂う風景とがどうしても重ならなかった。



『これがこの園内の地図ね………。って結構広いのねー…ここって。
で、今居るのが園内通路の南ね。』


『たしか……正面ゲートの前から路面電車が出ているんでしたよね?』


ユイと同じく園内の案内図を見上げていたハルが確認の為にか振り返った。

『えぇ、そうよ。その路面電車でトラムターミナルへ行けるわ。』


何度かその路面電車を利用した事があるので、確信を持ってシンディは頷いた。


『ここからだと………どう行くのが近いんでしょうか。』


地図を指でなぞりながら、ハルはポツリと呟いた。


『この動物ステージからとかじゃない?
ま、この地図通りに道があれば、の話だけどね。』


アリッサは肩を竦めて言った。
確かに……それは心配だ。
ここに来るまでの道も、火事やら障害物やらで通れなくなっていて、地図通りの道があった事なんて殆どなかった。
動物園内もあちこちで道が塞がっているであろうことは想像に難くない。



『っ!?
皆!静かにして!!』


その時、ユイが何かに気付いたのか、ハッとした様に辺りを見回した。
皆咄嗟に口をつぐむと、ただでさえ静かだった園内は痛い程の静寂に包まれる。
何事かと耳をすませると、ズシン、ズシンと微かな地響きが何処からか聴こえてきた。


『な、何の音だ?』

『……何かの足音………だな。』


ジョージとマークは辺りを不安げに見回している。
そうこうする内に音はどんどんと近くなっていた。

足音の正体がなにかは分からないがとても嫌な予感がする。


『この足音の大きさからして………象とかでしょうか……?
っ!!』


ハルが弓を握りしめて上を見上げ、驚いた様に目を見張った。



『皆!来るわ!』


ユイも上を見上げ、鋭い声で何事かを警告する。
その直後、ドンッという音と共に巨大なコンクリート片が落下してきて、その下にあった移動式のポップコーン販売車を押し潰した。


『後ろから来ますっ!!』


ハルはそう叫び、先程通ったばかりのゲートを振り返る。
全員が咄嗟に振り返った瞬間、それはゲートを突き破って現れた。
ゲートを瓦礫の山に変えたそれは、降り注ぐ細かなコンクリートの欠片を振り払うかの様に大きく頭を振った後、高らかに咆哮をあげた。


『まさか、これって……!』

『なっ……なんて大きさだ!』

『こんなのをどうしろと言うのだ!』


アリッサとジョージ、マークは信じ難いとばかりに唖然として。


『随分と立派な象ね………。
本当に………こんなの冗談じゃないわ。』

『部長!危険ですからもっと離れて下さい!!
……この象も、もうゾンビになっています!』


ハルの言う通り……、それはゾンビと化した《象》だった。
腹は半ば裂けて腸膜に包まれた腸管の一部がその傷口から垂れ下がり、あちこち傷付いている皮膚の下から腐敗臭を漂わせた腐肉がのぞいている。
かつては知的に輝いていたのであろう瞳は白く濁りきっていて、そこには一片の理性も見出だす事が出来なくなっていた。

そう、それは、象であったモノの成れの果てであった。



『嘘……オスカー……なの?』


生ける屍と化してなお堂々たるその姿に、シンディはこの動物園のかつての看板スターであった象の《オスカー》の面影を見出だした。

あぁ……そんな……と、シンディの胸は哀しみに溢れた。
……そんな事はありえないだろうとは分かっていたけれど、何処かで無事である様にと、………せめてゾンビと化してはいないようにと祈っていたというのに……。
まさかこんなに変わり果てた姿を目にしようとは………。
この生ける屍はもうオスカーではないのだと分かっているのに………、かつて……この動物園の象ステージで楽しげに芸を見せていた生前のオスカーの姿が脳裏にちらついて離れなかった。






だが、そんなシンディの悲しみをゾンビと化したオスカーが解する訳も無く、ゾンビ象は淡々とその牙にかける獲物としてシンディを選んだ。


『っ!シンディ!!危ないっ!!』


シンディ目掛けてオスカーはその丸太の様な前足を振り上げ、無慈悲に振り下ろす。

恐怖と哀しみで固まった様に動けなくなったシンディを、全速で駆け寄ってきたユイが突き飛ばすかの様に押し倒した。

その直後にまさに間一髪でシンディとユイの僅か数センチ横に前足が降り下ろされた。
その一撃はタイルで舗装されていた地面に穴を空け、破片と化したタイルを巻き上げて土煙を巻き起こす。



「部長!!」


ユイの安否を心配するハルの声が土煙の向こうから聞こえた。


「ハル!私は大丈夫よ!」


シンディと共に地面を転がったユイは素早く立ち上がり、シンディの手を掴んだ。


『怪我は?って聞きたいとこだけど、そんな暇は無さそうね……。
走れる?』

『えっ…えぇ、……大丈夫よ。』


ユイの手を借りて立ち上がったシンディは、殺されかけた所を間一髪で助かった恐怖から少し上の空で頷いた。


『なら、良し!
シンディ!ジョージ!!走るわよ!!』


そう言うなり、ユイは近くにいたジョージの腕も掴み、駆け出す。


数瞬してから、やっとシンディを殺し損ねた事に気が付いた象は、獲物を逃がすか、とばかりにその後を追ってきた。


『ユイ!追ってきてるわ!!』

『分かってる!!
チッ!しつこいわねっ!
兎に角あの扉まで全力で走るわよ!!』


ユイが目指しているのは前方にある半開きになっている扉だ。
そう距離がある訳では無い。目と鼻の先と言える距離だ。
だが本気を出して追い掛ける象に、人間ごときの脚力で逃げ切れる訳はなく、グイグイとその距離を縮められていく。


「部長っっ!伏せて下さい!!」


ハルが何かを叫び、その次の瞬間にユイはグッとその身を屈めた。
ユイに腕を掴まれていたシンディとジョージも必然的に体勢が低くなる。
すると僅か数秒の差で、シンディの頭のすぐ上を、象が振り回した鼻が通り過ぎた。
ブゥンッと風を切る音までハッキリと聞こえたが、何とかシンディもジョージも無事だ。


「ハル!ナイスよ!!」


直ぐ様体勢を立て直したユイは再び走り出す。


そして扉に飛び込んだ瞬間、背後から轟音が響いた。




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