世界を変える願い事







ふとヨーコが目を醒ますと、横で眠っているリンが魘されている様に苦し気な顔をしていた。
きっと……悪い夢でも見ているのだろう。
仕方が無い……こんな状況では……。

「リン……大丈夫?」

魘されているリンを放っておく訳にはいかないので、ヨーコはリンの肩を軽く揺すった。


「っ!!?」


ヨーコが軽く揺すったその瞬間、リンは跳ね起き、苦し気に荒い息を何度も吐きながら目元を手で覆った。

そして、側にヨーコが居るのを見て、泣きそうな顔になる。


「あの…リン…?大丈夫? 」

「あ、あぁ……大丈…夫…だ…。
……悪い…とても、悪い夢を見ていただけだ…から…。」


その悪夢の事を再び思い出してしまったのか、リンは苦し気に目を瞑る。
その夢の内容を知る事はヨーコには出来ないが、余程の悪夢だったのだろう。
今のリンはまるで悪夢に怯える幼い子供の様だった。


「リン……大丈夫よ、……あなたが見ていた悪い夢は何処にもないわ。
ほら、安心して……。」


ヨーコはリンを抱き締め、その背中をさすった。
リンはすがり付く様にヨーコの上着を強く掴む。
すると次第に荒かった息が落ち着いた様に静かになっていった。


「落ち着いた……?」

「あぁ……もう、大丈夫だ。
……かなり長い時間…眠ってしまっていた様だな……。」

「仕方無いわ。……リンはこんなにボロボロなんだもの……。
休息は必要だわ……。」


包帯だらけのリンの手をヨーコは優しく包んだ。

あの凍て付いた地下研究所を脱出した後、ヨーコ達は街の外れにある閑静な住宅街に身を潜めていた。
電車の線路があのまま街の外まで繋がっていたのなら良かったのだが、残念ながら線路は途中で途絶え、ヨーコ達はそこで降りざるをえなかったのだ。
そこでヨーコ達はこの住宅街に辿り着いたのだった。
この辺り一帯はもう随分と前に住人が完全に逃げ出してしまっていたからか……ゾンビ達すらこの辺りには殆んどいなかった。

全員が体力の限界だった事もあって、休息の為に住宅街の中のある一軒に身を潜める事にした。
どう考えても不法侵入なのだけれど、そんな事に構っていられない位にヨーコ達は切羽詰まっていた。

強酸に肌を焼かれ、更にはあの化け物……Gに殴られた時に以前の傷口が開いてしまったリンは、満身創痍の重態だった。
最早動けているのが傍目から見ても不思議な程だった。
恐らくは気力だけで何とか歩いていたのだろう。
リンの為にも…何処かで休む必要があったのだ。

実際リンはこの家に入るなり、気力が尽きたのか倒れる様に気を失ってしまった。
それを皆で協力してソファまで運び、家に常備されていた薬と包帯で簡単な治療を施したのだ。
その後……交代で見張りを務めながら休息を取る事を話し合って決め、取り敢えず一番最初に休む事を許されたヨーコは、リンの傍でうとうとと寝入っていたのであった。



「いや………私の傷はもう随分と良くなったよ。
手当てしてくれてありがとう。
それよりも………ヨーコの方こそ、大丈夫なのか…?」

リンは気遣わし気に湿布が貼られたヨーコの腕に触れる。

「平気よ……。……打ち身だけで済んだみたいだもの……。」

Gに殴り飛ばされてしまったヨーコだったが、幸い頭を打つ事もなくただの打ち身ですんでいた。
念のため湿布を貼っているが、リンに比べればずっと軽傷である。


「だが………私はヨーコを守りきれなかった……。
あいつの攻撃から……ヨーコを……。
……すまない……もっと私が強かったのなら……きっとヨーコに傷一つ付けさせずにすむのに……私が弱いばかりに……。」


申し訳なさそうにリンは俯いた。
…………。
リンは、ヨーコが…いやヨーコに限らず仲間達が傷を負うのを極端に恐れている。
Gとの戦いの後、ヨーコに傷口が無いのを確認して安堵した様に微笑む満身創痍のリンの笑顔は、ヨーコの胸を酷く締め付けていた。


「弱いだなんて………そんな事は絶対にないわ……。
リンは強いわ……私はずっとあなたに助けられてきたもの……。
でもね…、強いとか弱いとかの問題じゃなくて…、…私の事まであなたが背負う必要はないの…。
リンが助けてくれるのは嬉しい…、でも…あなたは色々と背負おうとし過ぎよ……。
そんなのでは……何時かリンは潰されてしまうわ……。」


端から見ていて自分を追い詰め様としているかの様に、リンは全てを背負おうとしてしまっている。
他人の生き死に……果ては怪我の有無まで背負い込もうだなんて……。
これでは、何時リンの心に限界が訪れてもおかしくはない。

一体何がリンをそこまで駆り立ててしまっているのだろう。
何故、自らを犠牲にしてでも他人を助けようとし続けるのだろう。


「…………そう…かもしれないな。
だが…………どれ程些細な傷であろうとも……ヨーコ達を傷付けさせたくはないんだ…。
だが……そう誓っても……私の力が及ばない事ばかりで……結局は皆を危険に晒してしまってばかりだ……。
自分の至らなさに、腹が立つよ……。」

「ねぇリン……。
どうしてあなたはそこまでして私達を守ろうとするの?」

「それは……。」

リンは困った様に言葉を濁す。
僅かな傷すら、ヨーコ達に付けさせまいとするのはやはり尋常な事ではない。
そこには何か理由があるのだろう。
恐らくは、この街に起きている異常に関係する何かが。


「何か言えない理由でもあるの……?
……もし、話せるなら教えて……。
私達に関わる事なら……知らないままではいてはいけないから……。」

そう訴えると、リンは観念した様に目を瞑り、大きな溜め息を吐いた。


「そう…だな……。いつまでも、知らないままでは…。
分かった、話すよ。
だが……出来る事ならば、ケビン達には…伝えない方が良い……のかもしれない。
………知った所で、愉快な話でもないのだから……。」

そして、リンは訥々と語り始めた。


「この街に起きている異常……ゾンビ達の発生は、……あるウイルスが原因なんだ。
……そのウイルスの名前は、タイラントウイルス……通称、t-ウイルスだ。
このウイルスに感染すると、大脳が侵され著しい知能の低下が引き起こされ………それと同時に、代謝の変化によって…皮膚は腐敗を始め…感染者は強烈な飢餓に襲われる……。
……ここまで言ったらもう分かるだろうけど、……私達に襲い掛かってくるゾンビは、皆t-ウイルスの感染者だ……。
このウイルスは、感染者に噛み付かれたり、引っ掛かれた時に体内に侵入してくる。
………そして、体内で増殖を続け……ある一定以上になると、発症する……。
発症してしまったら最後、もう何をしても、元には戻れない…。
……ゾンビ達から攻撃を受けるという事は………ゾンビに成り果てるリスクを背負うという事だ……。
だから、……私は……。」

「そんな……。
そのウイルスを抑える方法は無いの……?」

「あるには、ある。
例えば、ハーブを食べれば……一時的にとはいえ、ウイルスの増殖を抑える事が出来る…。
もしくは……ハーブから精製出来る抗ウイルス剤を服用するか……。
だが、どちらにしてもその効果は長くは持たない……。
それだけ、強力なウイルスなんだ……。
………あるいは…………いや、何でもない、忘れてくれ。」

リンは何かを言いかけて口を噤だ。
だがその事に気付けない程、リンから告げられた事実はヨーコには衝撃的だった。


人をゾンビにしてしまう恐ろしいウイルス……。
しかもその治療方法は無い……。
そして、何よりも恐ろしい事に、ヨーコはt-ウイルスの名前を知っていた。
失われた記憶の何処かに、t-ウイルスの名前があった。
本来なら知らない筈なのに……。


「ねぇリン……それが事実だとして、どうしてあなたはそれを知っているの?」

「それは……。……ここに来る以前に、私はこのウイルスについて知る機会があった……。
………だから………すぐに、この事態がt-ウイルスの仕業だと分かったんだ……。」


恐らくそれは嘘ではないのだろうけれど、きっと真実の全てを語っているのではないのだろう。
まだリンには隠している事がある。
でも、それよりも……。


「もし、噛まれたり引っ掛かれたりしただけで感染するなら、リン…あなたは……。」

「あぁ、そうだ。………感染している可能性がある。
もし……感染しているなら……私はそう長くは持たない……。
遅かれ早かれ……理性の無い怪物として……ヨーコ達に襲い掛かってしまうだろう……。」

だから…とリンは少し悲し気に呟いた。

「もし、私が感染してしまっていたら………もし、死ぬのが間に合わずに、ゾンビと化してしまったら………迷わずに、殺して欲しい。
我が儘かもしれないが………頼む。」

「そんな……。」

そんな事、考えたくもない。
もし、それが現実になったとしても、……きっとヨーコには引き金を引けない。

「………すまない、…変な事を言ってしまったな……。
思いの他、どうにも気弱になってしまっていたらしい……。
………まだ、感染したと決まった訳ではないから……。
要らぬ心配をさせてすまないな。」


そしてリンは背負っていたリュックから一つの薬瓶を取り出した。
あの地下研究所から持ち出した物だ。

「これ……。」

「恐らくは…t-ウイルスの感染を確かめる薬だろう……。
これを使えば……。」


そう言ってリンはヨーコにその瓶を渡した。

「少し、持っていてくれ。準備するから。」


そしてリンは立ち上がった。




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