世界を変える願い事



《Jack's Bar》という単語自体はそう珍しい物では無いかもしれないが、凜はその名前の店を見て驚くしか出来なかった。

凜はその名前も、この店内の光景も、更にはさっき凜に声を掛けていた女性も、よく知っていたからだ。

そう、確かに『知って』はいるのだが……。


(嫌々、ちょっと待ってくれ。
こんなのは有り得んだろう。
《J's BAR》が現実に存在するはずなどないのだから。)


凜は混乱した。

それもそうだ。


何故ならば《J's BAR》とは、凜のお気に入りのゲームである《バイオハザードシリーズ》の1つ、《バイオハザード アウトブレイク》に登場する架空のステージだからだ。
そんなものが現実に有ろう筈がない。

ならばこれは夢なのだと、凜は思ったが直ぐ様それを否定した。

この『現実』は夢というには少々リアル過ぎる。
酒の匂いが染み付いた店内の空気も、やや年季が入っている感じがする凜が座っている席も。
夢ならばここまでの現実感はないだろう。
物を触った感触も確りと伝わってくる。
手の甲に微かに爪を立てると、鈍い痛みを感じた。


凜は店内をもう一度見る。


そこには。
酒を飲んでいるケビンが、1人静かに座っているデビットが、ノートパソコンに何かを打ち込んでいるアリッサが、パズルか何かを解いているジムが、ちらりとアリッサを見詰めているジョージが、カウンターにいるシンディが、ボブと一緒に座っているマークが、いた。


まさにゲームのオープニング通りだ。
ただ、その場に凜がいる事を除けば、だが。
凜という《異物》を内包したまま、《現実》はフィクションであるゲームそのままにそこにある。


(嫌…待て……。)


あまりもの事態に混乱し、硬直していた凜はとても重要なことを思い出した。

そして思わず椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。

そのあまりの勢いに店にいた全員が注目してきたが、それは今の凜にとってはどうでもよかった。

今大事なのはたった1つだ。


(今は……何時だ…!?)


窓の外に目を凝らし、外の状況を把握しようと努める。


(もし、この嫌な予感が当たったとしたら、今は…!)



凜の嫌な予感を裏付けるように店のドアが開かれた。


そして入ってくる《何か》。
何かが腐っている様な酷い悪臭、白く濁り始めた何処にも焦点が合ってない眼球、ぎこちなく蠢く腕、足を引き摺る様な歩行……。

その余りにも異様な様子に店の店員、ウィルが声をかけようと近付こうとした。


(ヤバイ……!)

凜の脳裏にゲームのある場面が過る。
彼の行動の結末も一緒に。

その瞬間。

「それに近寄るな…!!」

思わず凜は駆け出し、ウィルが《それ》に触れる前に《それ》を蹴り飛ばした。






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