小湊亮介


「昨日、先輩みたいなもの見つけたんです」

 さわさわと私の声に反応したように、中庭の満開の桜が一斉に揺れた。その小さな花弁たちは、雪のようにふわりふわりと舞い落ちていく。
 お昼休み、私は彼氏である小湊先輩と中庭のベンチに座って、一緒にお弁当を食べていた。
 まだわずかに肌寒さの残る四月。薄く曇った空からは、時折、淡い光が漏れている。実際に桜の咲く時期というのは、頭の中のイメージの春よりずっと気温が低くて、“花冷え”なんて昔の人はうまく言ったものだ。

「俺みたいなもの?」

 小湊先輩は手元のお弁当箱の蓋を閉じながら、私の方を向いた。寮から持たされている野球部のお弁当箱はでたらめに大きくて、初めて見た時はとてもびっくりした。しかも先輩はそれを平然と平らげるのだから、その驚きは二倍。一体この小柄な体躯のどこに収まってるんだろうと、いつも不思議に思う。

「まだお腹に余裕ありますか?」
「余裕、とは言いがたいけど」
「じゃあ今じゃなくてもいいんで」

 私は小さな紙袋からパックを取り出した。
 「なに?」と先輩が不思議そうに覗きこむ。
 その透明のパックの中には、小さな春を詰めこんだみたいな、色とりどりの可愛らしい和菓子たち。桜餅と三色団子の二つだ。
 これは昨日、学校の帰りに買ったものだった。通学路の途中にあるその和菓子屋は、いかにも歴史ある風情のお店で、高校生の私には近寄りがたく、今まで一度も入ったことはなかった。けれど昨日に限ってなぜか、開け放された店先から覗くショーケースに心惹かれたのだ。それが一瞬だけ視界に入って、どうしても気になり引き返した。様々な種類の和菓子の中で、一際私の目を引いた、ちょこんと澄まして並ぶ桜色たち。それを見た瞬間、ああ似てるってピンときた。

 私と小湊先輩が付き合いはじめたのはつい最近のこと。私は野球部のマネージャーで、先輩は一学年上にあたる。付き合いはじめの浮き立った私の心は、自然、彼氏である先輩みたいなものを求めたんだと思う。
 今でこそ恋人関係の私たちは、けれど、最初からそんな雰囲気があったわけではなかった。――実を言うと、入部当初私は、小湊先輩があまり好きじゃなかった。

「和菓子?」
「はい。ちょっとお花見っぽくないですか?」
「へぇ、名前にしては随分気がきくね」
「『名前にしては』は余計です」

 不満をこぼす私とは対照的に、先輩は余裕の薄い笑みを浮かべた。

「で、これのどっちが俺っぽいの?」
「こっちです」

 私は蓋の上から、桜餅の方をつんと指し示す。すると先輩は、ああ、と得心したようにうなずいた。

「髪の色ね」
「ふふ、一見そう思うでしょ」
「違うの?」
「違わないけど、本質はそこじゃありません」

 ふーん、とかなり興味を示した様子の先輩。

「じゃあ、その本質とやらを聞かせてもらおうじゃん」

 と居ずまいを正した。

「そ、の、前に! まずは一つ、食べてみてください」

 私は強引に言ってパックを開けた。それを、どうぞ、と先輩へ差し出す。
 会話でも何でも、いつも主導権を握りがちな先輩の一歩先を行けるかと思うと、私の心はちょっぴり躍った。
 先輩はそんな私を横目に、桜餅を掴んで口へと運ぶ。

「ストップ!!」

 けれど私は、先輩が桜餅を食べる直前を見計らって待ったをかけた。

「......今、食べようとしてたんだけど」

 先輩は眉を寄せ、一旦それをパックに戻す。

「よーく、わかりました」
「なにが?」
「先輩は桜の葉っぱ、食べる派なんですね」
「そうだけど」
「私もなんです」
「それがなに?」
「なんで先輩はそのまま食べるんですか?」

 私は先輩のもっともな疑問をあえて流した。
 それが気に食わなかったのか、先輩はややむっとした面持ちだったが

「その方が美味しいから。葉の塩気がなかったら俺には甘すぎるし」
「そう! 塩気と甘さが絶妙にマッチしたこの美味しさが桜餅なんです」
「ま、食べない奴もいるよね」
「はい。私も小さい時、これ剥がして食べてたんです」

 へぇ、と先輩は桜餅に視線を落とした。

「これしょっぱいし、葉っぱ食べるってなんか虫みたいじゃないですか」
「ふーん、名前が虫か」
「え」

 先輩が、てんとう虫かな、なんて瞬殺しかねない笑顔で言うので、私は慌ててベンチをばんばん叩いた。

「とにかく! 昔は苦手だったんです」
「うん」
「でもある日、何気なく一緒食べたらすごい美味しくて。それ以来、剥がさずに食べてます」
「まぁ、突然好きになることもあるよね」

 はい、と同意してから、私はひとつ息を吸い込んだ。

「......小湊先輩のことも、私はじめは苦手だったんです」

 ――ついに、言ってしまった。から、もう後戻りはできないので、私は覚悟を決める。
 先輩は表情を変えず、静かに続きを待っていた。
 私はちょうど一年前の風景を見るように、咲き誇る桜に視線をやった。
 先輩も同じように、しばらくぼんやりそれを眺めていた。同じ桜を見ている。たったそれだけのことが、例えようのないほどの幸せに変わるから恋ってすごい。

 私は野球部のマネージャーを単純な憧れではじめた。けれど、実際のマネージャーの仕事は想像していたよりはるかに大変で、ミスばかりが続く毎日。そんなある日、私はあろうことか小湊先輩の前でケースからボールをぶちまけてしまうという失態をおかした。先輩は歩いている途中であり、当然足はボールに取られ、案の定転んで尻もちをついてしまった。つまり、図らずしも私は、先輩の弱味を握ってしまったのだ。
 小湊先輩についての噂は耳にしていた。毒舌家だとか魔王だとか、いずれにしろ、お近づきにはなりたくないものばかりの。

『......ドジっ子ってレベルじゃ、ないよね?』

 起き上がった先輩は私と目を合わせて、笑った。その時の先輩の表情は、一年経った今でもありありと思い出せる。その日からというもの、先輩は時々、私のミスを指摘するようになった。けっして口数が多いわけじゃない。でもその一言一言は、いずれも私の急所を貫くには十分過ぎるほどの威力があった。
 小姑先輩。ネチネチいたぶる小湊先輩にぴったりなネーミングだ。私は心の中でひそかにそう呼び、避けていた。

「私、あの頃結構落ちこんだんですよ? 先輩、容赦ないから」
「だってあんなドジ見たことなかったから」
「......それは返す言葉もございません」

 しかしそれからは、小湊先輩に指摘されないようにと私なりに努力を重ねた。最初はネチネチ言われることを回避するだけのつもりだったのに、次第に仕事のミスは減っていった。今では、マネージャーの仕事は人並程度にはこなせるようになったし、その過程で、自分のやりがいを見つけることもできた。
 そして半年ほど経った頃、はたと気づいたのだ。

「小湊先輩のおかげだったんだなぁって。私が今、マネージャー続けられてるのは」
「別に俺、大したことしてないけど」

 私は静かに首を振った。

「でも、そうなんです」
「......名前が、焦って表情変えるのがおもしろかっただけだよ」

 先輩はそうつぶやいて、私とは反対の方を向いた。
 人に注意を与えるのがどれどけ大変なことなのか、二年生になり先輩マネージャーになった今ならよくわかる。誰だって憎まれ役は遠慮したい。小湊先輩にどういう意図があったのかは知らないけれど、それは間違いなく私のためになったことだ。

「話、戻しますね」

 先輩が再び私の方を向く。

「先輩って一見きついじゃないですか。桜餅に例えるならこのしょっぱい葉っぱ。でもそれは外側の部分で、中にはちゃんと愛情という名の甘〜いあんこが詰まってるんです」
「............」

 先輩の表情はあいかわらずだった。笑っているのか、怒っているのか、はたまたバカなことを言う彼女に同情しているのか。

「名前さ、言ってて恥ずかしくない?」
「......はい」

 自覚は十分過ぎるほどに、ある。
それから先輩は、桜餅か、とつぶやいてそれに手を伸ばした。そのままぱくっと一口。

「悪くは、ないね」

 それは、桜餅の味を評したものなのか、私の小湊先輩への想いに対するものなのか定かではなかったけれど、私にはそれで十分だった。だって、気持ちはちゃんと伝わったと思うから。
 それから先輩は桜餅を平らげ、何気なくといった調子でパックの三色団子を指差した。

「そういえば、名前は三色団子好きなの?」
「はい。みっつ並んでて可愛いし、緑、ピンク、白で色も豊富じゃないですか」

 すると先輩はなぜか、しばらくそれをじっと見つめている。

「......じゃあこれは名前かな」
「え?」
「よく表情が変わるとこ。白は普通の状態」
「えぇ?! ああ、はい?」

 思わぬ展開に驚きつつも、私は先輩の様子をうかがった。

「緑はそう、青ざめたとこかな」
「えー、私こんな異星人みたいな顔色じゃありません!」
「だから例えだってば」

 先輩は口を尖らせ、私のおでこにチョップを食らわせた。
 思わず「いたっ!」とうなる。

「うぅ......地味に痛いです」

 本当はそんなに痛くなかったけれど、先輩の気を引きたくてわざと大げさにおでこをさすった。さっきのお返しだ。
 わずかに顔を曇らせた先輩が、おでこの様子を見るため顔を近づけてくる。ちょっとでも心配してくれたことに免じて、許してやらないこともない。そう思った時だった。
 私のおでこに、ちょんとやわらかい何かが触れた。かすかに漂う、桜の香り。
 その意味に気づいて、恥ずかしさで顔を伏せると、ピンクのお団子と目が合った。

「そっくりだよ」



chico


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