西瓜みたいな、どこか甘いにおいを含んでいる夏の夕方は、小さい時からすきだった。夏の夕方は懐かしい何かがそこかしこに潜んでいるような、そんな雰囲気を漂わせている気がする。
地面に伸びる自分の影を見つめながら、夕飯の食材が入っているスーパーの袋を持ち直す。お給料日の後でついたくさん買ってしまったから手が痛くて、きっと手のひらなんかは袋の跡がついて赤くなってしまっているんだろう。
顔を上げると、川に夕日が反射してきらきらと、思わず目をつぶってしまうほど眩しく光っていた。
川原で、子どもたちがサッカーをしている。ふと立ち止まって、じっとそれを見つめた。数年前まで、ああしてボールを追いかけていた三つの背中を思い出す。すでに記憶の片隅に収まってしまっている、まだあどけなさが残っていた顔を思い出して、自然と笑みがこぼれた。
しばらくそれを眺めてから、ふう、と大きく息を吐いて、また歩き始める。
辺りはゆっくりと、夕闇に包まれ始めていた。




背中を汗が伝っていくのを感じながら、アパートの階段を上っていく。カバンの中から鍵を取り出したときに、ふわりと風が頬をゆるくなでていった。それと同時に、ある物が視界に入る。

「…凰壮くん?」

古ぼけた柔らかな蛍光灯の光の下で、アパートの玄関の前に、エナメルのバッグを脇に放り出して座り込んでいる凰壮くんがいた。すいっと携帯から顔を上げて、こちらを見て目を細める。制服姿。学校の帰りにでも寄ったんだろうという事は、容易に見て取れる。

「どーも」
「…何をしてるのかなあ、君は…」
「アンタが帰ってくるの待ってたんだよ」

見りゃ分かんだろ、とでも言いたげな口調で、ぱんぱんと砂を払いながら立ち上がる凰壮くんを見上げる。彼は背が高い。追い越されたのはいつだっただろうか。もう、何年も前の話だ。
黙って見上げていると、訝しげに首を傾げて、それからまるで観察でもするかのように私の全身に視線をすべらせ、スーパーの袋に気づいたのかそれをひょい、と私の手から取り上げた。重たさから解放されて、じんじんと手のひらに血液が巡り始める感覚がする。

「…寄ってくの?」
「はあ? じゃなきゃ何のために待ってたんだよ」
「…はあ…まあいいけどさ…」

彼のこの傍若無人っぷりというか、まあ多少横暴なところには(残念な事に)とっくの昔に慣れてしまっていたので、今さら気にはしないけれど。せめて連絡くらいして欲しかったなあ。
鍵を開けて彼を先に通して、ばれないようにこっそりため息をつく。まあ、誰もいない暗い家に帰って一人でご飯を食べるよりは、たまには他の人と一緒にご飯を食べるのもいいか。




夕飯はちょうどひき肉もあるし、ハンバーグにしようかな。買ってきた物を冷蔵庫に押しこみながら夕飯何がいい、と聞けば、案の定ハンバーグ、と返ってきた。予想が当たった事に少し笑ってしまう。
不思議な関係だと思う。いや、不思議ではないのかな。色んな人がいる世の中から見たら、こんなの全然不思議でも何でもない、ありきたりな関係なのかもしれない。目の前でもくもくとご飯を食べる凰壮くんを見ながら考える。すごい勢いで食べるので、やっぱり成長期真っ盛りの子はすごいなあ、と思った。こんなに食べてくれると、私としても作りがいがあるというものだ。
凰壮くんと、というかあの三つ子と知り合ったのは彼らが小学校五年生の時。ついでに言えば、そのとき私は高校三年生。そんな彼らも、今や立派な高校生だ。私はとっくに成人を迎え、立派かどうかはちょっと自信が無いけれど社会人になった。わりと長い付き合いだと思う。そんな現役高校生という、私からしてみたら非常にうらやましい存在の凰壮くんは、三年前、大学を卒業したと同時に一人暮らしを始めた私の家にたまにご飯を食べに来る。これがいわゆるその不思議な関係、というやつだ。虎太くんは滅多にこっちに帰って来ないし、竜持くんとも時が経つにつれて少しずつ疎遠になってしまったわけだけれども、どうしてか凰壮くんとだけは、未だに時々こうして一緒に食事をするのだ。その理由というのが、

「…食べねえの」
「…えっ? …ああ」

伏せられていた目を瞬かせて、探るように赤い瞳がつい、とこちらを見る。いけない、ぼうっとして手が止まっていた。
同年代の女の子とでも遊べばいいものを、彼が七つも歳の離れた私の家に来る理由。好意を向けられているからなんだろうなあ、と思う。それが、たとえば家族や友達に抱く物ならどんなに良かっただろうか。自惚れているだとか自意識過剰だとか思われるかもしれないけど、嫌でも分かってしまうのだ。彼が私へ向けているのが所謂恋愛感情といわれる物であるという事が。私だってそこまで鈍いわけでは無いし、実際告白まがいの言葉を受け取った事もあるのだけれど、その時は上手く話をはぐらかせた、と思う。けれど聡いこの子の事だから、きっと気づいただろう。拒絶されたと。私には彼の気持ちを受け取るつもりなんかこれっぽっちも無いという事を。その上で、未だにこうして曖昧な、つつけば確実に崩れるような関係を続けているのは、凰壮くんにとって酷なのだろうか、と思う。でも、だったら私はどうすればいい? 今すぐにでもこんな関係はくしゃくしゃにしてごみ箱に捨てればいいのだろうか。彼にもう来ないで、とでも言えばいいのだろうか。どうして? 嫌いでもないのに? 彼は間違いなく、私が好感を抱く部類の人間に入るだろう。…ただ、その好意が、たとえば恋人や想い人に向けるそれでは無いというだけの話で。

「…これがダメなのかなあ…」
「なんだよ」
「うん? ちょっとね。料理の話」

笑ってごまかす。はぐらかされたというのが分かったのか、にわかに不愉快そうな顔をして、チッと舌打ちをされた。
苦笑して、ハンバーグを口に運ぶ。いつもと変わらない、笑っちゃうくらい何の変哲もない味だ。凰壮くんと私も、ずっとこうだったらいいのに。今のまま、ずっと変わらない関係のまま、この距離を保って。私はそれを望んでいるけれど、じゃあ、凰壮くんは? どうしたいんだろう。もし彼がこれ以上近づいてきたら、私は?

「…ごちそうさまでした」

最後の一口をゆっくり咀嚼して飲みこむ。
そんなの、とっくに決まってるんだけどね。凰壮くん、私、君の聡い所はだいすきなの。だから私の事、がっかりさせないでね。