自分が自分であるために、「自分が自分になる」ために、人は何かに執着し何かを欲する。改めてその事実を実感するのだ。私はもう高校2年生になって、充分高校生活を楽しんでいるつもりだが、その中に何か物足りなさを感じていた。勉強もそこそこの成績で、部活もそれなりに満喫している。だが、やはり私を満たしてはくれない。誰も私を必要としてくれないのだ。そりゃあ、勉強も運動も平均の私なんかが注目されないのは当然だ。違う、そうじゃない。高校生になって皆「自分」を見つけて将来に向かって進んでいる。でも私はまずその「自分」を見つけていない、「自分」に成る事ができていないのだ。だから早く自分を見つけて、私という存在を確立させなくてはいけない。どうすれば、私は私である事ができるのだろうか。そこで冒頭の言葉を思い出す。そういえば、この言葉を教えてくれたのは誰だったっけ。

「お久しぶりです」

 雨が降り続ける6月のとある土曜日。私はとても懐かしい人物に偶然にも再会した。午前授業で学校が終わって、家に帰ろうと学校の最寄り駅へと向かっていたら、最寄り駅手前の人通りの多い交差点で。彼、降矢竜持とは小学校での遠足で同じ班だった。学年を越えて交流を深めよう、という目的で行われるその遠足は6年生と1年生それぞれ3人ずつで1班として、学校から近くて広めの公園に行く。班分けが自由なので、好きな子と組める。勿論彼らは三つ子で組んできた。当時から問題児として知られていた彼らにつく6年生がなかなか現れず、私がその役を引き受けなんとか友人に頼み込んで、班を結成したのだ。
 何故私が彼らと班を組んだのか?私が彼らを助ければ、彼らは私を頼り必要とする。少なくとも、遠足を無事に終えるまでは。私はそれが嬉しい。私にとって誰かに頼られる事は、私を形成する事だ。誰かに必要とされると私は彼らより上で、充分存在価値があると思える。それこそが狙いだった。その意図を上回る結果が出て、遠足後も廊下で会うと挨拶をしたりすることがあった。だが、彼らは4年生で引っ越してしまったので、それ以来会う事がなかった。そんな三つ子の1人である彼に再会したのである。

「……竜持君!?すっごく久しぶりだね……!」
「はい、ご無沙汰してます」
「それより、どうしてこんなところに居るの?」
「それはこっちの台詞ですよ。高校、桃山町にあるんですか?」
「う、うん、そうだけど……。もしかして、竜持君たちが引っ越した先って、」
「桃山町です」

 そんなことってあるんだ。驚愕して、口をぱくぱくさせている私を見て彼はふふっと笑った。私が高2という事は、彼は小6か。まだ小学生なんだあ。と言っても、昔とは似てもつかないほど身長が高くなっていて、私とたいして変わらない。それに声も低くなっていて、髪型は相変わらずだけれど、本当に全くの別人だった。それにしてもよく私のことなんか覚えていたね?と訊くと、印象深かったですから、とまた微笑した。年を重ねたことでさらに慇懃な話し方になっていた。
 こんなところで話すのもあれですから、と彼は近くの喫茶店に入ろうと言い出した。私は迷いなく了承した。嬉しかったのだ。「私と話したいと思ってくれている人がいる」と。私を必要としている、と思うと抑えきれない恍惚が込みあがってきた。喫茶店に入って空いている席に座ると、彼は早速コーヒーを頼んだ。慌てて私も紅茶を頼む。彼はなかなか話を切り出さなかった。だが、頼んでいたものを店員が運んでくると、すぐに話し始めた。「それで?」と、突拍子も無く。

「それでって……?」
「あぁ、すみません。前置きを省きすぎましたね」
「前置き?」
「僕に会ったときの顔、昔みたいだったので何かあったのかなぁと」

 昔みたい?そもそもどんな顔をしていたのか。自分でもその顔を把握していなかったので、正直返答に困った。前置きにもなっていないじゃないか、と紅茶を飲まずにただ足を組みなおしているだけの私を見て、彼はこう言った。「相変わらずですね」と。それは私の台詞だ。君も背丈以外は何ら変わってはいない。相変わらずの捻くれ者だ。このままでは埒が明かないと思ったのか、彼はコーヒーを何度か啜ってから口を開いた。やけに外で降っている雨の音が煩い。

「また探しているのでしょう?自分を必要としてくれる人を」
「……え?」
「もしかして、気がついていないと思っていたんですか?まぁ多分そうだろうなぁとは感じていましたけど」
「ちょっと待って、それってどういう、」
「だからですね、貴方は欲しているのですよ。自分が自分であるために、必要な人材を。高校で何があったか知りませんけど、何かしら劣等感を感じていたんでしょう?だから、こうして過去に自分を頼ってくれた僕と再会できて嬉しくて堪らなかった、違いますか?」

 そして彼は同じ内容を付け加える「先程会ったときの顔と、初めて会ったときの顔、笑えるほど同じでしたよ」と。思考が停止した。どういうことかさっぱり分からなかった。その中、散らばっていた事実を整理して繋ぎ合わせる。彼は、否、彼らはあの遠足のとき自作自演していたのか。私の本性を見抜いて、彼らが私を必要としていると私に思わせるために。つまり私は彼らにまんまと騙され罠に嵌まったというわけか。ゆっくりその真実を理解し始めた私を見て、彼は笑顔を浮かべた。その笑みはまるでこう言っているようだった「今まで僕達の台本通りに演じてくれて、どうもありがとうございます」途端に私は羞恥が込み上げてきて、手元にある紅茶しか見られなくなった。

「僕が貴方に言った言葉、覚えていますか?」

 脳内でその言葉を反芻して、意味を理解しようとする。いったい彼は私に何を言ったのだろう。ぼんやり思いつつも、考えが働かない。何も思いつかない。ただ思うことはもう何も喋らないでくれ、もう私を忘れてくれという事だけだった。土下座でも何でもするから、どうか、と懇願したくなる。私の頭を締め付け始める彼の声は、そのまま続ける。

「自分が自分であるために、「自分が自分になる」ために、人は何かに執着し何かを欲する。だから、ね、貴方もどうか違う手段で自分を見つけられるといいですねって、言ったんですよ」

 頭が金槌で叩かれたようだった。そうだ、すっかり忘れていた。私は彼に言われたのだ。彼にこの言葉を言われたのだ。いつの間に私は勝手に記憶から排除していたのだろう。記憶の改ざんを行っていたのだろう。速まる鼓動と、溢れる冷や汗は止まらず、私は次第に視界が暗くなっていく感覚に襲われた。その視界の奥には、笑みを崩さない彼が座っていた。