※高校生設定で捏造有り
今日は気温が三十五度はいくだろうか、そんな暑い八月の頭に、私はなんとも間抜けな顔をして自室の扇風機の前に胡坐をかいていた。生憎うちは、クーラーを子供の自室につけられるほどお金持ちではないので、苗字家の一人娘である私の部屋には小さな扇風機一台しか設置できないのである。
気休め程度にベッドのすぐ横にある窓を開け、風を通しているものの、こんな暑さではさして変わらない。私はある事により高揚できなかった気分が余計に沈んだ。
「竜持兄たちのばか…」
そう、私が小学三年生の頃だろうか。近所に住む別の小学校に通う、六年生の個性的な三つ子たちは、偶々道に迷って泣きべそをかきかけていた私と遭遇し、家まで送り届けてくれたのだ。それをきっかけに、その降矢三兄弟、虎太兄、竜持兄、凰壮兄は私の所によく遊びに来てくれるようになった。
と、言っても、虎太兄たちはサッカーの練習が忙しかったようなので、私が練習が終わる頃に自転車に乗って、虎太兄たちのいるグラウンドを訪ねて行く事がほとんどだったけど。みんなが帰っても、三人でサッカーボールをポンポンと滑らかに脚だけで回す姿に目を輝かせて見ていたのが懐かしい。
だけど、「銀河のワールドカップ」と呼ばれる、後に有名になった試合が終わった後から、虎太兄、竜持兄、凰壮兄、そして私。三人で遊べる機会がぐんっと減った。虎太兄は海外のチームに行ってしまったし、竜持兄は数学、凰壮兄は柔道と別々の道を歩み始めたからだ。
「でも、まだ竜持兄たちが中学生の頃は良かったんだよ…」
だって、年末等の節々には、さすがの虎太兄も降矢家に帰って来て、私も招待してもらって一緒に年越しをできたりしたのだから。ここからが本題。高校生になった虎太兄は海外でめざましい活躍を見せている。凰壮兄の柔道や竜持兄の数学なんかもそう。ただそのせいで、私が虎太兄たちに会える機会は更に減ってしまった。それぞれが忙しいからだ。
「なんで、何で私は高校生じゃないの…?」
今日は、偶然が重なって久しぶりに凰壮兄たちと会えることになっていた日だったのだ。あちらこちらから引っ張りだこで、雲の上の人みたいになってしまった凰壮兄たち。でも、また手で触れたり出来る距離で、話したりできる筈だったのに。
急に虎太兄が、「ごめん、試合がいきなり入った」と電話をよこしてきて。私が中学校から帰る途中に、本っ当に偶然会った凰壮兄が「あー…、実はその日、柔道の強化合宿が重なったんだよ…」と、申し訳なさそうに頭を掻きながら言ってきて。
私はすぐ足元に置いてあったサッカーボール型のクッションを、ぼすんとベッドに向かって投げつけた。竜持兄も、この調子だからどうせ無理なんだろう。不貞腐れたように体育座りをし、その膝に顔を埋めた。その時、コン、コン、と軽快なノックが私の部屋に響いた。
「もう…、何、お母さ」
「こんにちは、いや、お久し振りです。と、言った方が正しいですかね?」
こんな気分の時に、空気を読まずにノックされたドアに母だろうと判断すると、私はのろのろと立ち上がって面倒くさそうにドアを開けた。すると、久し振りに聞いた、柔らかな話し声。あのするすると口をつく饒舌な話し方は、目の前にいる、高校二年生の竜持兄のもので。
「竜持兄っ!!」
「名前、大きくなりましたね。今中二でしたっけ」
今日はもう来ないだろうと思っていた竜持兄の登場に、思わず抱き付いてしまった。竜持兄は私の頭を撫でながら、最後に会った私を思い出すように優しい口調で尋ねる。現金な私は、うん!と、さっきの落ち込み様はどこへやら、元気いっぱいに返事をした。
漸く部屋に入り、私の勉強机の前にある椅子に腰を下ろした竜持兄は、虎太クンたちは来れませんけど、僕だけでも来れて良かったです。名前に会いたかったですしね。と、サッカーをしている頃よりかはひょろりとしたものの、均整のとれた長い足を組みながら話してくれた。
私も、これまであった話を、いっぱい話した。それをへえ、なるほど、と一つ一つ丁寧に、相槌を打ってくれる竜持兄に嬉しくなる。
「それでね、竜持兄」
「名前、ちょっと待って下さい」
「何ー?」
「実は、僕、数学オリンピックで優勝したんですよ」
「ええっ?!」
突然の知らせにびっくりすると共に、まるで自分の事のように嬉しくなった。おめでとう!と言うと、竜持兄はありがとうございます。と虎太兄と凰壮兄と同じ深紅の目を柔らかく細め、また私の頭を撫でる。その仕草にどきり、と心臓がリズムを刻み出した。
竜持兄をよく見ると、最後に会った時より背と、髪が少し伸びているのに気付いて、急に恥ずかしくなった。
何が、と言われると、竜持兄に恥ずかしくなったんじゃなくて、何故か竜持兄に見つめられていることに恥ずかしくなった、としか言えないんだけど。今まで高校生になったらもっと虎太兄や竜持兄、凰壮兄に会えるのに、位にしか思ってなかったのに、一体どうしたのだろうか。今私は可笑しい事に、高校生になったらもっと竜持兄に見てもらえるのかな、と感じ始めている自分がいた。
私はこの緊張からくる息苦しさと、胸の高鳴りを振り払う様に立ち上がる。そして、そのまま扉に手を掛け、暑いからお茶持ってくるね!などと言いながら部屋から一端出ようとした時だった。竜持兄が私のもう片方の腕を引いて、自分の元へと引き寄せ、逃がさないとでも言うようにふわりと私の背に片方の腕を回したのだ。
「りゅ、竜持兄?!」
「…このままで聞いてください」
最初は何が何だか分からなくて、じたばたと暴れて竜持兄の腕を抜け出そうとしていた。だけど、有無を言わさない口調に、私は静かに黙り込む。相変わらず日差しは刺すようにぎらぎらと容赦無く差し込んでいて、眩暈がしそうだ。
「僕は名前の事が好きです。ずっと言おうと思ってたんですけど、中々言えませんでした」
「こんな年上で、名前にとって僕たちは多分兄の様な存在なんだろうと思っていましたし」
「…それに、決心がつかなかった、という事もありますしね」
「けど、ここを訪ねて来た時に、名前が抱き付いてきたでしょう」
「更に成長して、女の子らしくなったあなたが抱き付いてきた事に、気がおかしくなりそうだった」
「軽蔑してくれても構わないです。ただ、僕を意識して欲しかった、それだけです」
ゆっくりと、それでいて私の目を真っ直ぐに見つめて話す竜持兄の言葉。聞いているだけで全身の血が沸騰しそうだ。頭の中でその文を噛み砕いて、咀嚼して、理解する。竜持兄は、ずっと、私を想ってくれていたんだ。室内の気温に負けないくらい、自分の頬が熱くなるのがよくわかる。
「…あ、え、」
私が返事をしようと、口を開いたり、閉じたりする様子を見ていた竜持兄は、ふっと頬を緩めて微笑んだ。ようやく、意識してもらえましたね。と言いながら。違うの、竜持兄。告白を聞く前から私は意識してた。だから部屋を一旦出て、鼓動を落ち着けようとしていたんだよ。そう言いたいのに、私の口はぱくぱくと金魚の様に動くだけで役に立たない。それなら、口に出すのをやめてしまえ。
どうか、これで届きますように。部屋に吹き込んだ涼しい風に揺られたミルク色のカーテンと、竜持兄の淡い白色のシャツに視界を塗られながら、私はそっと竜持兄の腕の中に顔を埋めた。