1〜彼女のバヤイ〜
「左門ー!三之助ー!」
怒ったような大声が聞こえた。方向音痴で迷子として有名な二人の名前を叫ぶ人間は一人しかいない。
くのたまの長屋まで聞こえる声量で叫んでいるのだから、喉が痛くなったりしないのだろうかなんて考えたりもしたけど、彼の事だから大丈夫だろう。
「また迷子保護者が迷子を探してるのね」
同室の友達が言った。わざわざこっちを見てニヤニヤとした笑顔のおまけつきで。
「…その笑みは何?」
「べーつに。彼氏の手伝いに行かなくていいのかって思っただけよ」
「かれっ…違うよ富松とはただの幼なじみなだけで…!」
「けど名前は好きなのよね富松作兵衛のこと」
「う…」
彼女が言う通り、私は富松の事が好きだ。けど私と富松は幼なじみで小さい頃はさくちゃん、名前と呼んで殆ど一緒に遊んでいたので近所では兄弟のようねと評判だった。
そのせいか富松から同い年なのに妹扱いされていた。妹としてしか見られないのに想いを伝えてもあしらわれるだけだ。
それに今は富松は同じろ組の迷子二人を捜索するのに忙しいのだから告白なんか夢のまた夢。
「なんだかんだで捜索は手伝うじゃない」
「それは大変そうだなって思っただけだって…それに」
昔みたいな関係じゃないからますます無理だよと心の中で呟く。
迷子二人の名前を呼ぶ声はまだ聞こえる。あと数刻で夕飯の時間だ。このままだと富松達は食べ損なってしまう。私は立ち上がる。
「どこ行くの?」
「お手洗い!」
「はいはい。早く素直になりなさいよ」
「…余計なお世話!」
そうして部屋を出て行った。
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