小説 | ナノ

恋文


「今日、5月23日はキスの日や恋文の日らしいですよ。キスの日は日本で初めてキスシーンが登場する映画が公開された日が由来だそうです。恋文の日は5月23日のごろ合わせです」

BGM代わりに流していたテレビのニュース番組のキャスターが喋っている声が、耳に入った。名前はテレビに目を向ける。キャスター二人がラブレターをもらったことがあるかや渡したことがあるかと話している姿が映っていた。

「…恋文の日か」

恋文なんて呼ぶのは古風だと今の人は思うかもしれないが、彼女にとっては胸が痛く苦しくなってしまう言葉だ。そして遠い遠い昔のことを思い出すきっかけになってしまう言葉でもある。名前は前世の記憶を持っていた。目を閉じて思い出すのは、前世の恋文に関連するものだ。





前世で名前は忍術学園という所でくのいちを目指していた。くのいちになることを目指していたが、恋愛ごとに関心を持ってしまうのは年頃の女の子だったので仕方がなかった。
名前が好意を寄せていたのは、同じ学園の竹谷八左ヱ門だった。話すことはあったが、名前に勇気がなく思いを伝えることが出来ていなかった。だから、恋文なら伝えることが出来るんじゃないか。

彼女自身が思い付いたのか、誰かからアドバイスをもらったかはおぼろげで思い出せないが、名前は竹谷のことが好きな気持ちを手紙に込めた。そして竹谷を呼び出す所まで遂行出来たのだ。しかし、いざ渡すとなると彼女は躊躇ってしまった。

どうしよう。竹谷を呼び出せたのはよかったが、いざ相手を目の前にすると、緊張してしまった。

「どうしたんだ?」

竹谷は名前をじっと見つめる。呼び出されて何も言わない名前が不思議なのだろう。

「あの…ね」

声が途切れ途切れになってしまう。隠し持っている恋文を渡すだけ。これ読んでほしいのと言えばいいのに、その一言が言えなかった。

「言いづらいことなのか?」

「ううん、そんなことはないけど…ただ竹谷君に体術教えてもらいたくて」

口に出したのは別の言葉だった。

「なんだそんなことか」

もちろんいいぜと言いながら満面の笑顔を浮かべる竹谷に名前は嬉しい反面暗い気持ちにもなった。

(私のうそつき)

心の中で呟いた。結局卒業するまでに思いを伝えることが出来なかったのだ。






その後、あの恋文はどうしたんだろうか。思い出に浸っていた名前はぼんやり考えながら目を開けた。渡せなかった苦々しい思い出は残っているが、渡せなかった恋文の行方は覚えていなかった。

「何してるんだ?」

声をかけられて彼女の考えるのを止めた。

「テレビ見てるの。今日は恋文の日なんだって」

「恋文の日?」

「ほら5月23日の語呂合わせでこ、い、ぶ、み」

「あーなるほどな」

「おかえりハチくん」

「おう、ただいま」

ハチくんこと竹谷は彼女の隣に座った。

髪が短くなっていることさっきまで思い出していた学園時代よりずっと大人になってしまっていることを除いたら前世で彼女が恋していたままの竹谷だ。彼も前世の記憶を持っている。竹谷とお付き合いしている今は奇跡じゃないかと彼女は思っていた。

「恋文って言えばさ」

「ん?」

「前に書いてくれたよな」
今の名前は竹谷に恋文を書いたことは一度もない。

「書いたことないよ?」

「いや今じゃなくてもっと昔、学園の頃にだよ」

「…なんで知ってるの?」
竹谷には前の時にも好きだったことを伝えていないし、恋文の存在はもちろんしらないはずだ。なぜ彼が知ってるのだろう。名前は驚いた。

「名前に体術か何か教えてた時に拾ったんだよ。返そうとしたんだけど中々渡せなくて卒業する前にさすがに捨てた方がいいかって思ったら三郎が勝手に中身読んで俺宛の恋文だって知ったんだ」

「…落としてたんだ私」

どうりで行方を思い出せないわけだった。

「ねえハチくん…もし私があの時、恋文渡してたらどう返事してくれた…?」

竹谷を見つめる。あの頃より竹谷との距離が近いおかげで聞けることだ。

「今更聞くか?」

手を握られて視線が重なった。名前にとって十分な答えだった。

「そっか」

勇気を出せばよかったな。あの頃のように後悔したけど、名前の心は暗くなくてむしろ長年の刺がとれたように軽くなっていた。




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