これは"僕"と"俺"の初恋の記憶

今でも鮮明に覚えている。忘れたことはない。

"僕"がもっと強ければ、兄を死へ至らせることはなかった。

"俺"がもっと強ければ、彼女が血の海に沈むことはなかった。

刀を持って二ヶ月で柱になったが実感はあまりなかった。それからもただひたすら剣術の強さを求める日々が続いた。顔や姿には一切出さず飄々と装っていたが、毎日強さを求め死に物狂いで必死だった。余裕なんてなかった。早く強くならなければ。どんな鬼でも頚を斬ることのできる力を手に入れなければと。

そしてあの日、無意識に誰かの為にと刀を交え大切なことに気付いた。答えはすぐ側にあり秘めたる力を開花させ覚醒することができた。





ぼやけた視界の中、腐敗してゆく兄の異臭に蛆が集まっていたのが見えたがそれは俺も似たような状況だった。

そんな僕の傍らには、兄と大事に守ってきた女の子が血にまみれ床に綺麗な長い髪を散らばらせ倒れていた。

『…む、いちろ………ぅ、かは…ッ』
『!氷咲々…っ…氷咲々、氷咲々……っ』
『…っ…だい、じょうぶ、だから…そんな顔、しないで……』

今にも力尽きそうな氷咲々は俺の名を呼んで吐血してはちいさく笑うと安心させるように力の入らない指先で俺の頬をそっと撫でた。

つぅと彼女の色褪せた目の端から涙がこぼれ落ち、不覚にも綺麗だと思った。

その目には同時に、非力で兄を守れず大事な幼なじみにさえ血を流させてしまった弱者な俺が映り込んでいた。

『っ、ぁ…氷咲々、ごめん、ごめん……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ死ぬな…!もう、失いたくない……俺が強くなって、守る、から……だから…っ……!』

優しく頬に触れる俺よりも小さな手を力一杯握り、大丈夫とでも言うように力なく笑う氷咲々を抱き寄せて必死に祈った。

そして希望の主により、カタンと家の扉は開かれた。

『―――その言葉、信念、忘れぬようにね。無一郎』

まるで俺のその言葉を待っていたかのようにお館様一家は救いに現れた。



:




現在

(あわわどうしよう、迷ったしはぐれちゃった…)

無一郎と二人で向かえと命じられた任務先が日暮れを迎えるとより危険な鬼が多く現れると言われる山林だった。

("絶対俺の側を離れないで"ってあれほど言われてたのに…余所見してたらはぐれちゃった、ごめんね無一郎)

「……まずいな、日がだいぶ沈んじゃった…」

太陽がほんの少しだけ見え、暗闇が辺りを包むようになった。目を凝らして足元に注意しながら辺りを見回し山林を早足で駆け抜ける。一刻も早く無一郎に会いたい気持ちと無意識に邪悪な何かに怯える自分がいた。

「―――お姉さん、」
「っ…!?」

突然背後から可愛らしい声で名を呼ばれ羽織りの裾を凄い力で引っ張られた。勢いで振り返りつつ鞘に手を添えるも、背の声の主と目がぱちんと合い張り詰めていた力が一気に抜けた。

そこには見るからに十代前半と思わしき少女が大きな瞳で不思議そうに首を傾げこちらを見ていた。

まだ警戒は解かず刀からも手は離さない。

「…こんなところで幼い貴女が何をしているの?危ないから早く山林を出なさい、鬼が出るわよ」
「迷っちゃったの。父さんと母さんはアタシを置いてきぼりにしちゃうし、どこから山林を抜けられるかわからない。…お姉さん一緒に連れてって?」
「………」

少女から一時も目を離さない。全身で感じるのは嫌な匂い。邪悪な匂い。血の匂い。私はこれを知っている。昔の記憶が全身の感覚をより鋭くする。

「お姉さん?」
「…少しだけ、質問いいかしら」
「なぁに?早くお家に帰りたいから手短にね、お腹も空いちゃったし…」
「何人、喰ったの?」

ピタリ、私のその言葉を最後に少女は口を閉ざした。大きな瞳は私を一時も見離さない、それが暗闇を吹き抜ける風とともに恐怖を運んでくる。金縛りにあったように少女から視線をそらすことができない。

「……あーあ、お姉さん美味しく頂こうと思ったのになぁ」
「あら…ごめんなさい。香りには敏感なの」
「チッ…うっざ、勘の良い女は嫌いよ」

可愛らしい少女が鬼へと一変し化けの皮が剥がれた瞬間、辺り一面に暴風が吹き荒れた。私は数メートル先の大きな樹木まで吹き飛ばされ叩きつけられた。

(…っ…やっぱりね、変な匂いがしたから…見抜けて良かった。あのまま一緒にいたら恐らく喰われてた)

なんとか空中で受け身をとり地に足をついた。切れた口端から流れた血を手の甲で拭いながら羽織りの土埃をはらう。体の所々に鋭い暴風の痕、裂くような傷があり地味に痛む。

樹木に打ち付けた頭を押さえながらすぐにはっとして少女がいた方へ視線を戻すも既にそこに少女はいなかった。

「!っ、しまっ……!」

気付いた時にはもう遅かった。少女の方が数秒早く私の背後に回り込み、するすると数本かの触手を首に絡ませきつく締め上げる。

「…駄目じゃないお姉さん、相手が子どもだからって油断しちゃ」
「ぐ…ッ、ぁ……」

触手から逃れようと力一杯叩いたり殴ったりして引っ張るもびくともしない。

(くそ、刀を抜いておくべきだった…!)

ギリギリと締め付けられる気道から空気が回らず少しずつ呼吸が乱れる。脳に酸素が行き届かず意識が朦朧とし始め苦痛に眉を寄せながら少女を睨み付ける。

「ふふ…苦しそうイイ顔。…そういえばさっきお姉さんと一緒にいた子凄く美味しそうだったなぁ……先に食べてきちゃおうかしら」
「!…だ、め!むい、ちろうは…っ…!」
「駄目って言われたら余計食べたくなっちゃうなぁ……まぁ取り敢えず、お姉さんもぐもぐしちゃうね?」

今まで冷静だった私がはっとして慌てる様子を少女は見逃さなかった。妖しいニヒルな笑みを浮かべると長い舌をちらつかせベロリと舌なめずりをした後、私の耳元でそっと囁いた。

「…共依存って、羨ましい」
「っ!」

首の薄い皮を鋭い牙が裂き、そこから出血する感覚を感じた。それから視界がうっすらぼやけ、目眩に襲われる。

(喰われる、やらかした、今日は厄日だなぁ…また無一郎に怒られちゃう)

ぐらりと揺れる視界と停止する思考。恐らく注入されたものは毒であろう。牙が抜かれた瞬間、首に絡められた触手にどっと力が抜けた体をそのまま宙に持ち上げられた。抵抗する力も既になく、それ以前に手足に力が入らない。

「―――あら…王子様来ちゃった」
「…そういうのいいからさ、その子早く返してくれない?」

微かな意識の中で少女の声ともう一つ凛とした声が聞こえ、視線だけそろり動かすと見慣れた黒い隊服の後ろ姿を捉えた。私より長い黒髪の先に綺麗な青色が色づき夜風に靡いていた。その背中は幾度となく見てきたからすぐに誰だか理解した。

それからしばらくして刀を抜く音と何かぶつかり合う音、木々の倒れる音、派手な戦闘音、何か叫ぶ少女と淡々と答える彼、最後は静寂な闇にザシュッと頚を斬る終わりの音が消えた。ともに首を締めていた触手がするりとほどけ私共々地面に落ちた。

やがて鬼から身を隠すよう辺りに白く美しい幻影的な霞が漂う。

毒の影響で全身に力が入らないせいで未だに落ちた場所から一歩も動けず地面に横たわる私は呼吸でなんとか毒の巡りを遅らせ、虚ろな目でぼーっとその光景を見ているしかできなかった。

そして静かな足音が近付いてきたかと思えば、誰かの手が背中と膝裏に回され私の体はひょいと持ち上げられた。

「氷咲々」
「……む、いちろ…」

凛とした声に名を呼ばれ視線を上げると、普段と変わらない涼しい顔をした無一郎がいた。抱えた私をすぐ側の樹木を背に座らせると向かい合うように地面に膝をついた。

私の少女に噛まれた傷痕を指でなぞり確認する。それから隊服の首元の留め具に手をかけ一つずつ胸辺りまで外し、羽織りごと肩が露になるよう引っ張り下げた。いくら幼なじみだろうとさすがに恥ずかしい。思うように体が動かない私は恥ずかしさで顔を真っ赤にしてきょろきょろ視線を動かすだけ。

「…噛まれたのここだけ?他は?」
「ない…こ、こだけ…」
「はぁ…あれだけ離れないでって言ったのに。…毒抜くから、じっとしててよ」
「ごめ、ん……え、どうや…っ……!」

顎を掴まれ、くいっと持ち上げられると同時に少女に噛まれた傷痕に無一郎の唇が覆うように優しく吸い付いた。ぢゅ、と強めに吸われると痛みが走るがその度に無一郎が上手く毒を吸って吐き出してくれているのがわかったため目を瞑りじっと我慢した。

「…ん……っ、は…」
「む、いちろ…」

少しずつ毒が抜けやっと手足に力が入るようになってきて掴まれていた顎も解放された。無一郎の唇が離れ呼吸を整える際、耳元に吐息がかかりくすぐったくて無意識に彼の隊服の袖を握り締めた。

「…ん、」
「っ、ひゃ…!?」
「……く、ふは、可愛い氷咲々」
「〜〜〜〜っもう!意地悪!」

突然れろ、と傷痕を舐められてはビクッと体を震わせ咄嗟に無一郎の胸を思い切り押した。余程私の反応がお気に召したのかいつも涼しい顔をした無一郎が珍しく笑っていた。可愛いなぁ、と思い見つめていると急に無一郎が真顔になったため慌てて姿勢を正した。

「…もう大丈夫かな。帰ったら念のためしのぶさんに診てもらって」
「うん…ありがとう、無一郎。あとごめんなさい…」
「あれだけ言ったでしょ、離れないでって。氷咲々が強いのは良くわかってるし認めてる。…でもこの山林は特殊な鬼が多くて厄介だからできるだけ俺が守ろうと思ってた」
「ち、違うの。単に余所見してたら迷っちゃって…油断してた。…ありがとういつも守ってくれて」
「…まぁ、助けられたから良かったけど。あと少し俺が遅かったら確実に美味しく頂かれてたよ」
「うん…本当にごめんなさい、今後気を付けます。…食べても需要ないけどなぁ私、美味しいのかな……?」

子どものようにお説教をされる私は正座で無一郎と向き合いぺこぺこ頭を下げてごめんなさいと反省をする。鬼に良く狙われる私はつい最近柱になったばかりでまだまだ未熟者だから幼なじみということもありお館様の配慮で無一郎と任務を共にすることが多かった。このやり取りはもう日常茶飯事だ。

「いや……ほんと氷咲々って馬鹿だよね」
「!?…え、え、ひど!馬鹿じゃないよ!確かにちょっと間抜けだけどっ…良く他の柱たちに鬼にすぐ喰われそうとか言われるけど!」
「…え、そんなこと言われてたんだ。多分それ俺も同意するかな」

ぐさり、言葉の棘に胸を刺された私はしょぼんと肩を落とした。

(無一郎みたいに天才じゃないし私、平凡だし。ちくしょう。いつか絶対見返してやるっ…!)

悔しがる私を見ていた無一郎はちいさく笑って静かに口を開いた。月明かりの下を背景に佇む無一郎は男の子だけど凄く綺麗で思わず見惚れてしまうぐらい。ザァアアアッと闇に吹く心地の良い夜風に綺麗な髪が靡いていた。

「―――…まぁ、」
「?」
「俺は何としてでも氷咲々を守るよ。柱になったし強くなったけど、それでも俺の側から離れるのは許さない」
「…無一郎、私が死ぬことにいつも固執する」
「当たり前だよ。誓ったんだあの日。自分にも兄さんにも…血だらけの氷咲々にも」
「…っ……」
「自分が死ぬことは怖くない。いつか死が訪れるとしても、今氷咲々が生きていて側にいてくれればそれでいい」
「……良くないよ無一郎…私だって一緒だよ」
「…うん、ありがとう氷咲々。それだけで十分だよ。君に依存する僕を許してほしい」
「許すも何も一緒だってば…!無一郎がいなきゃこの先自分の存在意義がわからなくなる」

そう呟いた彼女を、彼は愛しそうに見つめた。

『"共依存って羨ましい"』

戦闘中に少女から投げかけられた言葉を思い出した。俺たち二人の関係を妬んでいたのか、羨ましいと思ったのかはわからない。

しばらく考えてから座り込む氷咲々の前へ片膝をついて視線を合わせた。大事で大切でいつからか愛しい彼女の白い頬を優しく撫でた。見つめ合うことに慣れないらしく頬を赤く染めていた。それさえも全てが愛しかった。

「むい、ちろ…?」
「…氷咲々、好きだよ。いつか鬼が君を喰うなら俺が先に君を美味しく喰ってあげる」
「っ…!」

驚いて目を大きくした氷咲々を見て満足すると顎を掬い、熟れた赤い林檎のようなぷっくりした唇に己の唇を重ねた。しばらく口付け合っていると、どちらかのわからない唾液がつぅと顎を伝った。

初めての誓いの口付けは、甘くほろ苦い味がした。

「わた、しも……す、き」
「…うん、俺も、氷咲々」

呼吸の合間に囁かれた愛の言葉はいつか残酷にもなるだろう。それでも握り締めたちいさな手を一生離さないと決めたあの日から"僕"と"俺"の氷咲々への依存は既に始まっていたのかもしれない。

共依存はいつからか、全ては愛故に。

"僕"の中の"俺"が妖しく笑ったような気がした。

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テーマ「人外ファンタジー」
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