▼ 初めての彼女
「ねぇ亥清くんって彼女いるのー?」
「! い、いないしいらない!」
昼食を食べ終え、席を外していた昼休み。私は中からの会話が聞こえ、思わず教室の扉の前で立ちすくんでしまった。
「そっかー、そうだよね」
「私達ずっとŹOOĻ応援してるから!」
ガラッと扉が開いた。私は思わず壁の方に隠れる。中から出てきたのは他のクラスの女の子達だ。よくうちのクラスに顔を出していて、いつも亥清くんや四葉くんに話しかけている子達だった。
「……入りにくい」
女の子達は去っていったが、教室には入りにくい。かといってずっとここに立ちっぱなのはおかしいだろう。そう思った私はひとまず行くあてのない校内をうろつくことにした。
「………うーん」
遡ること2週間ほど前。私は亥清くんと付き合うことになった。「……付き合ってやる。オレと付き合え」と照れくさそうに言ってきた亥清くん。彼はアイドルだし、信じられなかったけど、彼のことが気になっていた私はとても嬉しかった。けれど舞い上がっていたのは一瞬で、その日一緒に帰った以降特に何も変化がなかったのだ。
分かってる、彼はアイドルで忙しい。そんなことは分かってる。けど考えてくうちに本当に付き合ってるのかな? と考えることは多くなるわけで。それに増してさっきの「彼女はいない、いらない」という言葉。アイドルだから隠すのは当たり前だからわかるんだけど、この状況だと結構心に刺さってしまう。
……なんだかなぁ……。
どんっ
そう考え込んでいたら、誰かにぶつかってしまった。
「ごめんなさい!」
「悪ぃ、俺もちゃんと見てなかった」
「あ、四葉くん……」
ぶつかった相手は同じクラスの四葉くんだった。
「ってひなっちじゃん、なんでそんな顔してんの?」
「え」
四葉くんに言われて気付いた。自分の目頭が相当熱くなっていることを。……ああ、考えているうちに辛くなってしまったのか、と思いながら目元を手で拭う。
「俺、そんな痛くぶつかった?」
「ち、違うよ! 全然痛くないし!」
「……じゃあ、いすみんとなんかあった?」
「え、なんで亥清くん……」
四葉くんから亥清くんの名前が出てきてびっくりした。なんで亥清くんの名前が出てきたんだろう。付き合っていることは誰も知らないはずなのに。思わず聞き返してしまい、四葉くんが言葉を発したその時。
「だっていすみんがよくラビチャで」
「おい四葉! なんでひなのこと泣かしてんだよ!!」
後方から荒い足音を立て、そこそこに声を上げた亥清くんが走ってきたのだ。亥清くんは私達の前に現れると、しかめっ面で四葉くんを見上げた。
「俺何もしてねーし。いすみんが泣かしたんじゃねーの?」
「はぁ? オレは何も……!」
「いつも、ラビチャで『ひなっちに何してあげればいいかわかんねー』って言ってたじゃん! ちゃんとしてんの?」
「ばっ、やめろ! 黙れよ!」
……え、亥清くんがそんなこと言ってたの?
私は信じられず、思わず目をぱちくりさせてしまった。亥清くんはというと、顔を赤らめながら怒っている。
「えっと、そうだったの……?」
「ああああ! もう〜!!」
私が問いかけると亥清くんは更に顔を赤らめ、頭をかく。どうしよう、という感情が全面的に出ている気がした。そして、
「四葉! 覚えとけよ!」
「えー」
亥清くんは四葉くんを睨んだ後、恥ずかしそうにしながら私の手を引いて、階段を駆け上ったのだ。
「亥清くん……?」
「………」
着いた場所は屋上だった。着いても尚、亥清くんは私に背を向けているままだ。何回か話しかけてもずっと黙っていたけれど、少しして亥清くんは話し出した。
「……オレの、せい?」
「え……?」
「オレのせいで、ひなは泣いたの……?」
震える声で話し出す亥清くん。少しだけ見えた顔はさっきまでの照れている顔とは違い、悲しげに見える。
「あ、いや、その、付き合ってから何もなかったし、さっきファンの子との会話聞いちゃって、ほんとに付き合ってるのかな? とか思うことはあったんだけど……。でもさっきの四葉くんの話聞いたら大丈夫なのかなぁって思ったり……」
そんな亥清くんを見て思わず私は早口になってしまった。そんな顔をさせてしまった焦りからか、もしくは自分の気持ちを知られたくないからの早口かはわからない。そんな中、私は更に話し続ける。
「亥清くんアイドルのお仕事で忙しいだろうし! だから気にしないで!」
「……ごめん、その」
「忙しいのにごめんね! だから亥清くんがそんな顔しないで! ね?」
「は、はじめてだから分からなかった!」
「……え…っ!?」
私が話し続けていると、亥清くんは途中で声を上げた。それと同時にばっと振り向き、すかさず私を胸元まで引きこ込んだのだ。
一瞬の出来事で頭が追いついていないながらも、目の前は亥清くんの胸元で、バクバクと心臓の音が聞こえ、彼に抱きしめられているのだとわかった。抱きしめられるなんて、初めて彼にこんなことされるものだから私もドキドキとしてしまう。
「い、亥清くん……! そ、その初めてって…」
「っ、彼女! はじめてなんだよ! 仕事もあったけど……初めてだから、何してあげればいいかわかんなくて四葉に相談してた。あー! もう!!」
初めての彼女だったなんて、意外だ。亥清くんは話終えると、力はどんどん強くなっていく。
なんだ、亥清くんもいろいろ考えてただけだったんだ。ちゃんと好きでいてくれてたんだな、と感じた私は彼の背中に手を回した。
「亥清くん、そんなこと気にしなくていいよ。ちゃんと好きでいてくれたのが嬉しい」
「当たり前だろ! ……ひなが好き。心配もかけないようにするし、もっと彼氏らしくなる……」
背中に手を回すと、より心臓の音が速くなったのが聞こえた。顔は見えないけど亥清くんが相当に緊張、いや、照れているのだろうなということが予想できる。そんな彼の姿に嬉しくなって思わず笑みがこぼれてしまった。
キーンコーンカーンコーン
昼休み終了のチャイムが鳴り響く。しかし亥清くんは私から離れる動きはない。
「い、亥清くん?授業戻ろう……?」
「……やだ。授業サボる」
「サボりはダメ! それに2人していなかったら怪しまれるって!」
「いい。四葉になんとかしてもらう」
「あ、いすみんからラビチャ……なになに」
「せんせー! いすみんと、ひなっちが階段から転んだから保健室いるってー!」
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