▼ 「自制心」なんて
3ヶ月にわたるラジオ番組が終了し、今日はその打ち上げである。
「お疲れ様でした、百さんありがとうございました」
「こちらこそありがとう! ひなちゃんと組めて楽しかったよ!」
番組の相方は、かの有名なRe:valeの百さんとだった。百さんははじめ緊張している私にも優しくしてくれたり、スタッフやゲストの方への気遣いはもちろん、現場を明るくしてくれるとても素敵な人だ。私がそんな百さんに惹かれるのに時間はかからなかった。今もキラキラと眩しい笑顔で接してくれている。
あーあ、今日で百さんとの共演が終わってしまうなんて寂しいなぁ……。
そんなこと思ってはいけない相手なのに。
「ひなちゃん、本当お疲れ様だったね! 百くんとのコンビ良かったよ!」
「ありがとうございます〜」
「2人のコンビ見られないのちょっと寂しくなっちゃうね」
「……寂しくなんてないですよー! もうー!」
「ひなちゃん酔ってる?」
そして飲み会はお開きの時間となる。私はと言うと、そこそこに気分が爽快で、身体が熱く、心拍数も上がっている。少しだけいつもとテンションがおかしい。どうやら少し酔ってしまったようだ。
「酔ってない、と言いたいのですがちょっと酔ってるようです、すみません!」
「いやいや、酔うひなちゃんそうそうないからレアだよ! 大丈夫? 送ろうか?」
「大丈夫ですー! ひとりで帰るので! ありがとうございました!」
そんな私をスタッフさんは心配してくれた。しかし酔いながらも心配させまいと思い、解散してひとりで帰路を歩いていた、がーー
「ひなちゃん! オレ家まで送るよ!」
「! 百さん!」
後方から百さんが駆け足で来てくれたのだ。本来なら思いを寄せている人が自分を追って来てくれるのは嬉しい。けどこれ以上百さんと関わると、寂しい、好き、という自制が効かない気持ちが出てしまいそうになる気がした私は少し距離を取った。
「いえ、大丈夫です。ひとりで帰ります!」
「いや送る。女の子ひとりじゃ危ないよ!」
「大丈夫です! 本当に!」
「……オレなんかした? 飲み会も隣だったのに途中から離れて全然話してくれなかったし、目も逸らしたよね? 今日で最後なんだからもっとひなちゃんと話したかったのに……」
“最後"。その言葉に胸が痛くなった。
そう、今日で百さんと関われるのは最後。最後とは言っても、今後仕事で会うことはもちろんあるとは思う。しかし次いつ、なんの機会かなんてわからない。だから寂しいと思ってしまった。お酒が入っていたからかそれが言葉に出てしまいそうだった。それを避けるために途中からわざと百さんから離れたところにいたのだ。
「……気のせいですよ。3ヶ月ありがとうございました! 楽しかったです!」
これ以上気持ちが出て失礼のないように、笑ってお礼だけ言って失礼しよう。そう思ったのだが、
「ねぇなんで目見てくれないの!? ひなちゃん変だよ!」
「!」
百さんはそれをさせてくれなかった。百さんは私の手首を掴み、少しだけ自分の方に寄せる。私は突然のことにびっくりして、思わず百さんの方を見てしまった。百さんはお酒のせいか少し熱を帯びたように真剣な瞳で、だけどどこか切なそうに私を見ており、そんな百さんから視線が逸らせない。
どうしてそんな顔するんだろう。そんな顔されたら言わないと決めていたことが崩されそうになる。だめ、やめて、そんな目で私を見ないで。そんな顔されて、そんなふうに見られたら私はーーー
「……やっとこっち見てくれ「百さん、好きなんです。だから寂しいんです。ごめんなさい……」
ああ、言ってしまった。
「ん……」
目が覚めると見慣れた天井。自分の家であることはすぐに分かった。窓からの朝日が眩しいな、なんて思ったのは束の間で、私はすぐに違和感に気付く。
「……!?」
違和感に気付いた私は絶句した。なぜなら私は下着姿でベッドにいて、そんな私を後ろから抱きしめるようにお腹に手を添えながら寝息を立てる百さんがいたからだ。背中越しに肌の温もりを感じ、百さんも裸、少なくとも上裸なことがわかった。
なんで、どうして……!?
私は血の気がさーっと引くのを感じながら、ひとまず昨晩のことを思い出す。
昨日はラジオ番組の打ち上げで、百さんに迷惑かけないようにしなきゃと思って、でもそこそこにほろ酔って、それでーー…。そうだ、私は百さんに自分の気持ちを言ってしまったんだ。言わないようにしていたのに。その後は気まずい空気が流れながらも、百さんは私を家まで送ってくれ、その流れで情事を行ってしまったのだ。
どうしよう、どうしよう。なんで昨日酔ってしまったんだ。そんなに飲んだつもりはなく、雰囲気で酔ってしまったのもある。しかしそんなの言い訳でしかない。
なんでもっと自制心を保たなかったんだ。百さんに迷惑かけないと決めたのに……!
激しい後悔が襲うが、この現実は変えられない。
「………ひなちゃん?」
「!」
顔を青ざめながらぐるぐると考えていると、寝ぼけているような、力の抜けた声で背後から私を呼ぶ声が聞こえた。百さんが目を覚ましたようだ。
「ひなちゃん、あのさごめ「百さんごめんなさい!」
どうしようと思ったが、百さんの言葉を遮って私は考えるより先に言葉を放っていた。
「すみません、最後の打ち上げのお酒の席で酔ってしまって、しまいには変なことも言ってしまって挙げ句の果てにこんなことに……。本当に本当にごめんなさい、昨日のことは忘れてください!」
「……は?」
私の言葉を聞いた百さんは、いつもより低い声で言葉を返す。きっと怒っているのだろう。当たり前だ、こんなことになっているのだから。
「……謝って済むことじゃないですよね。本当に失礼をして、こんなことになってすみませんでした……っ!?」
「それ本気で言ってんの?」
そう言い切ろうとしたのだが、途中で腕を引かれ、百さんの方に向かされた。そのまま百さんは起き上がり、私を組み敷いたため必然的に視線が合う。目が合った百さんはいつもの明るい百さんではなく、冷たく私を見下ろしている。怒っているんだと感じた私は思わずビクッと肩が跳ねた。
「ねぇ本気で言ってるかって聞いてんだけど。変なこととか忘れてほしいって何? 昨日のこと全部忘れろって言うの?」
「……っはい、ごめんなさい……」
迷惑かけて、怒らせてごめんなさい。そんな気持ちでいっぱいな私は気まずくなり、少しだけ目線を下に逸らすが百さんは話し続ける。
「……なんで? 嘘なの? オレのこと好きって言ってくれたのも全部嘘だったの?」
「! それは……」
「じゃあなに。ひなちゃんは酔ったら誰にでも好きって言って抱かれるの?」
「違……!」
まさかそんな風に言われると思っていなかった私は再び顔を見上げる。違う、そんなわけない。百さんが好きなのは本当だ。そう言いたいけど迷惑かけたくない気持ちが強く、言えずにいた。そんな私を見た百さんは、怒った表情から徐々に切なげな表情になっていく。
「……オレはひなちゃんのこと好きだよ。好きって言われて自制効かなくなって抱いたのはオレが悪いけど」
「……え」
「本当はオレも番組終わって寂しいと思ってたのに。ひなちゃんが言ってくれたのは嘘だったの……?」
え、百さんは今何て……?
私はびっくりして状況を飲み込むのに少し時間がかかってしまう。つまり百さんが怒っているのは私が昨日のことをなかったことにしようとしているからで。そもそも昨日起きたことはお酒に酔った勢いだと思っていたし、何より百さんが怒っているのはこの状況に対してだと思っていたがお門違いだったようだ。
しかし百さんが私を好きで同じ気持ちだなんて信じられない。それこそ嘘じゃないのかと思ったけれど、辛そうに顔を歪める百さんの表情が嘘ではないことを示していた。
「……っ、嘘なんかじゃないです。その、酔った勢いと言いますか、ちゃんと言えなかったですが、百さんのことが好きなんです。好きになっちゃったんです……!」
そんな百さんを見て、ちゃんと言わなきゃ。そう思い、今度は目を逸らさず、きちんと百さんの目を見て話す。話し終えると、私は緊張から解けたなのか嬉しさからか、改めて告白するからか、もしくは全部の要因からか声が震えてしまった。
「……ん、オレも。番組一緒にやってて、気付いたら好きになってた。だから忘れてほしいなんて言わないで」
「っ……ごめんなさい、迷惑かけたくなくて……」
そんな震えながら話す私を包み込むように、百さんは「そうされる方が迷惑だから」と言って、柔らかく微笑みながら頭を撫でてくれた。そのまま頬へと手が添えられる。
「ひなちゃん、順番逆になっちゃったけどオレと付き合ってくれる?」
「! はい……!」
そして私の答えを聞き、百さんは私の額に自分の額をくっつける。頬を赤く染めている百さんに優しい眼差しで見られ、どきどきと心臓が高鳴るのを感じた。
鼻と鼻が触れそうなとても近い距離。数秒目が合った後、吸い込まれるように触れるだけのキスをしたんだ。
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