06
幸か不幸か、ここ数日は百も私も仕事が忙しく、連絡はしても1日数通で終わっていた。本来なら幸なわけないのに、そんな言い方になってしまうこの状況がとても恨めしい。
そんな現実を感じつつも今日はCM撮影である。ただし、今日はーー…
「よろしく、お願いします……」
「……よろしく」
今日は、御堂さんとの撮影だった。
「カーット! んー、結芽ちゃん、まだ調子悪い? なんか表情固いんだよね〜」
月雲さんが仕組んだのか、それとも神様のイタズラなのか。そう思ってしまうほどのタイミングでの御堂さんとの撮影。撮影内容は化粧水のCMである。化粧水ということで互いが互いの頬を触り合う、そんなシーンがあるのだが、百のことがあって最近はそれしか考えられないのに、相手が御堂さんとなると、月雲さんによって抱かれそうになったこと、それによってたくさん泣いてしまったこと……それが原因でなかなかいい表情ができなかった。そのせいでリテイクを出してしまっている。
「1回休憩挟む?」
「すみません……大丈夫です!」
「結芽ちゃんも抱かれたい男NO.1の前だと緊張しちゃうのかな? なんてね! リラックスリラックス!」
とはいえ、仕事に私情は挟みたくないし、挟んではいけない。仕事は仕事だ。切り替えたいのに。頭では分かっているのに、やはりここ数日はリテイクが多く、周りに迷惑をかけてしまっていたのが現状だ。
御堂さんも黙って私の方を見ている。迷惑ばかりかけてないで、しっかりしなきゃ。
「……お願いします!」
私は息を吐き、頬を軽く叩いて気合いを入れて撮影を再開した。
朝の風景、私と御堂さんそれぞれ化粧水を塗る。そしてお互いの頬に触れ合って、目を合わせて数秒して微笑む、がーー…。
「………」
……あれ、御堂さんが笑っていない。目が合ってはいるけれど、御堂さんは私を真顔で見つめたままだ。どうしたんだろう。
「なあ監督。疲れたから休憩いいか」
すると御堂さんは監督に向かって、休憩を依頼したのだ。監督はすぐに了承し、私達は一旦休憩となる。
「……すみません、御堂さん。私のリテイクのせいで疲れさせて」
隣同士の椅子座る御堂さんと私。私がたくさんリテイクを出してしまったから疲れさせてしまったんだろう。申し訳ない。私は俯きながら御堂さんに謝ると、返ってきたのは予想外な言葉だった。
「いや……別に疲れては、ない」
「え?」
予想外な答えに驚き、御堂さんを見上げた。すると御堂さんは視線を合わせず、正面を見たまま言った。
「あんた自分から休憩するって言わないだろ」
「!」
「その、俺が言うのもあれだが……あんま無理すんなよ」
御堂さん自身は疲れていない。つまり気を使ってくれたわけだったのだ。だからといってこれ以上に会話が広がることはなく、私達は黙りながら椅子に座っている。御堂さんもこれ以上話さないのはきっと月雲さんが自分にとって社長に値する人だからだろう。
「……ありがとうございます」
それでもそう言ってくれたことに感謝でしかない。私はもう一度俯いてお礼を言ったんだ。
「虎於くん、そろそろどう? 結芽ちゃんも休めた?」
「あぁ、大丈夫です。……行くぞ」
そして監督に呼ばれ、立ち上がった御堂さんは1回私の頭を軽く叩いて先に現場へと戻った。私も続いてすぐに現場へと戻る。休憩に入り、少し気持ちが切り替わったのか、その後の撮影でなんとかOKをもらい、CM撮影は終了したのだった。
だけどこの時の私は知らなかった。百が途中から同じスタジオにいて、私達を見ていたことをーー…
△▼△
最近なんとなく結芽の様子が変に感じている。特にMOPの日の電話の声はどうも変だった。本人は仕事で疲れたと言っていたし、実際仕事も続いたのは事実だ。その時はオレもMOP打ち上げで少し酔ってたところもあって「わかった」と納得したような返事もしたけど、やっぱりあの感じは何か違う気がする。とは言っても結芽と全然会えていないからなんとも言えないところもあるけど。
近いうちにちゃんと会おう、そう思ってもここ数日は仕事が続いて忙しかった。けどやっと今日でひと段落だ。
歌番組の収録が終わったオレは次の番組収録まで楽屋で待機していた。するとおかりんから結芽も同じスタジオで撮影していることを知り、オレは結芽の様子を見に行くことにしたんだ。
「大徳さん」
頃合いを見て結芽が撮影しているスタジオにこっそり入り、小声で大徳さんを呼ぶ。オレに気付いた大徳さんも小声で話してくれた。
「百さん! どうかされましたか?」
「んーん、これといった用事はないんだけど……」
本当は結芽が心配で様子を見に来たところだが、人が多いところであんまり声に出したくないし、オレのお節介でもあるから少し答えを濁した。だけど大徳さんは察したようで、今日も結芽があまり調子が良くないと教えてくれた。
「そっか……結芽は休憩中?」
「はい、今あちらで御堂さんと一緒にいます」
「御堂?」
結芽の姿が見当たらない。そう思って聞くと大徳さんが教えてくれた。結芽は少し離れたところに座っていて、隣には虎於がいた。なるほど、今日は虎於との撮影なのか。
「…………」
結芽はオレに気付いていない。もちろん気付かなくていい。オレは結芽に気付かれないように2人を見ているが、なにやら2人は話している。その雰囲気はどことなく重い空気のように感じた。
「ねぇ、結芽って虎於と仕事するのって初めてだっけ?」
「あ、はい。御堂さん含むŹOOĻの人と仕事入るのは初めてですね」
そうだよな、結芽からも聞いたことがなかった。
それならなんだろうあの雰囲気は。なんとなく初対面ではないような空気が漂っているような気がして、オレは気になってしまった。もちろん仕事上会うことはあるかもしれないけど、妙に気になってしまった。
そのまま少し見ていると休憩が終わったようで監督に呼ばれていた。だけどその時、虎於が現場に戻る際に結芽の頭に手を置いたんだ。
「!」
オレはその光景に目を疑ってしまった。
あれ、結芽と虎於は初めて会ったんじゃないの? 虎於が頭に手を置くくらい仲良いの? ……なんで?
いろいろ考えたけど解決することはなかった。そしてすぐに撮影が再開するみたいで、オレはモヤモヤとした気分のまま大徳さんに挨拶だけして一旦戻る。
「御堂さんすごく本郷さんに気を使ってたね、見た!? 頭ぽんってしてた」
「休憩も結芽ちゃんのために取ってたよね、付き合ってるのかな?」
「……!」
だけど戻る際に聞こえたスタッフさんの話し声がオレを刺激した。
なにそれ。付き合ってるのはオレなんだけど。
そう言いたいけど付き合っていることは公にはしていないため、その気持ちを堪え、歯を食いしばりながら早歩きでスタジオ部屋を出た。そしてそのまま人通りの少ないところまで行き、窓辺に寄りかかって髪をくしゃっと掴んだ。
「んだよ……」
だめだ、ムシャクシャする。腸が煮えくり返るような感覚だ。分かっている、これは嫉妬だ。虎於に頭に手を置かれて、それで周りが付き合ってるって勘違されて。
それにしてもどうしてオレの知らないところであんなに仲良くなってるんだろう。虎於の性格を知っているから尚更気になる。
「あーもう……」
こんなにイライラすることなんて滅多にないのにな。それだけ結芽のことが大好きな証拠なんだろうけど。この気持ちをどうしようもできないオレは数回髪をかいた後、窓から見える景色をぼーっと見ていた。
それから少し経ち、時計を確認すると次の収録まで残り30分くらいだ。
ああ、そろそろ戻らないとな……と思って寄りかかっていた頭と肩を起こして歩き始める。
「了さん……?」
すると隣の通りを歩く了さんが見えた。ここで何してるんだろう了さんは。
先日のこともあり、了さんの動きが気になったオレは隣の通りへ行き、了さんを後ろから見る。了さんは鼻歌を歌って楽しそうにしていて、ある楽屋の目の前でピタッと止まった。そしてノックをして、「失礼しまーす」といつもの愉快な声で言ってその楽屋に入ったんだ。
△▼△
コンコン
「はい」
撮影が終わり、楽屋でひと休みしているとドアを誰かが叩いた。誰だろう、大徳さんかな。返事をすると「失礼しまーす」と聞こえ、ガチャっと開くドア。その声にゾクッと体が震えたのを感じた。聞き覚えがあるその声の主。
「やぁ結芽! 元気だったー?」
「……!」
入ってきたのは、愉快気に笑う月雲さんだった。
「……何の用ですか」
あんな状況に合い、当然好意的に接せない私は感情が込み上げ、月雲さんを強く睨むように見上げてしまう。そんな私を気にせずに月雲さんは楽しそうに笑って話した。
「わぁ怖い怖い。そういえば今日の撮影虎於とだったって? お疲れ様」
「……あなたが仕組んだんじゃないんですか」
「ひどいなぁ、僕は仕組んでないよ。監督にでも聞いてみればー?」
「………」
からかうような、挑発するような話し方。ひとつひとつに苛つきを感じたけど何とかして抑える。だけど次の一言が更に私を感情的にさせた。
「あ、そうだ。抱かれたい男NO.1に抱かれてどうだった?」
「っ!」
そう聞かれて思わず立ち上がる。ふざけるな、そう言いたい気持ちを抑えて机についた手をぐっと握りしめる。だめだ、感情的になってはいけない。
「黙ってないで教えてよー。モモとどっちが」
怒りを堪えて立ちすくんでいた私。だけど次の瞬間、怒りなど一気に消え、すーっと自分の血の気が引いたのがわかった。
「今の話、どういうこと?」
「!?」
なぜなら、百が入ってきたからだ。
「わーお、モモじゃないか」
「……も、も…!」
自分の頭が真っ白になるのがわかった。
なんで百がここにいるの。今の会話を百に聞かれてしまったみたいだ。どうしよう、どうしよう……!
焦ることしかできない私に対し、百はというと冷たい目で私達を睨みつけながら強い口調で言った。
「ねえどういうこと? 抱かれたって何?」
「………」
「あはは、聞かれちゃったねー結芽。どんまい」
百からの問いに答えられなかったが、代わりかのように月雲さんが答える。その答えに更に苛立った声色をする百。
「そもそも結芽と了さんって知り合いじゃないよね。了さん、結芽に何したんだよ」
「僕は何もしてないよ。全部結芽の意思さ」
やめて、それ以上何も言わないで。百に聞かれてしまい、私は頭が真っ白で正常な判断ができない。だけど
「……月雲さん、出てってください」
「えーこれから面白そうなのに?」
「いいから出てってください!」
これ以上月雲さんにこの状況を乱されたくない……そう思った私は月雲さんに帰るように声を上げた。すると意外にも月雲さんは私が言うと出てってくれた。
「あー怖い怖い。まあいいよ。約束通り百にもう何もしないから……さ」
余計な一言を残して。
バタン、とドアが閉まり、一瞬しんと沈黙になるものの、すぐに百が話し出した。
「結芽、今の話どういうこと?」
「………」
「ねぇ抱かれたって何? 了さんが言う抱かれたい男って虎於のことだろ。虎於に抱かれたの? てかオレには何もしないってなんだよ……!」
少しずつ声を荒らげる百。
違う、抱かれてはない……! そう言いたいけど言えなかった。抱かれる状況を了承したのは私だからだ。その気まずさから唇を噛んでは百の方を見れずにいると、百は楽屋の中央まで入り込み、私の腕を掴み上げた。
「黙ってないでなんとか言えよ! 了さんに、無理矢理抱かされたの……!?」
「っ!」
腕を掴まれ、百と目が合う。百は誰が見ても分かる程怒っていて、だけど苦しそうだった。私がそんな顔をさせているんだ。考えると心苦しくて罪悪感が込み上げてくる。
「……抱かれては、ないけど…っ」
「けどなんだよ。何があったんだよ!」
「っ……」
なんとか声を絞り出すけどこれ以上は言えなかった。あなたが殺されそうになったから代わりに他の人に抱かれようとしました、なんて言えるわけがなかったんだ。
再び黙り込んだ私に、百がまた声を上げようとした。だけど壁にかかっている時計の方を見て舌打ちをして黙り込み、静かに話し出す。
「……結芽、今日仕事何時まで」
「20時、だけど……」
「オレは今日21時に終わる。終わったら結芽の家に行く。そこで話して」
「本当は今にでも話さないとどうにかなりそうだけど、この後生放送だから……じゃあね結芽」
さっきとは違い、怒りを噛み殺して早口で話す百は乱雑にドアを閉めて出ていった。少し荒くバタン、とドアが閉まった音が楽屋内に響いたのだ。
百に聞かれてしまい、バレてしまった。恐れていた自体が起きてしまった。もう言い逃れはできない。
夜、百が家に来る。あんなに怒った百は初めてだ。できれば夜が来てほしくないとまで思ってしまう。
この全ての状況をどう彼に話せばいいんだろうーー…そう思いながら一日を過ごし、夜になるのだった。
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