07
「お疲れ様ー!」
21時過ぎ、生放送の収録が終わる。スタッフさん達に笑顔で挨拶を終えたオレはすぐに楽屋に戻った。結芽に会いに行く約束をしたけれど、それより先に聞きたい人物がいた。了さんだ。
結芽と話した時は感情的になってしまったオレだけど、「他の男、虎於に抱かれた」と了さんが言っていた。そんなの結芽が了さんに何かされたに違いないのは明らかだった。だから了さんに先に話を聞くことを決めたんだ。
了さんは生放送中にもスタジオ内に顔を出していたから、きっとまだどこかにいるだろう。そう思って携帯で了さんの連絡先を探し出す。
「お疲れ様、モモ」
「! ユキー! おつかれ!」
「ねぇなんかイライラしてなかった? 僕の気のせい?」
携帯を操作しているタイミングでユキが楽屋へと戻ってきてはオレに問いかける。イライラしてなかったと言えば嘘だ。ずっと結芽のことが気がかりで仕方がなかった。でも仕事だし生放送だから絶対顔に出さないようにしてたのに。ユキに指摘されてオレは戸惑ってしまう。
「……顔に出てた?」
「他の人には分からないくらいだと思うけど。どうしたの?」
「……結芽が…」
それでも気付かれてしまうなんてさすがユキだなぁと思いつつ、結芽と了さんが訳の分からない話をしていた。そう話そうとした時、
「おーい、モモいるー?」
「!」
楽屋のドアの外からオレを呼ぶ憎らしい声が聞こえたんだ。その主が了さんであることは顔を見なくても分かる。オレを呼んで数秒後、楽屋に入ってきた。
「モモいるじゃん〜。ってユキもいたんだ」
「月雲、何の用だ……!」
楽屋に入ってくる了さんを警戒するユキ。オレはというと、相変わらず楽しそうに話す了さんにふつふつと怒りが込み上げてくるけれど、了さんを探す手間が省けた。話を聞くんだ……そう思い、なるべく冷静でいるよう心がける。だけどそれはすぐに無駄になった。
「何の用って、モモの絶望した顔見に来たに決まってるじゃん」
「は?」
「ねぇねぇモモ。どうだった? 他の男に抱かれた結芽とあの後なんの話したの?」
「っ、てめぇ……!」
「モモ!」
さっきの冷静でいようという心がけは虚しく消え、結芽の話をされたオレに感情的にならないのは無理だった。了さんの言葉に簡単に怒り狂いそうになってしまう。
そんなオレを状況が飲み込めていないながらも、ユキは制止してくれていた。
だけど怒りは止まるはずなく、声を荒らげる。
「結芽に何したんだよ!」
「別にー? 僕は何もしてないってば」
そんな訳ない。了さんと結芽は知り合いじゃなかった。オレがそうさせなかったのに。
「んなわけねぇだろ! 何をした……脅したのか!?」
「脅しだなんて失礼だなぁ。取り引きならしたけど」
「取り引き?」
取り引き、その言葉に自分の眉間に皺が寄るのが分かる。
「あ、言っちゃった。結芽に言うなって言われてたんだった」
「なんだよ取り引きって、早く言え……!」
「怖いなぁモモ」
「言えっつってんだろ!」
「あー、はいはい。モモをベランダから落とすか結芽が抱かれるかの取り引きだよ。そしたら結芽が抱かれる方を選んだ、それだけ」
「っ!?」
どくん、と心臓が響く。
それを聞いたオレは目を見開いて言葉を失った。
なんだよ、それ。じゃあ全部オレのせいだってことかよ。結芽と了さんが話していた「オレには何もしない」ってそういうことかよ……!
オレがベランダから落とされるって、つまりそれは、MOPの前日のことだ。どういう経緯で結芽と了さんが話すきっかけとなったかはわからない。だけどその日からずっと結芽はーー…。
昼に楽屋で結芽が言った「抱かれてはない」の言葉を思い出す。あの顔は多分本当のことを言っているとは思う。だけどそれでもあの時の辛そうで今にも泣きそうな結芽の表情は忘れられない。きっと危険な目に、そしてずっと辛かったに違いない。
その原因が自分だった。オレが巻き込んでしまった…そう考えると、了さんへの怒りから対象が自分へのやり場のない怒りに変わった。身体が震えてしまう。
「あはは! モモのその顔が見れてよかったよ」
歯を食いしばり、こぶしを強く握ることしかできない。そんなオレを見て了さんは嬉しそうに笑ったんだ。
オレは動揺を隠せずに、その後のことは流れに任せるがままになってしまった。話を察したユキが了さんに怒鳴り、そのタイミングでおかりんが楽屋に来て、そこで了さんが退室していた気がする。
その後ユキにどういうことか、と聞かれたけどオレは結芽に会いたい、会わなきゃいけない……その一心で身体を震わせながらスタジオを出て無心で結芽の家に向かったんだ。
△▼△
恐れていた事態が起き、百に月雲さんとのやりとりを聞かれてしまった。
聞かれたのは一部だけど、でも「他の人に抱かれた」「百には何もしない」。ここまで聞かれてしまえば、なんとなく状況の予測はつくだろう。ほぼ聞かれてしまったようなものだ。
百怒ってたな。
……当たり前、だよなあ。
「……」
仕事が終わり、家に着いた私は穏やかでいれるわけもなく、ソファに座りながらずっと考えていた。
百にどう話せばいいんだろう。あの日たまたま月雲さんと会って、会話を聞いて、百が死んじゃうって聞いて、代わりに抱かれることを了承した。これが事実である。だけどそれは百が聞いたらどう思う……?
きっと百は自分を責めるだろう。でも百が悪いわけじゃない。私自身が他の人に抱かれることを選択し、恋人として百を裏切ってることには変わりない。御堂さんのおかげで何事もなかったけど、相手が御堂さんじゃなかったらきっと事を致していた。その状態のまま私は百と付き合う資格なんてない。じゃあなんて言えばいいのだ。
ぐるぐると考えを巡らせるけれど答えが出ない。そんな時、ピロリン、とラビチャの通知音が鳴る。
『ごめん遅くなった。もう着くよ』
ラビチャの相手は百だ。携帯で時間を確認するともうすぐ23時になる頃だった。ああ、もうそんな時間だったんだ。
百がもうすぐ来る、その現実を突きつけられると一気に身体に緊張が走った。静かな部屋の中、心臓がバクバクとうるさい。身体が震えてしまう。それから間もなくインターホンが鳴ったんだ。
「……遅くなってごめん。入るね」
インターホンが鳴り、ドアホン越しにやりとりをする。百は合鍵を持っているため、少しした後玄関のドアがガチャリと開いた。
「………」
入ってきた百の表情は険しく、苦い顔をして下の方を見ている。
「……お疲れ様、百」
玄関まで出迎えたけれど、どんな顔をすればいいか分からずに私は目を伏せてしまう。なんとか言葉を交わすけれど百は眉をひそめて黙ったままだ。しばらくその場で沈黙が続いた後、百は「入るね」と静かな声で言って部屋へ先に入ったため、そのまま百を追うようにして部屋に入った。
「………」
「………」
そして部屋でも再び沈黙が続いた。
どうしよう、話さなきゃいけないのになんて話せばいいの。百の背中を後ろから見つめ、喉まで出かかっては話せない。だけど何か言わなきゃ。唇を噛み締めて意を決して震える声を振り絞る。
「あの、百……」
「………」
「その、昼の、月雲さんのは……」
頑張って話そうとするけれど、頭が真っ白になってごっちゃになってしまう。だんだんと自分の呼吸が荒くなって、百の背中が滲んで見えてきた。
「っ、ごめ、その、」
「結芽、ごめん……!」
うまく話せず、俯いて目元から出てくる水気を拭っていると、聞こえたのは百の掠れる声で、感じたのは温もりだった。それは一瞬の出来事で、百は私を抱きしめたんだ。
「も、も……?」
「っ、ごめん……!」
私を抱きしめる力は強く、だけど百の肩は震えていて、声も掠れていて絞り出すような声だった。
あれ、どうしてそんな声してるの。まだ私は何も話せていないのに。どうして百がそんな悲しそうにしているの……?
「、どうしたの百……」
「どうしたのじゃないだろ……! 了さんが言ってた、結芽がオレのせいで脅されたって」
「!」
「ごめん、辛い思いさせてほんとにごめん……! 何も知らなかったのに、昼怒っちゃったし、本当にごめん……っ!」
百の腕の力が更に強くななり、苦しい。百の表情は見えないけど、声は震えていて、ところどころで嗚咽が聞こえた。百も泣いてるのだろうか。
「……百、怒ってないの…?」
「……なんで結芽に怒るの?」
「だって、聞いたなら知ってると思うけど、私、他の人に抱かれちゃうことを、頷いたんだよ……!?」
「……もちろん嫌だよ。結芽が他の男に抱かれるなんて考えるだけで狂いそうになる。
でもオレがもし逆の立場で、結芽の命と引き換えに他の女の子を抱けって言われたら……多分結芽と同じ選択するかもしれない。結芽の命には替えられないよ」
「……っ」
それを聞き、目元に何か熱いものが込み上げて来た私は百の背中に手を回した。
ずっと考えていた。月雲さんの言う通り、このまま何も言わない状態では百と付き合い続けるのが苦しい。でも、だからと言って言ったら嫌われるかもしれない。嫌われたら別れなければいけないかもしれない。でも百のことが大好きな私から言えることじゃなかった。
そんな相反した苦しみと辛さから解放された今、感情が高まって涙が溢れ出てしまう。一度出た涙は止まらず、嗚咽と一緒に体も震えてしまった。
百はそんな私を包み込むように、強かった腕の力を弱めて優しく抱きしめ続けてくれている。
「っ、ごめんね辛かったよね。オレが結芽とツクモを関わらせたくなくて、避けてたのが余計に了さんのツボになっちゃったんだと思う……」
「……ずっと心配かけてごめん。ツクモの、了さんの横暴なやり方を止めようとオレとユキでいろいろやってたんだ。分かると思うけど了さんは手段を選ばない人だから結芽を巻き込みたくなかったんだ」
百はゆっくりと、か細い声で話してくれた。それを聞いてずっと気になっていた最近の百が無理しているように感じた理由も私の中でようやく結びついたんだ。
「でももう了さんを止める。やっとその準備ができたんだ。だから結芽、これ以上何かされることはないから安心して。って言ってもオレのせいだし、なんか変だけど……本当にごめん」
「っ、ううん……! ぅっ…」
それを聞いて更に安心できたのか、再び熱いものが込み上げてぽろぽろと涙が溢れる。ずっと泣いている私を、百は落ち着くまでずっと抱きしめてくれたんだ。
「……落ち着いた?」
「ん……」
少し落ち着いたのを確認した百は、腕を私の背中から離して、一緒にソファ座った。そして私の顔を覗き込んで話し出す。
「結芽、ほんとに虎於になにもされてない?」
真剣な表情で、でも目元が少しだけ赤く見えるような気がする百の顔。
「うん……そういう状況にはなっちゃったけど、ほんとに何もなかったよ……!」
「……そっか。だから今日虎於との撮影、なんか仲良さそうだったんだね」
「……!見てたの… ?」
「うん。虎於が結芽の頭撫でるとこ見てヤキモチ妬いちゃった」
「!あれは、御堂さんが気を使ってくれ、ん……」
まさかちょうど休憩の時を見られていたなんて。でもあれには深い意味なんてなくて、御堂さんが気を使ってくれただけだ。そう説明しようとしたけれど、そのまま百の唇でキスをされてしまった。数秒触れた後、その唇はすぐに離される。
「……変な意味なんてないのは分かるよ。でもオレはそれだけですごい嫉妬して、イライラする男なんだよ。それくらい結芽が大好き 」
「……っ…」
真剣な熱の籠もった表情で改めて言われ、思わず私は顔が熱くなるのを感じる。そして百は私の涙のあとを拭いながら話を続けた。
「結芽、もう二度とこんな目に合わせないし、 オレが絶対守る。約束する」
百はそう言い終わった後、もう一度私に優しいキスをしたんだ。
「も、もも……!」
「んー、なに?」
「き、キスいっぱい……」
その後も触れるキスや、吸い付かれるキス、少し深いキスを何度もされ、何も考えられず頭がくらくらしてしまう私。止まらないキスの合間になんとか訴えるが、百はなんともなさそうな顔で私を見る。
「嫌?」
「嫌じゃ、ないけど……!」
「ならいいじゃん。最近忙しかったし久しぶりに一緒にいるんだよ?」
「ん、うう…」
話しながらもちゅ、とキスを続ける百だけど、それから少ししてキスの嵐が止み、私を抱きしめた。
「んー、でもこれ以上キスするともう止まらなくなっちゃうから先にお風呂入ろっか」
「え、えとそれは」
「もちろん一緒に。もう入っちゃった?」
「これからだけど……」
「じゃあ決まり。モモちゃん今日は絶対結芽から離れないから」
「うう……今お風呂入れてくるね」
そのまま百のペースに飲まれ、お湯を入れにお風呂場に向かったんだ。
百に話せてよかった。
どうすればいいのか分からずに、もしかしたら別れてしまうかもしれない恐怖もあった。辛くてたくさん泣いたりもしたけれど、ちゃんと話せて本当によかった……!
いろいろあったからこそ余計に久しぶりに感じる百との時間。幸せを感じながら、一緒に過ごしたのだった。
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