目を覚ますと窓の外では雨が降っていた。窓硝子に当たった雨粒が次から次へ線を描いて滑り落ちる。暗い天井に視線を巡らせながら夜が更けても探偵社に帰らなかったライドウさんのことを思い浮かべた。今は夜中の何時だろう。もう帰って来ているだろうか。ふと思い立って寝台を這い出ると裸足のまま扉へ歩み寄って耳を付けてみる。しんと静まり返る廊下の奥から僅かな物音が聞こえる。音を立てないよう扉を開いて顔を覗かせると物音の方向に目を凝らした。こつ、こつと静かな規則正しい靴音と共に暗闇に溶け込むかのような黒外套がゆらりと現れた。
「ライドウさん」
「名前さん?」
ライドウさんは少し驚いたような声をあげるとその足を止めた。ビルヂングの明かりは既に消されていて冷んやりした廊下は仄暗い闇に覆われている。外の光に照らされた白い顔がなんとか確認出来た。
「お帰りなさい。思ったより帰りが遅くて心配していました」
「すみません、少し手間取ってしまって。…名前さんは、」
言葉がぎこちなく途切れた。
「…いえ、何でも。部屋に戻ります。おやすみなさい」
「あ、ライドウさん」
言って足早に立ち去ろうとする黒外套の裾を掴めば、冷たく重みを増した手触りのそれはやはりというか当然というか雨に降られたらしかった。私はそのままライドウさんの手を引いた。
「風邪をひくといけません、入ってください」
「いえ、自分は」
「いいから」
遠慮がちに身を引くライドウさんを私は半ば強引に自室に引き入れた。電灯のスイッチを入れると雨に濡れてすっかり黒色を深くした外套が光を鈍く照り返していた。学帽の鍔からは雫が滴る。
「はい、これで拭いてください」
「…すみません」
「ああ外套はすぐ脱いでくださいね。明日乾かしておきますから」
「…ありがとうございます」
ライドウさんは素直に私の指示に従っていた。こういうところはやっぱり歳相応のようで少し可愛らしいと思ってしまう。この人の場合は性根が真面目すぎるだけということもあるだろうけれど。
「すみません、夜分遅いのに」
ライドウさんは使い終えたタオルを私に手渡しながら小さく頭を下げた。雨足は先ほどより弱くなっているようだった。
「いいえ、そんなこと。勝手に世話を焼いたのは私ですから」
鈍色の目が微笑む。
「あの、ライドウさん、さっき何か言いかけませんでした?」
彼はっとして私を見詰め返したその視線を今度は困ったように宙に漂わせた。
「……もしかしたら、」
彼にしては珍しい歯切れの悪い調子だった。
「貴女がこんな夜分遅くまで自分を待っていてくれたのではと、自惚れたことを考えていたんです」
ライドウさんは気恥ずかしそうに学帽の鍔を指先で傾けた。なんだか見ているこっちまで照れ臭い気持ちだ。少し間があって、私はくすりと笑った。
「はい、自惚れていいんですよ」
ライドウさんは鍔下から丸くした目を覗かせた。帰りの遅い貴方を心配していつまでも床に着かなかったのもこうして夜更けの雨音に目を覚ましたのも、全て本当のこと。私が笑うとライドウさんもつられたように微笑んだ。灯りの点る室内にふたりの微かな笑い声と窓を打つ雨音が静かに満ちていく。

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