昨日から今日にかけての余韻が残っている、俺が死ぬ日。
テーブルの上には空き缶が大量に残っていて、こんなに開けたんだ、なんて思いながらぼんやりと視線を移した。
ソファに寝ている君。
眉間にはうっすらとしわが寄せられてて、無意識に口角が上がった。
ねえ、君は今どんな夢を見てるのかな。
悪夢じゃないといいな。今日に限って君の夢の中にナイトメアが登場してたら、耐えられないぜ。
くだらない事を考えながらを眺めていれば、壁に掛けられた時計が一つの時刻の一分前を指し示した。
同時にかちり、と俺の時計も最後の時を刻み始める。
ああ、反対を押し切って出てきちゃったから怒るんだろうなあ、ユリウス。
多分かなり口をきいてくれないんじゃないかな、やっぱり。
でもさあ、こうして無事に会えたんだしいいじゃないか。
記憶が残ってようがいまいがなまえ、はなまえでしかないんだ。
俺がエースであるように。
あ、一つだけ厄介だと思う事があるよ。
俺の時計は誰が回収するんだろうな?
ユリウスが来るしかないんだろうけどさ。あはははは、嫌な顔で渋々来るんだろうなあ。
でもそんな面倒事を引きずってでも、こっちに来たのは正解だった。
ペーターさんも流石に来れないだろうし、君の寝顔も、君のツンと澄ました顔も、君の警戒した顔も、君の…………。
あれ?何でだろ、君とこっちで過ごしたのは、かなり短かった筈なのにな。それでも、色んななまえの顔が思い出せちゃうんだ。
君は俺の表情を覚えててくれるのかなあ、忘れないかな。
ねえ、俺さ。
自分でも凄く、カッコ悪いって思うけど。
死にたくない、って初めて思ったよ。
俺、やっぱりバカだからさ気づくのが遅かったよ、向こうでは死ぬのに対してなんにも思ってなかったけどさ。
死ぬのってこんなに、怖いことだったんだな。
『こちり』
嗚呼、もう時間みたいだ。
起きてる時に、じゃあねって言えたら良かったんだけどなあ。
あっはははは、タイミング悪いぜー。
なあ、もし聞こえてたらさ俺に教えてくれよ。
「この、目から出てくるしょっぱいのは、なんなんだろうな…?」
ゴトン
何かが床に落ちる音で、わたしは目を覚ました。二日酔いで鈍痛のする頭を抑えて、体を起こす。
「エース…?」
先に目覚めているエースの姿を探す。
どうせアイツが何かをどこからか落としたのだろう、と思っての事だ。
「ん…」
ソファに横たえていた足を床に下ろせば、つま先に固い感触。
「時計、だ」
そして、ハッとする。
時計を片手に、大学生が一人暮らしをするには、全く不自由ない程の広さの我が家を走り回った。
いない。
エースがどこにも、いない。
なんだ、ついに死んだのか。
結局、本当にここで死んだのか。
お世話になりましたとか、一言くらい残して逝くのが常識でしょ。
ソファのすぐ下、小さな水滴を見つけた。
死について的はずれな事をわたしに話したくせに、結局死ぬのが怖くなったんじゃないか。
ざまあみろ、馬鹿め。
「こんな時計、解体して危険物としてゴミで出してやる」
「あんたが気にいってた、このソファも粗大ゴミにしてやる」
「ジャージ、だって古紙古布に、出してやる」
「全部、全部、ここにあんたが、いた証拠なん、て残してやるも、んか」
「死ん、だなんて、認めないんだ、から」
馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。
耳障りな笑い声でわたしの名前を呼んだら、殴ってやるんだから。
少しだけ時計が錆びても文句だって、言わせない。
馬鹿、せっかく好きになってきたのに。
私は普通の大学生に戻るのだ。
今までの出来事を無かった事にして、日常を取り戻す。
それでも今日は、非日常を少しだけ懐かしませてもらおう。
どこか違う場所で、エースに出会ったら一発殴る為にも。
そんな事を思う私の口元は、自然と三日月を描いていた。
ご愛読、ありがとうございました。