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「……ッタ……ロゼ……ロゼッタ」
誰かがロゼッタの名前を呼んでいた。心地良い揺れを感じつつも、ロゼッタは薄っすらと目を開ける。
ぼんやりして姿がはっきりしないが、誰かが彼女を覗き込んでいる。
「なに……もう、朝?」
「ったく、寝惚けてるのか?」
何秒か経つと、視界も晴れていく。よく見ると、覗き込んでいたのはリカードだった。
ロゼッタがびっくりした表情で彼を見上げていると、珍しくも彼は苦笑した。しかも妙に柔らかな、大切なモノを見る目付きだった。声音も妙に優しい。別に彼が普段優しくないというわけではなく、こんな声を掛けられたのは初めてなのだ。
困惑してながらも身を起こすと、ここは見慣れた寝室だった。
「何でリカードがここにいるの?」
寝室へ無断で入ってくる様な不躾な男ではない。何かしら重要な用があったのだろう。
しかし、今度はリカードの方が困惑する番だった。
「何でって……俺がここに居るのはおかしいか?」
「?」
「夫婦になった時に寝室は共有にしただろうが」
「…………え?」
耳を疑う衝撃的な言葉が聞こえてきた。
今のが彼女の聞き間違いでないのであれば、確かにリカードは「夫婦」と言っていた。
夫婦というのがロゼッタの認識の間違いでなければ、結婚した男女の事だ。つまり、リカードは彼とロゼッタが結婚した仲であると言っている。
そんな記憶ロゼッタには微塵もない。
「え? 私と、リカードが夫婦……?」
「は? どうしたんだ、ロゼッタ?」
怪訝そうな目でリカードが彼女を見てくるが、彼女はそれどころではない。
「い、いいいいつ、わたしと、リカードって、その……結婚、したの……?」
動揺のあまりロゼッタは挙動不審となっている。
「はぁ? 三ヶ月前にお前が王位を継いだのと同時に式を挙げただろうが」
「え? 王位……?」
結婚はおろか、王位を継いだ事さえ憶えていない。記憶にあるのはまだ王位を継がず、離宮で過ごしている頃の事だけ。それ以降の事は全く記憶に無かった。
「今日のお前はおかしいな」
いや、おかしいのはリカードの方だと叫びたかったが、ロゼッタはそれをぐっと堪える。まだ状況を把握出来ていない。
しかしこれがリカードの冗談とは思えない。表情だって真面目だ。それにこんな質の悪い冗談を言う様な男でもない。
困惑していると再び部屋の扉が開いた。
「ちょっと待ってよ騎士長さん、誰と誰が夫婦だって?」
「ノア?」
勢い良く入ってきたのはノアだ。ロゼッタの記憶にあるノアは腰まで青い髪を伸ばしているが、今目の前にいるノアは毛先が肩位で、記憶にある長さよりずっと短い。前髪も清潔感があり、僅かに大人びた表情だった。
大人っぽい雰囲気のノアに圧倒されたロゼッタは何も言えなかったが、ノアはずかずかと部屋に入り込み彼女の手を掴む。
「……こんな所にいないで、早く帰ろう姫様」
「え? ちょっと……帰るってドコによ!?」
「……ドコって僕らが住んでる村だよ。午後からは村の人の診察があるんだから、姫様には手伝って貰わなきゃ」
ぐいぐいと引っ張ろうとするノア。必死に抗いながらロゼッタは考えるが、彼の言う村の事も診察も覚えはない。
すると、おい待て、とリカードがノアを制する。
「どういう事だ、ノア」
「……どういう事って? こっちこそ姫様がここに居る理由を聞きたい位だよ。四年前に姫様は王位継承権を放棄して、僕と一緒に市井に戻った筈だよ」
「え? ちょっと待ってノア? それ本当に?」
これではリカードと言っている事が真逆で、ロゼッタは驚きの声を上げる。
リカードの言い分では王位を継承してリカードと結婚した事となっている。しかし、ノアの証言によると敬称はせず、ノアと共に庶民へと戻ったらしい。
「どうしたの姫様……? 忘れちゃったの?」
一向に歩こうとしない彼女に、ノアは哀しげな瞳で顔を覗き込む。握った手に力が込められ、決して離そうとはしなかった。
彼の表情に罪悪感が込み上げるが、ロゼッタには訳が分からない状況のままである。
二人を見上げて何か言わなきゃとは思うものの、言葉が喉に詰まる。
「……戻ってきてよ、姫様。僕にとって姫様が一番大事だし必要なんだよ」
こんな言葉、今まで言われた事などなかった。
「だから待て、ノア。勝手に話を進めるな。ロゼッタは俺の妻だ。連れて行っても良いとは言っていないぞ」
「え? 騎士長さんの? もしかして立ったまま寝言言ってるの……?」
険悪なムードが漂い始めているのはロゼッタにもひしひしと伝わった。正直どちらとも結婚していないのに、と思ったが状況が上手く飲み込めず何も出来なかった。
どうしてこんな事になってしまったのか、そんな事を考えていると再び部屋の扉が開く。
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