10
「ここにさ、昨日出来た液体があるんだよ」
「え。液体……?」
ノアが懐から出したのは小さな小瓶。中には紫とも青とも形容しがたい色の液体が渦巻いていた。見た瞬間、ついロゼッタはヒッと悲鳴を漏らしてしまった。それ程酷い色をしており、人が飲む様な代物では決してなかった。
今にも中の液体からは気体が湧いて、ごぽっと音を立てそうである。
「それで……これを?」
「飲むんだよ。当然でしょ」
当然でしょと言われても、これを誰が飲みたいと言うだろうか。
自分が飲むわけでもないが、それでも色や臭いは人が摂取していいものとは到底思えない。ロゼッタが振り返ると、リーンハルトもリカードも表情が固まっていた。むしろ、顔色が悪い。
「ちなみに、それ何の用途の為に作ったの……?」
顔を引きつらせながらリーンハルトが控えめに尋ねた。人が入れ替わった時の為に作ったとは思えない。本当は違う目的で作ったのに、実験台として飲まされようとしているのは明白だった。
「…………いや、別にそんな細かい事はいいじゃない軍師さん」
「じゃあ最初の間は何だ!」
飲まされては堪らないとリカードが叫ぶ。
ノア以外の面々はごくりと息を飲んだ。確実にノア特製の薬を飲んだら危険だということは分かりきっている。
「大丈夫だよ、騎士長さん。少し苦いかもしれないけど、その後ピリ辛仕様だから。そんなに甘くないし。あ、待った。体が入れ替わっているってことは味覚もやっぱそれぞれ感じるのかな。まず入れ替わった『中身』を定義しないと難しい問題だね。入れ替わった部位は脳ではないけど、五感がそれぞれ繋がっているということは……神経を通して五感は通じてないのかな。心なんて不確かなもので定義は出来ないし、やっぱ研究しないと分からないな。でも軍師さんの体で見えている風景は、騎士長さんが視覚として捉えているわけで。まず入れ替わる原因もよく分からないかも。そこを特定した方が早い。頭同士がぶつかった事に意味があるのか、それとも同じ衝撃を受けた事に意味があるのか。この目で確かめてみないと少し難しいな。折角のモルモットだから、ゆっくり投薬して衝撃の量を増やせば大丈夫かな……そういえば昔見た文献で電流に対して一説唱えている人もいたような……」
薬を片手ににじり寄りながら、何やらぶつぶつと呟いている。ノアにしては異常なほど饒舌な呟きだった。ここまで来ると独り言かも分からないが、誰一人として彼の呟きに口を挟めない。ここまで饒舌に喋っている彼を見るのはロゼッタ達も初めてだった。
多分、人はこれを生き生きしていると言うのだろう。そうだとしたら、何て傍迷惑な生き生きの仕方だ。
「ち、近寄るなっ……!」
恐怖に顔を歪めながら、リカードは後退して行く。
「ああ、楽しいなぁ……」
今まで見た事ないほどの恍惚の表情を浮かべ、ノアは瓶を握り締める。彼の外見が外見なだけに、その顔は美しいのだが怖い。
「お、落ち着きなさいノア……!」
シリルの制止の声さえ彼の耳には入っていない。もう彼の眼には実験の二文字しか見えていないのである。
「わ、馬鹿! リカード押すな!」
後退して来るリカードに巻き込まれ、リーンハルトは体のバランスを崩す。その後はまるでドミノ倒しの様な状況だった。リーンハルトに絡まれていたロゼッタも巻き込まれ、そのロゼッタを助け様としたアルブレヒトも引き込まれる形に。
そしてそんな三人に躓いたリカードも後ろへ倒れてくる。
リーンハルト、ロゼッタ、アルブレヒト、リカードで綺麗なドミノ倒しだった。四人が倒れ込む瞬間、シリルは助け様と試みたが間に合わず。目の前で四人が倒れて行く様を見ていただけであった。
「だ、大丈夫ですか皆さん……!」
床に転がる四人に、慌ててシリルは掛け寄る。大きな怪我はない様だが、それぞれ腰や頭を擦りながら起き上っていた。
そんな彼らを小瓶片手に見下ろしながら、ノアはポツリと一言。
「次は、誰が誰なんだろうね」
怖い言葉を呟いたのだった。
その後、今度は四人入れ替わってしまったのだろうか。今では口に出すものは誰一人としていない。
end
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