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陛下から渡された手紙を全て渡し終え、アルブレヒトは報告する為に陛下の執務室を目指して歩いていた。その足取りは覇気がなかった。
現状に不満があるのかと問われれば、そういうわけではない。とても満足しているし、今までの自分の生活を考えればなんて贅沢だろうかとも思える。
しかし、ノア達が羨ましいと思うのも真実で。
気付けばいつの間にか執務室の前へと戻ってきたアルブレヒト。しっかり任務を完了した事を報告しなければ、この仕事が終わった事にはならない。
「……只今、戻りました」
元気の無い声で扉をくぐると、王シュルヴェステルは先程と何ら変わりなく、自分の椅子に座って書類を眺めていた。
その少し後ろには王の側近ベルナルドが控えめに立っている。
「ああ、おかえり。どうだった?」
戻ってきたアルブレヒトを見て王は破顔した。笑うと目尻に皺が出来るところが少しだけ年齢を感じさせる。
「全部、届けた。全員了承との事」
王の前まで行き、背筋をぴんと伸ばした状態でアルブレヒトは答える。先程まであった可愛い嫉妬は隠して。
アルブレヒトの報告を聞き、そうか、と王はほっとひと安心していた。王である彼の命令に誰も背く事は出来ないと知りつつも、それでもアルブレヒトの帰りを緊張して待っていたのだろう。
「他に仕事無ければ、自分、戻る」
一歩引いて踵を返そうとするとアルブレヒト。すると、そんな彼を王は呼び止めた。
「……実はまだ一通渡し忘れた手紙があってね」
そう言って王は机の中から一通手紙を取り出した。見た目は先程アルブレヒトが皆に配ったものと同様。王の紋章まで入っている。
アルブレヒトは王から最後の手紙を受け取った。
「至急届ける。これ、誰に」
「裏を見れば分かる」
微笑みながら言うシュルヴェステルを少し訝しく思いながらも、アルブレヒトは手紙を裏返して宛名を見た。
アルブレヒト=ハンフリー、確かにそこにはアルブレヒトのフルネームが書かれていた。
口をぽかんと開けた状態で、手紙と王を彼は交互に何度も見比べる。
「……呆けるなアルブレヒト。王からの勅命だ」
王の後ろに控えるベルナルドが厳しい口調で言い放つ。その言葉ではっと我に返ったアルブレヒトは、緊張の面持ちで手紙の封を切った。
中から出てきたのは手紙が一枚。内容は王女ロゼッタの側近への任命状だった。
自分が望んでいたものだ。しかし突然の事に喜びよりも驚きの方が大きく、手紙を持ったままアルブレヒトは固まっていた。
「はぁ、これでは先が思いやられる……」
と、額を押さえながら溜息を吐くのはベルナルド。
しかしシュルヴェステルはくすくすと微笑んだ。
「ロゼッタは今年十七歳になる。側近は年の近い者が良いだろうと思ったんだ。それにそろそろアルブレヒトも十分一人で戦えるだろうと思ってね」
王の言葉はアルブレヒトの実力を信頼しているという意味が込められている。それには彼も気づいた。
「娘は単身でこちらに来ることになる……きっと寂しい思いもさせるだろう。アルブレヒト、娘をよろしく頼むよ」
「はいっ……!」
部屋に入って来た時とは打って変わり、元気よくアルブレヒトは返事をした。希望に満ち溢れている、というのはこういう事をいうのだろう。若いアルブレヒトに、王はにこにことを笑っているだけであった。
だが王から貰った任務は命を張るものの、今までにない重要な任務。王からの信頼の証としては十分な価値があった。
アルブレヒトは大事に任命状を抱き締め、部屋を後にしたのだった。
「……大分、喜んでいましたね」
呆れた口調でベルナルドはぽつりと零す。
「推薦したのはベルだろう」
「……あくまで、王女の身辺の事を考えた上での推薦です。本来なら年の近い女性をつけるべきですが」
剣に秀でた優秀な二十歳前後の女性となると、なかなか探すのは難しいのだ。騎士団に女性がいないわけではないが、現在この任務に最適な者がいないのが現実。余談だが、数年前であればリカードの姉が推薦されていたに違いない。今は結婚して離職しているが、剣の技術は確かにアッヒェンヴァルの血筋であった。
そして、最初はアルブレヒトをつける予定はなかったものの、ベルナルドの推薦により王はロゼッタの側近をアルブレヒトとしたのであった。
「それに、アルブレヒトは少し視野が狭い。年齢故という部分もありますが、もう少し外と触れ合ってみるべきかと」
厳しい師を持ってアルブレヒトは幸せだな、とシュルヴェステルは微笑んだ。
ベルナルドは王の側近、そしてアルブレヒトはその補佐をよくしていた。と言っても一般的な教養をろくにつけていない彼に出来る事は雑用だけであったが。だが、そんな彼にベルナルドは時折勉強を教えたり、剣の指南をしていたのを王は知っている。
「……少し寂しくなるね」
「いずれ戻ります。ほんの少しの間です」
断言するベルナルドに、シュルヴェステルは苦笑を浮かべるのだった。
***「はい、これ路銀ね。何かあったら連絡して」
そして後日、旅支度を終えたアルブレヒトとシリルの姿は城下町の外れにあった。軍師リーンハルトは銀貨の入った皮袋をシリルに手渡した。
そう、今日はアルブレヒトにとって旅立ちの日。ロゼッタを迎えに行く任務の初日であった。見送りに来てくれたのはリーンハルトだけであったが、空を見上げると雲一つない快晴である。
「ありがとうございます、軍師。連絡の方は定期的に入れるようにします」
「うん、お願いね。本当は俺が行きたかったんだけどね、どうしても仕事で行けなかったし。王女様の事、よろしく頼んだよ」
「うむ」
アルブレヒトは力強く頷いた。頼もしいね、とリーンハルトは明るく笑う。
「リカードも行かせようと思ったんだけど、仕事で忙しそうなんだよね。ノアはああだから、外に絶対に出てこないし」
肩を竦めながらリーンハルトは言うが、見送りにも来ない二人がそう簡単にロゼッタを迎えに行くわけがない。シリルさえも苦笑した。
「さて、そろそろ行きましょうか」
シリルがそう言うので、アルブレヒトは頷いた。
あまり長く居ては目立ってしまう。あくまでロゼッタを連れて来るのは極秘の任務なのだから。
アルブレヒト達はリーンハルトに背を向け歩き出した。一歩、そして一歩と歩き、城下町の外へと出る。アルブレヒトは初めてだった、こうして国外へ旅に出るというのは。
上を見上げると蒼海の様な空。この空の続くした下に、これから使えるべきロゼッタという少女がいる。まだ見ぬ少女に思いを馳せながら、アルブレヒトはアルセル公国へと旅立ったのであった。
end
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