短篇 | ナノ
4



「兄上、手紙持ってきた」

 リーンハルト、リカードに手紙を渡したアルブレヒトは、最後に地下にある宮廷魔術師ノアの部屋を訪れた。
 宮廷魔術師ノア、十九という若さにして王に注目されている研究熱心な魔術師。だがその実、単なる引き籠りである。彼の引き籠り癖は城内でも有名であり、問題児の一人だ。一日中地下室にある部屋に引き籠り、異臭を撒き散らしながら実験をしている。
 しかし、アルブレヒトにとっては兄の様な存在。知らない者が多いこの城で、唯一頼れる人物だ。

「兄上」

 部屋の扉を開けると、定位置となった椅子に座りながら黙々と作業をしているノアの背中が見えた。アルブレヒトには目もくれない。
 部屋に一歩踏み入れると、部屋に充満したツンとした臭いがアルブレヒトの鼻孔をついた。
 しかしこんな事は慣れっこだ。アルブレヒトはずかずかと部屋に入り込んだ。床には放置された本やビーカー、変な色の液体が入った瓶などが転がっている。それらを避けながら、アルブレヒトはノアの横に立った。
 そこが丁度ノアの手元に影を落とす場所。
 ノアは眉を寄せて、仕方無しに面を上げたのだった。

「……なに?」

 僅かにノアの声には不機嫌が入り混じる。まるで雑草の様に伸び散らかった青い髪の奥では深緑の瞳が眠そうに細められる。

「陛下から手紙、兄上に」

「ふうん」

 懐から取り出した手紙をアルブレヒトはノアの目の前に突き付けた。しかし興味無さそうにノアはまた手元に目を向ける。受け取る気はゼロだった。

「兄上」

「じゃあ、そこに入れといて」

 本の文字を目で追いながら、ノアはとある方向を指差す。ノアの指先をアルブレヒトが目で追うと、その先にあったのは煌々と燃える暖炉。
 読む気は無い、ということらしい。

「……兄上、読む」

 ノアの白くて細い手を無理矢理掴むと、彼の手に手紙を握らせた。
 アルブレヒトの仕事は手紙を届けること。しかし、しっかりと読んで貰わなければ届けた事にはならないのだ。手紙とノアの手、しっかりとアルブレヒトは握り締める。嫌々ながらノアは手紙を受け取る羽目になったのだった。

「何で嫌?」

「だって、大抵面倒な事頼んでくるじゃん。しかも僕が外に出ないといけないような仕事ばっかり」

 宮廷魔術師なので薬をずっと作っていると思われがちだが、要請があれば勿論城外に出ることもある。数年前の話だが、城下を騒がせた女性の誘拐事件の為に女装で囮捜査させられたのは今でも苦い思い出だ。しかし、これはまた別のお話。
 だから嫌なんだよ、とぶつぶつ文句を言いながらノアは手紙の封を切った。中から出て来たのは白い一枚の便箋、ノアは渋々それに目を通し始めた。

「……はぁ」

 それから数秒後、ノアは嘆息を漏らす。はっきりとした言葉は出していないが、彼の雰囲気から全身で「嫌だ」と物語っていた。

「何て?」

「はい」

 説明のが面倒だったのか、ノアは陛下からの手紙をアルブレヒトに渡した。
 要約すると今度来る姫君の護衛兼魔術の指南役の任命書。リーンハルトやリカードとは似た様な内容であった。

「長い期間、此処から離れなきゃいけないってことでしょ。嫌だな」

 心底嫌そうにノアは呟く。彼の脳内の大部分を占めているのは実験だ。昨日作った薬品を実験台に毎日投薬するという研究をしており、それを怠るわけにはいかない。それに一昨日作った薬は、冷蔵しながら毎日反応を見ているのでこれも放っておけない。

「兄上は贅沢」

 アルブレヒトは貰えない任務を貰えているというのに、それを嫌だと言うノア。アルブレヒトからして見れば、ノアは贅沢なのだ。

「じゃあ、僕の代わりにすれば」

「自分は魔術使えない。兄上しか出来ない」

 アルブレヒトが魔術を使えないのは周知の事実。ノアとて知っている割りには、簡単に代わりにすれば良いと口にする。
 アルブレヒトはむっとした表情を浮かべていた。

「贅沢、ねぇ……僕には拒否権なんて無いけど」

 陛下からの手紙を器用に折り、ノアは紙飛行機を作っていた。上質な紙だというのに彼にとってはどれでも同じ。例えそれが陛下からの手紙であってもだ。
 完成した紙飛行機を徐に空へと放つと、ゆっくり浮上し、前進しながら徐々に降下して行った。そして紙飛行機は暖炉の中へ。白い紙は一瞬で黒くなり、その存在すらも暖炉の中で焼き消えてしまった。

「……宮廷魔術師なんて僕以外にもいるのに。どうしてこうも面倒な仕事をさせるのかな」

 頬杖をつきながら、ノアは暖炉の火を眺めながらポツリと呟く。
 しかし先程彼が言った通り拒否は出来ない。この城に置いて安定した衣食住を提供されている以上、陛下からの仕事は断れないのだ。

「重大な任務、陛下から信用厚いということ」

「信用なんていらないのに……ただ僕のことは、放っておいてくれたら良いのに」

 苦々しく呟くノアがアルブレヒトは羨ましい。
 陛下からの重大な任務はつまりは厚い信用があること、そして必要とされていること。アルブレヒトが純粋に欲しているものだ。
 ということは、今回任務を与えられないアルブレヒトは陛下にとってその程度だったという事なのだ。その事実に気付いたアルブレヒトは深く深く落胆したのだった。




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