短篇 | ナノ
6


 その頃のリカードはリーンハルトの悪巧みなど露知らず、王の執務室で王シュルヴェステルの仕事を補佐していた。

「……ハルト」

「陛下、次はこの書類に印を押して下さい。それから先程、国境沿いの警備兵から報告書が来ました。こちらも目を通して下さい」

「……あの、ハルト……?」

「定刻にある会議の資料はこちらとこちらです。それから、明日の物はあちらにありますので早めに目を通して下さい」

「……ハルト、ちょっと待ちなさい」

 数度目に渡るシュルヴェステルの制止の声に、ようやくリーンハルトの姿をしたリカードは振り返った。
 リカード自身はいつもと変わらず、普段通りのスタイルで仕事をこなしていた。本当に普段通りに。それ故に、強烈な違和感を放っているのだ。
 普段飄々としているシュルヴェステルすら、戸惑いを隠せずにいた。
 それもそうだ、リーンハルトがこんな真面目にかつどこかの騎士団長のように眉間に皺を寄せて仕事をする風景など、誰が見た事あるだろうか。いや、無い。喋り方も妙に硬い。

「何でしょうか、陛下?」

「私は怒らないから……正直に言いなさい。何か怒られるような事をしたのかい?」

 普段滅多に聞かないリーンハルトの敬語が気味悪いらしく、シュルヴェステルは違う方向で勘違いをしていた。どうやらリーンハルトが陛下を怒らせるような事をして、余所余所しい態度をしていると思っているようだ。
 しかし、そんな王の心境も理解していないリーンハルトもといリカードは、不思議そうに眉間に皺を寄せた。彼にとって何気ないそんな仕草も、今では違和感しか生み出さない。

「いや、特には……」

「落ち着いて話しなさいハルト。怒らないから……例え城のメイドを孕ませたとか、ロゼッタに手を出したとか、隠し子がいるとか言っても……怒らないから私と今後について冷静に話し合おう。だから正直に言いなさい」

「へ、陛下こそ落ち着いて下さい」

 リカードにしてみればシュルヴェステルこそ様子が可笑しいと言っても良い。一人何かを勘違いした挙句、神妙な顔付きで他の者に聞かれたら普通は不味い話を平然と言っている。
 確かにリカードもリーンハルトの体で普段通りは駄目だろうと思ったものの、どう頑張ってもリーンハルトの物真似が出来なかったのだ。悩んだ挙句が普段通りと言う違和感しか感じない強行手段だった。

「出来てしまったものは仕方がない。お前の歳くらいならやんちゃもしたいだろうし、私だってそういう時期はあった……」

「陛下、落ち着いて下さい」

 どうやらシュルヴェステルの中ではリーンハルトの様子がかなり可笑しい、つまり子供を作ったという話にまで展開してしまったようだ。これは俺は悪くない、とリカードは自分に言い聞かせた。王がここまで追い詰めてしまうのは、どちらかと言うとリーンハルトの普段の爛れた生活のせいだとしか言いようがない。
 しかし、このまま王を放っておくわけにもいかない。反面、リカードにはシュルヴェステルの止め方など知らない。本物のリーンハルトならば上手く扱えるのだろうが。

「……陛下、次の仕事持ってきましたが……って、リーンハルト。居たのか」

 そこへ、深緑色の短髪の男性が入っていた。年の頃は二十代後半から三十代前半。

「ベルナルド、丁度良い所に」

 男の名前はベルナルド=アルバ。王シュルヴェステルの側近で腹心の部下の一人である。リーンハルトよりも古参で、王の傍らにはいつもリーンハルトもしくは彼の姿がある。
 左側に垂れる一筋の髪に付けてある髪留めを揺らしながら、怪訝そうに彼は二人に近付いてきた。

「珍しいな、お前朝仕事したくないとか言って逃げただろう」

「いや、まぁ、これには深い訳があって……」

「お前の深い訳は大抵浅いから、言い訳は聞かないぞ」

 リーンハルトの扱いも慣れているのか、しれっと平然とベルナルドは言い放った。 深い訳と言いつつも、リーンハルトと中身が入れ替わってしまったとは口が裂けても言えない。ベルナルドの一蹴にリカードは何も言えなかった。

「陛下、口を動かす暇があるなら手を動かす」

 しかしリーンハルトの事など元々気にも留めてないベルナルドは、リカードを素通りしてさっさと王の元へと行く。

「ベル、良い所に。聞いてくれハルトが大変なんだ」

「大変なのはあんたの仕事と頭だ。喋る猶予が欲しかったら、一つでも早くさっさと仕事を片付ける」

 ベルナルドには王に反論の隙を与えない。本来なら不敬だと思われるだろうが、長年王の元で仕えて培った彼なりの王のあしらい方なのだろう。シュルヴェステル本人が気にしてない為、周りも特に何かを言ったりはしない。
 それにベルナルドも馬鹿ではない。こういった場ではとことん王に対してきつく当たることもあるが、基本他の臣下の前では忠実で有能な側近である。だからこそ、王も彼を側に置いている。
 尚、リーンハルトが裏でベルナルドに付けたあだ名は裏番長。リーンハルトでも王とベルナルドに挟まれるとやはり心労が溜まるらしい。王からは無理難題を押し付けられ、ベルナルドからは苦言を呈されるのだから。

「そういえばハルト。リカードは仕事が終わったのか?」

「え?」

 一瞬自分の事かと思ったが今は中身が入れ替わっている。つまり、ベルナルドが見たリカードはリーンハルトだろう。
 何か嫌な予感我したリカードは眉根を寄せた。

「……リカードが、どうした?」

「城を出て行くのを見た。帰ったのか? 若干様子が、奇妙だったが……」

 様子が可笑しかったではなく「様子が奇妙だった」という表現のし方は嫌な想像しか浮かばない。
 あんなに変な事はするなと釘を刺したのに、とリカードは溜息を吐きながら頭を押さえた。リーンハルトの様子は聞きたくない。その結果自分にダメージが来る事を十分知っているからだ。しかし、詳細を聞かなくてはリーンハルトの後も追えない。

「離宮に戻る様子だったな、あれは。だが……何と言っていいやら。俺が見た事ない程の満面の笑みだったな。そう、あれは小躍りしそうなくらい。俺を見て『ベルたんバイバイ』とか言っていたな。余程嬉しい事でもあったのか? しかしあれは気持ち悪くて頂けないな」

 嫌な予感が的中。リカードの予想の範囲でしかないが、リーンハルトのその満面の笑みとやらは何かをしでかす前触れだろう。
 冷や汗がリカードの首筋を流れた。

「リーンハルト、腹が激痛の為本日は早退させて頂きますっ……!」

 リカードは高らかに宣言した。

「おい! リーンハルト!」

 そしてベルナルドとシュルヴェステルの返答を聞かぬまま、腹が激痛とは思えない程の全力疾走でリカードは執務室を飛び出して行ったのだった。



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