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*** 話は数時間前に遡る。その日のリカードは兎に角仕事に追われていた。普段の真面目な彼は仕事を溜め込むことはないのだが、今日の仕事量が半端なかった。
騎士団長の彼は剣を振るう事だけが仕事、と思われがちだがそうではない。軍事会議にも出席しなければいけないし、軍の維持費に関する書類にも目を通さなければいけない。それに国民から来る要請書もある。事務的な仕事も多くあるのだ。
「くそ……ハルトの奴、どこ行きやがった」
そして、今日彼の仕事を増やした一因は軍師のリーンハルトも含まれていた。リーンハルトの所在が掴めず、今日中に印を押して貰わねばいけない書類がまだ彼の手元にあるのだ。
リーンハルトの場合、仕事でふらふらしている時もあるが、サボって城内をふらふら散歩していることもある。質が悪いことに、今日は後者であった。
誰が見ても明らかな不機嫌な表情で、リカードはリーンハルトを探していた。
「書類の処理が終わったら、次は部下に指示を出して、それから他にも目を通す書類があったな。今日中に陛下の判も頂かなくては……ったく、時間が全っ然足りない」
今日中にすべき仕事を頭の中で整理し、悪態をつくリカード。普段の彼ならば仏頂面であっても口が悪くなることは滅多にない。つまり、それ程仕事が切迫しているのだ。
そして、目の前には曲がり角。息巻きながら、そのままリカードは勢いよく曲がった。
*** その日のリーンハルトは実に機嫌良く城内を歩き回っていた。
リカードとは反対に溜まっていた仕事も大体目途がつき、アスペラル王シュルヴェステルの嫌みや部下の監視の目から掻い潜り羽を伸ばそうとしていた。つまりは、サボりというわけである。
窓の外を見れば天気も良く、仕事という柵からも逃げ出した。リーンハルトとしてはスキップしたくなる程の気分だった。
「さって、今日は定時に帰ってロゼッタお嬢さんで遊ぼうっと」
そんな不穏な事を呟きながら廊下の曲がり角を曲がったのも束の間、彼は何かに勢いよくぶつかり、後ろに倒れたのだった。
*** まさか、曲がり角を曲がった瞬間に誰かとぶつかるとは予想していなかったリカード。リカード自身書類を見ていて余所見をしていたせいもある。
どうやら相手は女子供ではなかったらしい。体付きが良いはずのリカードですら、思いっきり後ろに倒れる形となってしまった。しかもこれが結構痛い。頭同士がぶつかって強打したらしく、言葉にならない痛みはしばらく続いていた。
「す、すまない」
相手も余所見をしていた節はあるが、リカードにも非はある。頭を押さえながら、ぶつかった相手を見た。
「あー……ごめん、俺も余所見しちゃったから」
未だ頭を擦りながら、ぶつかった相手もそう謝ってくれる。
しかし、リカードはそんな場合ではなかった。目の前の人物からの謝罪の言葉など、彼の耳には届いてはいない。いや、この場合本当にリカード自身の耳に届いているのかすら不明だが。
リカードは硬直した。
何故なら目の前にいるのは黒い短髪に赤い瞳の男。よく見慣れた顔立ちに、リカードは着慣れている黒い軍服。おまけにリカードの愛用している剣も目の前の男は腰に差している。
「お前……誰だ……?」
目の前にいる男に何と声を掛けて良いのか分からなかったリカードは、つい咄嗟にそう声を掛けた。
「え……誰って、リーンハ」
目の前の男も面を上げてリカードを見た。リカードの目の前にいる男――黒髪に赤目の青年は床に座ったまま目を見開いて硬直した。
「俺が、いる……?」
リカード――金髪に金と翠の瞳をした青年を見た男は、驚愕の表情でそう呟いたのだった。
二人の中身が入れ換わった事に気付くのに、そう時間は掛からなかった。
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