短篇 | ナノ
4

 ロゼッタはすごく温かい気分だった。
 別に熱があるから体が温かいという話ではない。シリルの優しい言葉や気持ちが温かいと感じたのだ。

「ありがとう、ございます……」

 彼女の言葉に応えるようにシリルは微笑を浮かべた。
 彼は不思議な人だとロゼッタは思う。たまに頼りなさそうな風にも見せるが、誰よりも優しく、そして感情の機微に敏感であった。

「ロゼッタ様のお仕事は勉学に励む事と元気に過ごす事と、そして我侭を仰る事です。好きなだけ我侭言って下さい」

 それが冗談なのか本気なのか分からないが、シリルはにっこりと微笑んだ。つい、ロゼッタもつられて笑ってしまった。
 体は熱があってだるいのに、心は嬉しいくらいに軽い。

「今は陛下に会えない分、私が精一杯ロゼッタ様の言いたい事や溜まってる事聞きます。だから少しでも良いので吐き出して下さい」

 陛下の代わりなんて恐れ多いですけどね、と彼は苦笑するがその気持ちがロゼッタには嬉しいのだ。彼女はベッドに横たわりながら、もう一度お礼を言った。
 そして、そこでロゼッタはようやく喉の渇きを思い出した。我侭を言ってはいけないという気持ちで随分押し込められていたが、シリルによって軽くなった心から自然と出てきたのだ。

「あの、シリルさん……」

「どうしました? どこか苦しいですか?」

 先程までロゼッタから喋り出すことがなかったため、体に異変でもあっただろうか、とシリルは心配そうにロゼッタの顔を覗きこんだ。

「えっと……喉が渇いちゃって。お水、頼めますか……?」

 すると、少しだけシリルは驚いたような表情を見せた。きっとロゼッタがこうしてすぐに素直に我侭を言うとは思っていなかったのだろう。
 一瞬驚きの表情を見せたものの、シリルは嬉しそうに微笑んで頷いた。

「ええ、分かりました。今用意しますね。そういえばグレースさんが林檎があると仰っていたのですが食べますか?」

「林檎……」

 あの瑞々しい赤い果実を思い出し、胃は突然活発になったようである。微かな空腹感で、確かに胃は林檎が食べたいと主張していた。
 林檎も食べたいです、と恥ずかしそうにロゼッタが言うとシリルは快く頷いたのだった。

     ***

 それからすぐにシリルはロゼッタ所望の冷えた水と林檎を持ってきてくれた。皿の切られた林檎にフォークを刺し、シリルはそれをロゼッタに手渡した。

「はい、どうぞ。今年のは美味しいらしいですよ」

 上体を起こしたロゼッタはフォークを受け取り、しゃくしゃくと林檎を齧る。水分を多分に含んだ甘味をしばらく振りに食べた気がした。
 彼女が美味しそうに林檎を食べていると、ふとシリルがこちらを見ていることに気付いた。口元は弧を描き、嬉しそうな表情をしていた。

「どうしたんですか……?」

「ロゼッタ様が美味しそうに食べてくれるので、私も見ていて嬉しくてですね」

 どうしてだろう、とロゼッタは不思議そうにシリルを見る。自分が食べてる姿なんて面白いわけでもないし、ましてや嬉しくなる様なことなんてあるわけがない。
 それでもロゼッタを見ている彼の穏やかな瞳を見て、ロゼッタは少し心臓が騒ぐ気がした。見られていることが恥ずかしいとも思った。

(風邪のせい……?)

 考えても分からない微かに活発になった動悸。林檎を黙々と齧りながらロゼッタは自分の頬が若干熱いと思った。

「……ロゼッタ様? さっきより少し赤い気がしますね……熱が上がったんでしょうか?」

 若干の顔色の違いにシリルは気付いた。心配そうにおもむろにシリルは手を伸ばしてくる。彼の手は自然とロゼッタの額に触れるが、ロゼッタの頬は更にかっと熱くなった気がした。さっきも同じ行為をされたというのに、今は何かが違う。

「あ、えっと……やっぱ熱出てきたみたいだから、もう寝ますね……!」

 持っていたフォークをシリルに押し付け、ロゼッタは逃げる様にベッドの中へ潜り込んでしまった。
 唖然としていたシリルだったが、そこまで具合が悪くなってしまったのだろうか、と違う事を考えていた。

「そうですか……では、おやすみなさいロゼッタ様。何かあったら呼んで下さいね」

 そしてシリルはロゼッタを静かに寝かせるために、彼女の部屋を後にした。
 シリルが部屋を出て行った後、ロゼッタは自分の胸に触れた。さっきまで静かだった鼓動が、妙に煩く鳴っている。触れられた瞬間感じた妙な緊張感、今まで彼に対してそんな事はなかったはずである。

(きっと、風邪のせいよ……)

 そう、鼓動が煩いのは風邪のせい。そう自分に言い聞かせて、風邪が治ったら一番にシリルに報告しに行こうと思いながらロゼッタは深い眠りについたのだった。



end

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