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ロゼッタが刺繍する姿が余程珍しかったのか、リカードは彼女の手元を覗きこんでいた。
これでは少々作業し辛いと思いつつ、彼女はそのまま針を動かし続ける。
「何でいきなり刺繍なんかしてんだ?」
どこから道具を手に入れたかすら分からない。とりあえずリカードが把握している中では、縫い物の授業など彼女にはなかった筈である。
「暇だって言ってたら、グレースさんがこれを貸してくれたの。確か……淑女の嗜み、だっけ?」
あまりグレースと親しいわけではないが、ロゼッタを姫君扱いしている彼女ならば確かに言いそうな事である、とリカードは思った。ロゼッタを常々立派な姫君にしたいと言っているらしいグレースなら、ロゼッタにこうした女性らしい事もさせたいのだろう。使用人にさせる様な事は認めていないが。
リカードはジッとロゼッタを見た。魔族にしては珍しい銀の髪を揺らしながら、不機嫌そうに針を持つ手を動かしている。
「淑女……はっ」
「何よ、その最後の笑いは」
あからさまな悪意が見える笑い方に、ロゼッタは頬を引き攣らせる。つまりリカードは、お前のどこが淑女なんだ、と言いたいらしい。
ロゼッタ自身、貴族の娘や王族の様に気品や上品さがあるとは思っていない。ましてや、淑女なんて言葉が似合うとは思ってもいない。所詮は片田舎の村娘だったのだから。
「そりゃ、自分だって淑女なんて柄じゃないって思ってるけど……」
他人に、むしろリカードに笑われた事はとてつもなく腹が立った。特に、女性らしい事も出来ないと思われるのは悔しくて仕方ない。
だが、リカードの態度などいつもの事。もう放っておこう、とロゼッタは針を再び刺した。
その瞬間、指に痛みが走り、声にならない叫びを彼女は上げた。
「っ!」
痛みが走った指を確認するまでも無い。指に針を刺してしまったのだ。
ロゼッタは手を表にして指を見てみると、人差し指に小さな穴が空き、赤く滲んでいた。思っていたより深々と刺してしまったらしい。
徐々に血は表面に出てきて、赤い滴を作っていた。
「お前、何してんだ……」
呆れた表情を浮かべたリカードが、ロゼッタの手を取った。指から滴った赤い滴が、刺繍中だった白い布に垂れ、赤い染みを作る。
「随分深く刺さったな。喋りながらしてるからだ」
リカードは指をまじまじと見つめながら、状態を観察してる。自業自得だ、と言いたげな彼の表情に、ロゼッタは口をへの字に曲げた。
「あんたが話しかけ」
あんたが話しかけるからでしょ、と言い掛けた彼女の言葉は途中で止まった。
それもその筈。言い掛けている最中に、彼女の指に生温かいものが触れたからだ。それも、彼女は目の前でその光景を見てしまった。
「なっ……!」
ロゼッタの血が滴る指を、リカードに舐められた。
血を吸う様に、生温かく湿った舌が血を舐め取る。
舌の少しザラザラした様な感触も、柔らかさも、湿った体温も、思ったよりも柔らかい唇も、鮮明に指からロゼッタに伝わっていた。
その事実を混乱している頭の中で必死に整理し、彼女は顔を真っ赤にしながらリカードを見上げた。耳朶まで真っ赤にしている彼女に対して、彼はいつもと左程変わらない。
「こういう傷口でも、放っておくと化膿する可能性がある。後からグレースにでも処置して貰え」
どうやら、リカードは素でしてしまったらしい。戦場で戦う騎士なのだから、小さな傷でも気になるのだろう。
しかし、彼の言葉はロゼッタの右耳から入り、左耳から抜けていた。
(悪質……)
本人は厚意か何かでしてくれたのだろうが、ロゼッタはそれどころではない。脳裏にこびり付いてしまった体温も感触も、そう簡単に忘れそうにはない。
だが、本人だけは気にしていない。その点が、悪質だと彼女は思った。
気にしているのはロゼッタだけ。それでは気にしている自分自身が馬鹿馬鹿しくも感じる。
(……すごく真っ赤……)
横目で見た窓ガラスに、自分が映っていた。
それも、顔も耳も真っ赤にした自分が。
「どうした? いきなり黙って。顔赤いぞ」
自覚も何もないリカードは仏頂面で尋ねてくる。
「何でもない!」
「?」
赤面しながらロゼッタは叫んだ。赤い染みを作ってしまった刺繍途中の白い布を握り締めて。
赤く染まるのは、白い布?
それとも――
end
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