短篇 | ナノ
3

「それは……」

 答えに窮する様に、言葉に詰まるロゼッタ。明らかに動揺し、視線を右往左往させてさ迷わせていた。
 そんな彼女があまりにも可笑しくて、リーンハルトは更に揺さぶってやりたくなった。

「それは、何?」

 言ってみて、とリーンハルトはロゼッタの顔を覗き込んだ。

「それとも、言えない程やましい事でもしてたの?」

「するわけないでしょ!」

「なら、言えるよね?」

 しまった、と言わんばかりの表情でロゼッタは固まった。上手くリーンハルトに乗せられてしまったのだから。
 リーンハルトはにっこりと笑っているが、意図して誘導したに違いない。

「それは……」

「それは?」

 ロゼッタは間を置いて、重い口を開くのを躊躇っていた。頬には朱が混じり、ほんのり赤い。

「一人で、食事するの……寂しいと思ったから」

 意を決したロゼッタはポツリと呟いた。だが、それはしっかり彼の耳にも聞こえており、驚きの表情で彼女を見ていた。

「最近ハルトの帰りがすごく遅いってシリルさんに聞いて。やっぱり、一人で食事するのは嫌かなって思ったの。それに、お帰りなさいって言ってあげられないし」

 だから今日は待っていた、とロゼッタは恥ずかしげに告げる。
 きっと、彼女はずっと肌寒い広間で待っていてくれたのだろう。何時に帰ってくるかも分からない、リーンハルトを。

「ハルト?」

 何も言わない彼を、不安げにロゼッタは見上げた。そんな些細な理由で待っていた事に呆れたのだろうか、と彼女は思ったのだ。
 だが、見上げた先にあったのは呆れているリーンハルトの表情ではない。口元を押さえ、困った様な表情をしたリーンハルトであった。

 こんなリーンハルトは初めて見ただろう。

「別に、ただ、寂しいかなって思っただけで、深い意味はないから……!」

 いつもと様子の違うリーンハルトに、更にロゼッタは照れた様に狼狽える。ここで彼がいつもの様にからかってくれたなら、いつも通りの反応を返せた筈だった。
 だが、リーンハルトがそんな様子では、ロゼッタの調子も狂ってしまう。

「そ、それじゃあ……もう部屋だから!」

 ようやく二人の前方にロゼッタの部屋が見えてきた。これ以上口を開けば、更にいらない事まで言ってしまいそうなロゼッタ。墓穴を掘りたくはない彼女は、自室へ向かって駆け出そうとする。
 しかし、その右手はリーンハルトに容易く指を絡める様に繋ぎ止められる。

「……ありがとう、ロゼッタお嬢さん」

 月の光を受けたリーンハルトの顔を真っ直ぐ見ると、とても綺麗だとロゼッタは感じた。全く表情を窺う事が出来ず、嬉しそうにも悲しそうにもとれる。

「え、えっと……」

 こんな真面目にお礼を言われるとは思っていなかったロゼッタは、どう反応して良いか困っている様であった。
 すると、リーンハルトはゆっくりと、自然な動作でロゼッタの掴んでいた右手を自分の口元へ運んだ。

「!」

 ロゼッタは手の平に、息と柔らかな物が押し付けられる様な感覚がした。目の前起こった光景に、彼女は怒るよりも驚きの方が先に来ている。
 身体を硬直させたまま、そのままリーンハルトを見上げていた。

「手、冷えてるね」

 リーンハルトは至って普通な反応であった。未だ彼女の手を取りながら、そんな事を呑気に呟いている。

「そ、そう?」

 ロゼッタの声は裏返ったまま応えた。
 もう、手の平に冷えなど感じない。身体全体が緊張で火照ってている感覚しかなかった。

「こっちも、冷えてるんじゃない?」

 妖艶に微笑んで、リーンハルトの右手がロゼッタの頬に触れてきた。触れられた部分が熱を持つ。だけど、彼女は固まって動く事が出来なかった。
 彼の右手の親指が、今度は唇をなぞる様に撫でる。

 いつの間に、こんなに距離を詰められたのだろうか、それはもうロゼッタにも分からない。そして、その綺麗な顔がいつもより一段と近く感じる。
 金と翠の双眸に捕らえられて、ロゼッタは魅入られた様にその場に立ち尽くした。その美しい色合いをした瞳は、檻の様だとロゼッタは漠然と思った。

 近付いてくる顔に、ロゼッタは声を上げなかった。
 緊張か、それとも受け入れようとしているのか、彼女自身も分からない。

 しかし、彼の唇が最終的に触れたのはロゼッタの瞼の上だった。それも軽く触れるだけ。
 茫然とロゼッタは彼を見上げていた。

「ん? 口の方が良かった?」

 あとはいつも通り。口を開けば人を怒らせたいのだろうか、と思ってしまう台詞。

「ば、馬鹿言わないで……!」

「そう言ってー。ちょっと期待しちゃったくせに」

「そんなわけないでしょ! も、もう戻るからね!」

 顔も耳朶も真っ赤にしたロゼッタは、リーンハルトの手を振り切って、部屋へと駆けて行った。今度は彼も追いかけない。彼女が部屋へ戻っていくのを、静かに見守っていた。
 だが、ロゼッタは部屋の扉を閉め切ってしまう前にひょっこりと首を扉の隙間から出して彼を見た。

「……お、おやすみ!」

 それだけ言うと、バタンっとロゼッタは部屋の扉を閉めたのだった。
 律儀な彼女をクスクスと笑いながらリーンハルトは、既に聞こえないロゼッタに向かって、おやすみと呟く。


――別に、ただ、寂しいかなって思っただけ


 先程の、ロゼッタの言葉が彼の頭の中で蘇る。憐れみなんかじゃない、純粋な優しさの言葉。
 リーンハルトは口角を上げた。

「もう、寂しくはないよ」

 手に残る彼女の体温を握り締め、リーンハルトは踵を返したのだった。



end

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