短篇 | ナノ
4


「そろそろ戻った方が良いだろ。もう真夜中だからな」

「そ、そうね」

 こんなに普通に言葉を交わす日が来るとは思わなかった。いつもは嫌味や皮肉の言い合いで、決して仲が良いとは言えない二人。
 だけど今日は何故か普通だ、とロゼッタは木製の剣を拾い上げながら思った。

「あ」

 ふと、彼女は空を見上げた。紺碧の空に広がるのは、散らばした様な沢山の星。澄んだ夜空に、その存在を誇示するかの様に輝いていた。
 アスぺラルに来て結構経つが、こうして空をじっくりと見上げたのは初めてだろう。ここまで星が見えると初めて知ったのだ。

「結構星が見えるのね……村でもこれ位見れたわ」

「別に珍しい物でもないだろ」

 欠伸を噛み殺しながら、リカードは大して面白くなさそうに呟く。ずっとこの国で生きてきた彼には、珍しい発見でもないのだ。
 だがつまらなさそうにしつつも、それでも彼は勝手に帰ろうとする事はなかった。

「早くしろ」

「分かってるわよ」

 慌てて準備する彼女を急かす様な真似をしても、しっかりと待っていた。
 彼は腕を組み、木製の剣と魔術書とタオルを持って帰る準備をするロゼッタを眺めている。

「終わったわ」

「明日も仕事があるんだ。さっさと部屋に戻るぞ。仕方ないから、部屋まで送ってやる」

「送ってやるって……どうせ部屋、隣同士じゃない」

 隣を歩きながらリカードは偉そうに言うが、元々二人が戻る方向は一緒なのだ。部屋が隣同士なのだから。
 むすっとするロゼッタだったが、そこへリカードの手が伸びてくる。目を丸くしていると、彼がロゼッタの手から木製の剣を取っていったのだ。
 不思議そうにロゼッタはリカードを見上げた。

「何だよ、その顔は」

 眉間に皺を寄せながら、怪訝そうにリカードは見返してくる。ロゼッタの手から木製の剣を取った彼は、そのまま彼女の横を歩き続けた。

(もしかして、持ってくれたって事?)

 鉄製の剣に比べれば軽いが、剣を模した物なのでそこそこの長さはある。それに加えて魔術書やタオルなどの荷物を持っていので、少しだけ大変と言えば大変だったのだ。
 まさか彼が自分から優しさを見せてくれるとは思ってもいなかった。

(お礼、言った方が良いわよね……?)

 思えば、今日は彼にお礼を言う事が沢山ある筈。丁寧に剣術を教えてくれた事、ちゃんと待ってくれた事、そして荷物まで持ってくれた事。
 今だって何だかんだ言っても隣を歩いている。本当なら、リカードの歩幅はもっと広い筈だが、彼女に合わせてくれているのだ。

(言わなきゃいけないんだろうけど、今更言うのも……恥ずかしい)

 顔を合わせる度につっかかったりしている二人。今更素直になるのも恥ずかしい気がした。

(何て言えば良いの? 素直にありがとう?)

 相手がリカードのせいで、余計に深刻に考えてしまう。
 もし仮に相手がシリルならば、気兼ねなく素直に彼女はありがとうと言えた。

(リカードだし……)

 悶々と考えてみるが、良い案が思い浮かばない。下手な事を言えば、また口喧嘩になるのが目に見える。
 ロゼッタはちらりと横目で彼を見上げた。僅かに眠そうな、前を見据える精悍な横顔が彼女の瞳に映った。

 いつものリカードなのに、リカードではない気がした。時刻が深夜だからか、それとも廊下が薄暗く雰囲気が違うからか、それは分からない。
 だが、ロゼッタ本人も気付かない内に、彼をじっと見つめてしまっていた。

「……おい、部屋に着いたぞ」

「え? あ、そ、そうね」

 声を掛けられるまで、既に部屋の前に着いた事など気付かなかった。彼に声を掛けられた事で、ようやく彼女は今の状況に気付いたのだった。
 考え事をしていると早いものである。いつの間にか部屋に到着したのだから。

(着いちゃった……まだお礼言ってないのに……)

 お礼を言わないという手もあるにはある。だが昔シスターに、人に親切にされたらちゃんとお礼を言いなさい、と教えられてきたのだ。
 ここで言わなかったら、長年の教えに背く事になる。きっと後悔するだろう。

「……ほら、剣返す」

 そんな事をロゼッタが考えているとは露知らず、リカードは持っていた木製の剣を彼女に手渡した。

「んじゃ、部屋に戻る」

 欠伸をしながら彼は部屋のドアノブに手を伸ばした。が、後ろから名前を呼ばれ、不思議そうに振り向いた。

「何だよ?」

 彼女に呼び止められるとは思ってもいなかった。何の用なのか、全く見当がつかない。

「そ、その……ありがとう」

 リカードは目を丸くした。

「ほら、剣術教えてくれたり。それから待ってもらったし、剣持ってくれたし……あと、歩幅合わせてくれたり。嬉しかったから……だから、今日はありがとう! それじゃ、おやすみ!」

 最後は逃げる様にして、ロゼッタは自分の部屋に戻って行った。
 廊下に取り残されたリカードは固まって、ロゼッタが今まで立っていた場所を見つめていた。そして、頭の中では彼女の言葉が反芻されている。

(えっと……)

 正直な感想、眠気が吹っ飛んだというのが本音だ。予期しない出来事に、彼は動く事が出来なかった。
 リカードは口元に手を当てた。

「……普段から、それ位可愛げがあれば良いのにな」

 困った様に呟く彼の表情は、困惑の色の他に、僅かに朱が混じっていた。


end

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