アスペラル | ナノ
10


「行っちゃったわね、リカード……」

 扉を呆然と見つめ、ロゼッタは呟いた。彼が何故あんなに叫び、怒る様に部屋を出ていってしまったのかを彼女は分かっていない。

「あれで案外、照れてるんだと思います」

「?」

 シリルはにこやかに笑っている。どうやらリカードが微笑ましくて仕方ないらしい。
 だが、結局彼女にはイマイチ理由が分からずじまいであった。

「ん……」

 今までの騒音のせいか、アルブレヒトが瞼を開けた。朦朧とする意識の中、ショボショボしている目を必死に擦り、状況の把握を急いでいる。

「リカードのせいで起きちゃったわね……」

 あんなに彼が叫んだのだ、ある意味当然だろう。しかもリカードが出ていく時、扉が勢い良く閉じられていた。その音も一因に違いない。

「アルブレヒト、眠いなら部屋へ戻って休んだらどうです? ロゼッタ様もこの通り元気の様ですし……何も心配せずに寝ても良いんですよ?」

「……いい。ここにいる」

 首を横に振り、シリルの申し出を拒否するアルブレヒト。どうやら自分の眠気より、ロゼッタを優先するらしい。
 側近として寝るわけにはいかない、とアルブレヒトは頑なだった。

「……アル、眠いのならちゃんと寝てきなさい」

 すると、ロゼッタが小さい子を叱咤するかの様な口振りで彼に言った。

「ですが……」

「それで倒れたらどうするの? 側近なら、自分の体調管理くらいちゃんとしなきゃ。ほら、立って部屋へ行きなさい。それに寝なきゃ大きくなれないわよ」

 そう言って彼女はアルブレヒトを無理矢理立たせ、広間から追いやる様に出ていかせた。最終的には渋々彼も同意し、部屋へと戻っていった。
 そんな彼女を見て、シリルはクスクスと笑っていた。

「随分手慣れているんですね」

「まぁね。教会にいた頃は、なかなか寝ない子を寝かせるのも私の仕事だったし」

「通りで」

 納得したらしく、シリルは微笑みながら頷いた。
 ロゼッタは自分の席に座り直し、残りのスープを喉に流し込んだ。大分冷えて生ぬるい。だが一気に飲むのは丁度良かった。

 彼女が食事を終えたのを見計らい、シリルは話を切り出した。

「……ところで、今晩の話になるのですが」

「何かあるんですか?」

「我々だけの晩餐会があります」

「ばんさん、かい……?」

 普段使い慣れない単語にロゼッタは停止した。頑張って考えても、晩餐というのは農民には縁遠い夕食に思える。
 となると、彼女が一番心配なのが食事マナーについてである。平民と貴族の食事マナーが到底同じとは思えない。

「シリルさん……私、全然マナーとか分からないんですけど」

「あぁ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。左程堅苦しいものじゃありません。所謂、顔合わせ会です」

「顔合わせ……?」

 つまり、誰かと会わなければならないという事だ。

「まだロゼッタ様に紹介していない教師が二名います。その二名と私とアルブレヒト、リカード、そしてロゼッタ様の六名で食事するんです」

 どうやら半数は見知った人物の様だ。残り二名は知らない人物であろうが、これなら変な緊張もない。
 良かった、とロゼッタは胸を撫で下ろした。

「時間があれば陛下も来るらしいんですが……」

「え? お父さんも……?!」

「えぇ。ですが、陛下も忙しい方です。こちらまでいらっしゃるかどうか……」

 彼はこう言っているが、要は来る可能性は低いという事だ。あまり期待しない方が良い、とシリルは言う。
 確かに父親に会えない事は、ロゼッタも残念だと思った。だが、彼女は溜息を一つだけ吐いて言った。

「しょうがないわ、仕事じゃ。それにまだ会う機会は沢山あるもの……今度で大丈夫よ」

「偉いですね、ロゼッタ様は」

「そう? まぁ、本当は早く会いたいわ。でもお父さんはお仕事頑張ってるみたいだし、邪魔しない方が良いかなって」

「多少は我儘を言っても良いのに……」

 そう言ってシリルは苦笑した。
 ずっと彼女と旅をして思っていたが、彼女はあまり欲が無く、我儘も言わない。育った環境のせいかもしれないが、王の娘の割りには無欲過ぎて驚いた程だ。

「我儘はダメってシスターが言っていたわ。それにこんなに大きな城に住めて、美味しいご飯が食べられるんだから、これ以上我儘を言ったら罰が当たっちゃう」

 おどけて彼女は言う。だが、本気らしい。これ以上は望まないと彼女は言っている。

 ふと、シリルは彼女が王になったらを考えた。
 彼女ならば、とにかく私利私欲で動く王にはならないだろう。彼女の異母弟とは違って。だが、その場合彼女はどんな王になるのか。欲の無い彼女は何をするのか。ある意味、彼はそこに興味を抱いたのだった。


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