15
ロゼッタは全然違う、と思った。
彼女が魔術を使った時の空気と、今リカードが魔術を使おうしている空気には大きな差があった。
ロゼッタの時は空気が震動しなかったが、今は激しく震動している。
「 放つは幽寂せし天刑
我散らすは紅雪
その力落然するは愚者なり 」
低い声が風に溶ける様に流れる。
まだ詠唱は途中だというのに、既に周りの空気の温度が異常な速さで上がっていた。
それと同時にリカードの剣に筋の様に何かが浮かび上がってくる。文字は読めないロゼッタだが、その文字は町で見たアスペラルの文字にそっくりだった。
文字は剣の上を蛇が這う様に、刃の上で怪しく赤く光る。それは徐々に刃を埋めていった。
「 燃ゆるは灰塵 紅蓮の抱擁
絶するは凄烈の炎魃
告げよ汝が名を 」
一層剣の文字が赤く光り、焔を発し始める。それは溢れ、収まりきれない程まで燃え盛っていった。
ロゼッタの頬を風が撫でるが、熱された空気は酷く熱く、肺に入った後もむせ返りそうだった。だが、彼女は決して一歩も歩けない。リカードの後ろ以外へ逃げるのは、ひどく危険だと本能的に分かっていたからだ。きっと今いる場所が一番安全だろう。
「アル、一度そこを退け……!」
「……うむ」
焔纏う剣を構えながら、リカードは未だ戦うアルブレヒトに叫んだ。このままでは彼をリカードの攻撃に巻き込みかねないからだ。
すぐに状況を察したアルブレヒトは、素早く後方へ下がっていった。
リカードは彼が下がった事を視界の隅で確認すると、すっと息を吸った。
そしてルデルト家の男達を見据える。
魔術が来ると悟ったルデルト家の男達は、彼らもまた撤退しようとした。だが、既に遅かった。リカードの詠唱は完了してるのだから。
「喧嘩売った相手が悪かったな……!」
「なっ……!!」
そしてその場でリカードは剣で凪ぎ払う。
剣圧の代わりに、彼の剣からは纏っていた焔が意志を持った生き物の様に、ルデルト家の男達目がけて飛び、飲み込んだ。
男達は魔術で防ごうとしたものの間に合わず、結局為す術はなかった。
赤い焔が轟音を上げ、辺りを焼き尽くす。土も草も木々も、一帯が黒く焼け焦げていた。
勢いを増した焔は、まさに天まで届きそうなほど燃え上がっていた。
「これで粗方片付いたな……」
「うむ。お疲れ」
リカードは剣に付いた血を払うかの様に、まだ少しだけ付いている焔を払った。そして剣を鞘に収める。
鞘に収めると周りの焔は勢いが弱っていき、すぐに姿を消していった。
そして平然と二人は会話を交わし始める。だが、ロゼッタは口から言葉が出てこなかった。
自分が使ったのとは違う、威力の高い魔術に凄さを感じながらも、彼女は少し恐れを抱いた。下手したら彼女さえ威圧感に飲まれてしまいそうである。
「ロゼッタ様?大丈夫?」
喋らない彼女を気遣うアルブレヒト。彼女は小さく頷いた。
「……大丈夫よ」
「おい、話は戻すが……どうして来た?戦えもしないのに出てくるな」
どうやら随分前の話に戻すらしい。あんなに怒鳴り合ったというのに、リカードはロゼッタが出てきた理由をまだ聞こうとしていた。
その表情からは、未だ怒りは消えていない様だ。
だが、ロゼッタはじっとリカードを見上げた。
「あんた……馬鹿じゃないの?」
「な?!」
「人を助けるのに、いちいち理由を聞くの?戦える、戦えないの前に普通は助けるでしょ」
さも当然の様に、腰に手を当ててロゼッタは言う。
「誰も助けて欲しいなどと言っていない」
「囲まれてたくせに……」
「あれ位本気出せば片付けられる。森だから躊躇していただけだ」
リカードが魔術を使うのは躊躇していたのも、また事実。森の中での火系魔術は本来なら危険なのだ。
リカードはすぐに彼女が反論してくると思った。だが、意外にも出てきたのは反論以外の言葉。
「でも、結局リカードに助けられたわね……ありがとう、リカード」
アルブレヒトと約束した、リカードとの歩み寄り。少しずつ実践していく為、またこれから共に生活していく為、ロゼッタは彼に礼を言った。
助けられたのも、これで二回目。一回目の時も言っていなかったので、彼女はそれを含めて礼を言ったのだ。
「はぁ……調子狂う。それに気味悪い。気持ち悪い」
「失礼ね!折角謝ったのに!」
「うむ。ロゼッタ様に無礼。謝罪」
「うるさいぞ、ガキ共……」
小動物の様に周りでうるさい二人に、リカードは溜息を吐いた。先程までは彼女に対し怒りなどの感情があったのだが、今は既にそんな感情も鳴りを潜めていた。
勿論、彼女が王となるのを認めたわけではない。
だが一応歩み寄ってきたらしい彼女に、自分も大人なのだから、という意識が芽生えていた。
「……分かったから、俺が悪かった。だから、そろそろ行くぞ。シリルが待ってるだろ」
「うむ。シリル探してる。早く合流する」
散々忘れ去られていたシリルだが、今頃彼もリカードを探してるはず。早く無事を知らせに行かなければならない。
さっさとリカードは歩き出す。アルブレヒトも行こうとするが、ロゼッタがまだ立ち止まっていたので名前を呼んだ。
「ロゼッタ様」
「え、えぇ、今行くか……」
行くから、と答え様として彼女の言葉は途中で止まった。
気が付いたら彼女の身体は傾いていた。地面に向かいゆっくりと倒れていく。
何とか自力でどうにかしようにも、彼女は自分の身体を動かす事が出来ずにいた。
「ロゼッタ様……?!」
(……何?身体がだんだん重くなって……)
背中に体力の鉛を置かれた様な感覚だった。倒れていく身体と共に、ロゼッタの意識は暗い闇へとのめり込んでいく。
そしてアルブレヒトに受けとめられる頃には、意識を手放していた。
少し先を歩いていたリカードだったが、騒ぎにはすぐに気付く。異変を感じ取り、すぐさまアルブレヒトに駆け寄ってきた。
「どうしたアル……!?」
「わ、分からない……いきなり、ロゼッタ様倒れた」
おろおろしながらアルブレヒトは状況を説明した。
リカードは眉を寄せ、アルブレヒトの腕の中のロゼッタを覗き込んだ。瞼が閉じられたまま、開く気配を見せない。
「おい、どうした!?おい……!ロゼッタ……!」
そして、物語は新たな舞台へ――
3幕end
(15/17)
prev | next
しおりを挟む
[
戻る]