28
脱げたローブから現れたのは線の細い優男。二十代前半といった所か。少し伸ばした髪はアッシュグレイで、瞳は黒。見た目はごくごく平凡な男性だった。
そこら辺の道端に居たならば、単なる町民にしか見えないだろう。勿論、それが暗殺に生かせているのだろうが。
「……助かった、リカード」
ごほっと咳を一つして、口元の涎を拭ったこの隙にアルブレヒトは体を起こした。
薄暗い中で最初は誰か分からなかったが、声で判別がついたのだ。リカードはこくりと頷きながらも、相手から鋭い瞳を逸らさなかった。
一方、彼が射抜く様に見つめる刺客の男は怒気を露わにしていた。邪魔をされた事か、それともローブを斬られた事か。
しかし怒りを表しているものの、刺客の男は二本のナイフをさっさと仕舞ってしまった。
ナイフを仕舞ったからと言って、投降する様には一切見えない。
「……黒獅子、リカード=アッヒェンヴァル。現騎士団長のアッヒェンヴァル家嫡男。一昨年の御前試合では優勝。属性は火。剣技にも魔術にも秀でていて、王からの信頼も厚い」
ずらずらと報告書を読まれているかの様だ。この男はアルブレヒトの事を知っていると言っていたが、どうやらリカードの事も知っているらしい。
チッとリカードは苛立たしげに舌打ちをした。
ルデルト家側も無駄に二ヶ月を過ごしていなかったという事だ。この二ヶ月で調査をして、誰が姫君の護衛をしているかは見当はつけているのだ。
「二人相手じゃ分が悪いな……じゃあね」
相手とて馬鹿ではない。二人相手では無事では済まない事が予測出来る。しかも片方は武勇に名高いリカードだ。
それに目的である姫君の居場所も分からない。存在がバレてしまった以上、刺客の存在意味が無くなってしまうのだ。
最終的に刺客の男は撤退する事を選んだ。踵を返したと思ったら、一目散にガラス戸からバルコニーへ。そして、そこからひらりと器用に飛び降りていった。
「おい! 待て!」
普通ならばここは飛び降りられる高さではない。リカードは急ぎ追い掛けてバルコニーから身を乗り出して下を見下ろすが、目を凝らしても姿は確認する事が出来なかった。しんと静まり返った闇だけだった。
リーンハルトであれば風の魔術を使って追い掛けられただろう。しかし、リカードには器用にバルコニーから飛び降りる術は持ち合わせていない。
「リカード……どうする」
「とりあえず下に降りるぞ……! ロゼッタの事は…………ハルトが近くに居る筈だ。心配ないだろう」
刺客や暗殺の対処ならばリーンハルトが一番場数を踏んでいる。彼がロゼッタの近くで控えている限り、最悪の事態にはならないとリカードは言い切る。
先にすべき事は逃げた刺客を追う事。
行くぞ、とリカードとアルブレヒトは深夜の離宮を駆けた。
一方ロゼッタの部屋を脱した刺客は、離宮の外を音を立てずに疾走していた。
見張りは居るが上手くかわしていく。今まで暗殺業を生業にしてきた彼には手慣れたものだ。
しかし気分は最悪である。警備が手薄な離宮での姫君の暗殺など、簡単な仕事だと思っていた。だが、結果は読まれていた。
(何が簡単な仕事だ、だよ……)
脳裏に浮かぶのは依頼主の姿。と言っても、彼が会ったのは本物の依頼主ではない。その代理人を名乗る男だ。
治安の悪い区域にある酒場にて彼が酒を飲んでいると、ローブを目深に被った大男が訪ねてきた。こういった稼業の者に依頼するのは皆様々な理由があったり、身分があったりする者もいる。顔を見せないのは珍しい事ではなかった。
代理人の男は何箇所か×印を付けた地図と資料と前金を置いていった。姫君の居場所は見当はつけているものの、確定はしていないという事だ。
少々面倒そうだと思いつつも、その代理人の男は前金をたっぷりとはずんでくれた。
断る理由は何も無い。男は依頼を快諾した。
(まさか、最要注意人物の黒獅子に見付かるとは)
資料には姫君の護衛にあたっているだろうと思われる人物。資料に載っていた王の元側近や文官、宮廷魔術師、女使用人辺りは問題無いだろうと踏んでいた。
しかし軍師、騎士団長は骨が折れる。二人共国内では有名だ。特に騎士団長相手に暗器では分が悪い。会わないようにして仕事を完遂しようと思っていた矢先、出会ってしまった。
とにかく今日は一時撤退し、態勢を立て直すしかない。
城壁が見えてきた。あそこを飛び越えれば人先ずは安堵していい。だが、男はぴくりと眉を寄せると立ち止まり、袖から出した短剣を数メートル離れた木に向かって放った。
「…………それで気配を消しているつもりなのか」
小気味の良い音を立てて短剣は木に刺さった。男はしばし険しい表情でそちらを注視していると、木の陰から諦めた様に一人の黒髪の男――ローラントが姿を現したのだった。
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