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結局、アホらしくなったリカードがグラスを諦める形で二人の喧嘩は幕を閉じた。
ロゼッタとリーンハルトが花壇に腰掛け、その近くでリカードは立っている。傍から見れば不思議な光景に違いない。
よくよく考えると、この三人だけでいるというのは初めてかもしれない。いつもならここに、シリルかアルブレヒトがいるからだ。リーンハルト曰くシリルは仕事中らしいので、彼がお茶を預かったらしい。
しかし、一番近い筈のアルブレヒトに至っては彼女は居場所すら知らなかった。確かに昔は離宮は安全なのだからもう少し自由にして良いと言った。そのせいなのかは彼女は知らないが、アルブレヒトは時折ロゼッタの側を離れる事が多くなってきた。
今日もロゼッタの訓練中は「私用」で側を離れているらしい。
いつも側にいた彼がいないのは不思議な感覚であり、正直背中が寂しく感じる。アルブレヒトが後ろに控えているのが、当たり前の光景だった。
(だけど、アルに聞いても答えてくれる気がしないし。それにシリルさんとは見守るって約束もしちゃったし……)
私用という事はもしかしたら好きな事をしているのかもしれない。それを考えると、邪魔をしてはいけないという気持ちもあった。
「……さん……お嬢さん……ロゼッタお嬢さん?」
「え、あ……な、なに? ハルト」
深く深く思考してしまったようだった。リーンハルトの呼び声にはっと我に返って彼を見ると、彼は心配そうにロゼッタを覗き込んでいた。
「あれ? 俺の話聞いてなかったっぽいね」
「ごめん、つい考え事してたわ……」
「じゃあ最初から話し直すね。先日の誘拐犯の件だけど」
彼の言葉を聞いて、ロゼッタは体を硬直させる。
当然といえば当然だが、久々に出た街に浮かれて誘拐未遂に遭った話はリーンハルトにしっかりと届いているようだ。しかもリカードとリーンハルトが揃っている。これは二人に説教コースだろうか、と身構えた。
それに気付いてか、リーンハルトは苦笑した。
「ちょっとちょっと、注射を怖がる子供のような表情は止めてね、ロゼッタお嬢さん。シルヴィーが褒めてたよって話だよ。お望みなら、説教の一つでもしたいくらいだけど」
「お父さんが……?」
父の話が出ることはたまにあったが、父がロゼッタを褒めたという話は初めてだ。父に優しげなイメージがあるものの、褒められたというのはむず痒くもあり素直に嬉しかった。
「ロゼッタお嬢さんのお陰で奴らの勢いは止まったわけだし、一人逃げちゃったけど実質攫い屋は解体。助かったって」
「で、でも捕まえたのはローラントよ?」
誘拐未遂の話が父に届いているという事は、ローラントが捕まえた事も伝わっている筈だ。
「……あの人間は言わばお前の部下だろ。奴の働きはお前の働きでもある」
相変わらずローラントの話を出すとリカードは途端に不機嫌になる。
そんなものなのか、とロゼッタは少し納得できないものの「そうなのね」と適当に相槌を打った。本当に今でも慣れない世界だと思う。ローラントのお陰なのにな、とロゼッタはぼんやりと思いながらコップの中身を飲み干したのだった。
「そういえば、ノアの調子はどう? 俺、三日見てないけど元気なの?」
中身が空になったロゼッタのグラスにお茶を注ぎながら、リーンハルトは尋ねた。
ロゼッタとリカードは顔を見合わせ、二人共渋い表情を浮かべる。ノアが元気なのかと聞かれると正直二人には分からないのだ。アルブレヒトづてで「大丈夫」だとは聞いたのだが、二人もノアを三日見ていない。
部屋に籠っているのは分かっている。しかし、出てこようとしない。
「よく分からないのよね」
「ああ、出てこようとしないらしい。もう三日も毛布に包まって蓑虫状態だそうだ」
「なに? 冬眠でもする気なの?」
二人の話を聞いてリーンハルトは困惑の表情を浮かべた。
*** 気だるさと共に目が覚めた。
毛布の中から部屋を見渡すと相変わらず雑然として、暗くて、長時間ついたままの暖炉で暑いくらいだった。だけどそれが安心した。
あれから三日が経ったのはアルブレヒトを通じて知っている。あれ以来憑物が落ちたようで体が軽くなったものの、不思議な事に外に出る気が全く出なかった。
まだ夢を見ているような、ふわふわたとした心地と言っていいのだろうか。気付けば呆然としていて、あの時を何度も振り返っていた。
思い出すのは彼女ばかり。
彼女の手の感触を思い出して自分の手を握ってみても、空を握るだけだった。
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