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リカードの手に自分の手を乗せると、引っ張られるように下ろされた。しかし力で無理矢理ではなく、まるで一瞬宙に浮いた様に錯覚させられる程優美な動作だった。
地面に足がつくと、やはり安心した。馬上は怖いものの目線が高くなり気持ちいいが、地に足がついていると安心感がある。
「あ、いたいた」
まるでタイミングを伺っていたかの様な頃合いだった。
地面に降り立ったロゼッタが振り向くと、珍しくシルバーのトレーを持ったリーンハルトが二人に向かって歩いてきていた。
午後からリーンハルトのダンス講座がある為、朝から彼がいたのは知っていた。しかし、こうしてリカードの授業中にこうして来るのは初めてである。
「あら、リーンハルト」
横でリカードが「げっ」とあからさまに嫌そうな表情を浮かべているが、ロゼッタは見て見ぬ振りをした。彼の気持ちもわからないわけでもない。リーンハルトが登場すると、大抵ろくな事がないからだ。
「シーくんが休憩にって冷やしたお茶用意してくれたよー」
リーンハルトは笑顔でトレーを少しだけ掲げた。
「本当? 丁度休憩しようと思っていたら嬉しいわ!」
こういう所はシリルもリーンハルトも気が利く。それに乗馬にずっと集中していたせいか彼女は喉が渇いており、とても丁度良かった。
リーンハルトに寄ると、彼から硝子のグラスを受け取った。
彼の持つトレーの上には褐色の甘い香りのお茶が入った硝子製の水差しと、グラスが更に一つ。小さい小皿には可愛い花の形をした砂糖菓子が乗っていた。
「おいしー。生き返るわ……」
グラスの中身を一気に仰ぎ、ロゼッタはようやく一息ついた。冷たくて甘味のあるお茶は疲れた体によく染み渡った。
砂糖菓子も一つつまんで口の中に放ると口の中で柔らかく溶ける。
後でシリルさんにお礼を言わなきゃ、とロゼッタは嬉しげに笑った。
「お前にしては気が利くな」
リカードはトレーの上にあるもう一つのグラスに手を伸ばした。
しかし、寸前の所でひょいとリーンハルトに避けられてしまい、リカードの手は空を切った。
リカードとリーンハルトは互いに視線を交わす。リカードは戸惑った表情を見せ、リーンハルトに至っては不思議そうな表情をしている。
「これ、俺のグラスだよ」
「待て……この流れだと、訓練の相手をしていた俺のグラスじゃないのか?」
リカードとて喉は渇いている。しかもロゼッタの訓練の相手をしていたのは彼なのだから、リーンハルトの持ってきた二つのグラスのうちもう片方は自分のものだと思うのは当然だった。
はて、とリーンハルトは可愛こぶった様に小首を傾げる。
「違うよ。ロゼッタお嬢さんとお茶をしようと思ってロゼッタお嬢さんと俺の二人分。ごめんごめん、リカードの分忘れてた」
「おい!」
悪意があるとしか思えない彼の言動に、とうとうリカードは怒鳴る。あはははと表情だけは爽やかにリーンハルトは笑うものだから、更にそれがリカードの感情を逆撫でしていた。
ロゼッタは近くの花壇に腰掛け二人をの会話を聞いていたが、アホらしくて止める気も起きなかった。
いや、こんな会話二人にとっては日常茶飯事。じゃれあってるだけなのだろう、とロゼッタは呑気にお茶を飲み込んだ。
「お前はいつもいつも……それ絶対わざとだろ!」
「まさかー。シーくんがお茶をどうぞってグラス二つ分渡してくれただけだもん」
「大の男が『もん』とか使うな気色悪い! というか、シリルは確実にこいつと俺の分を考えて二つ渡したんだろうが!」
大の男二人が庭で、たった一つのグラスを巡って言い争っている様もどうかとロゼッタは思う。お茶をちびちびと飲みながら、どうしたものかと逡巡した。
放っておいても別に構わないのだ。ロゼッタに被害が来る事はないから。ただ、見ていて可哀想なのと煩い。
しょうがないと思いながら最善の方法を考えた。
そして、思い出すのが孤児院でもあるオルト村の教会に居た頃の事。とある男の子達二人が物を取り合って喧嘩していた事があったのだ。その時にシスターが取った行動をロゼッタは思い出してみる。
そうだ、とロゼッタは立ち上がった。
「二人共やめなさいよ。二人で仲良く一つのグラスを使えばいいじゃない」
「アホか! 何が悲しくて男二人でグラスを共有しなくちゃいけないんだ……!」
「うん、俺もそれは嫌だ」
リカードは全力で拒否。リーンハルトは静かだったが、真顔だった。
あっけなくロゼッタの作戦は失敗したものの、二人の争いはようやく止まったのだった。
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