23
*** あれからどれ位時間が経ったのか分からないが、しばらく泣き続けていたロゼッタの涙もようやく止まった。
長く感じたものの、然程時間は経っていないだろう。僅かな気まずさを感じながらもロゼッタが面を上げると、ノアの深緑色の瞳と目が合う。ずっと彼の肩に顔を埋めて泣いていたという事実もあり、ロゼッタは「えっと」と視線を泳がせる。
「か、勝手に泣き出したり、怒ったりして……ごめん、なさい」
ロゼッタの言い分はあれど、ノアとて色々な事情があったのだ。彼女は一方的に言い過ぎた事を少し恥じた。
ノアからは嫌味の一つは言われるだろうと彼女は身構えるが、一向に何も来ない。
ちらりと上を見上げるとロゼッタなど無視し、ノアは自分の両手を見つめていた。
「ノア……?」
不安そうにロゼッタが彼を見ていると、彼は「なんでもない」と一言だけ呟いた。
だが、自分の手を見つめているノアがとても印象的で、それでいてその姿が儚くて。ロゼッタは両手を伸ばしてノアの両手を掴んだ。
今掴まなければ消えてしまう、そんな事を思ってしまったのだ。
「なに?」
突然両手を掴まれたノアは面食らった様にロゼッタを見返した。
「今からでも遅くないと思うの」
彼女は泣いている間ずっと考えていた。彼の過去を、思いを、全部。
「ノアはもう、あの時みたいな子供じゃないでしょ」
薄暗い箱内でも分かる程まだ充血している水色の瞳で、ロゼッタはノアを見上げてくる。先程とは打って変わり凛とした、意志の強い瞳。ノアは目を逸らせなかった。
ぎゅっと握られた両手は温かい。ノアの手よりも二回りは小さく、武器なんて知らない柔らかい手だ。
ノアよりずっと頼りない手の筈なのに、彼には今までで一番何かを思い出させる手だった。
「それに、今回は私もいるわ。私が、ノアを絶対に助けるからね」
ノアは目を見開く。
いつもなら鼻で笑ってしまう内容だった。やってみれば、と適当に流してしまうだろう。
だが今だけは、ノアには特別にも聞こえる言葉。ずっと、人攫いから攫われた子供の時からずっと待ち望んでいた言葉だ。本当は欲しくて欲しくて、でも絶対に手に入らないと知っていたからこそ押し殺した。
助けてくれる人はいないと知っていても、ずっと助けて欲しいと望んでいた。
本当はずっと両親がいつか来てくれるのではないだろうか、という淡い期待を抱いていた。
欲しかった言葉を掛けてくれたのは思っていたより違う人。だが、こういう時に人は心が打ち震えるのだろう。今まで知らなかった感情が胸を占めていくのがノアでも分かった。
「……どうして」
「?」
顔を伏せて呟くノアに、ロゼッタは首を傾げる。そして意外にも彼の手はロゼッタの手を強く握り返し、離そうとしなかった。
手を握るのを拒否されるかもしれないとすら思っていた。
「僕を助けて、何か利益でもあるの?」
か細い声で彼は尋ねてくる。
最初はきょとんとした表情のロゼッタだったが、言葉に出さなかったものの馬鹿らしい質問だと思った。
ノアらしいと言えばノアらしいのだが、正直その考え方は歪んでいると思う。
「……そうね、良いことはあるわよ。ノアを助けたら、二人で生きて離宮に帰れる。私にとってとっても重要で、利益あることよ」
だから二人で離宮へ帰りましょう、そう言ってロゼッタは笑っていた。
きっと彼女は気付いていないだろう。ノアが欲しかった二つのものを彼女は無意識に与えてくれた。先程のずっと欲しかった言葉と、帰る場所を。
檻の中に居た時からずっと自分の帰る場所は無いと思っていた。離宮の地下は気に入っていたが、帰る場所だとは考えた事がなかった。
あの場所も帰る場所の一つだと考えると、今までよりずっとあの地下室が恋しく思えた。
「……うん、かえりたい。僕も、姫様と、帰りたい」
その時初めてノアの本心をロゼッタは聞いた気がした。
うん、と頷いて彼女はノアの手を強く握ったのだった。
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