アスペラル | ナノ
21


 きっとノアだったら、人の過去を聞いたとしても「ふーん」の一言で終わる気がする。
 しかし目の前のロゼッタは違う。どうして人の事に対して泣けるのか。
 それに、あの時もそうだ。アルセル王に捕まった彼女を連れて王都ベルシアを駆けて逃げた時、ノアはわざと彼女から離れた。離れたといっても少し遠くから彼女の様子を見つつ、死なない程度に「危険な目」に遭わせようと思ったのだ。魔術を見る為にという自己中心的な考えで、だ。
 だが、ノアと無事に再会した時のロゼッタはノアを見て安堵していた。それに知らなかったとは言え、彼女は喜んでノアを迎えてくれた。
 何も知らない彼女が滑稽でもあり、不思議とノアは何と言って良いのか判らない感情が積もった。今もその感情は判らず、消化もされていない。機会があればいつか尋ねようとは思っていたが、未だにその機会は得られていない。

「……姫様が泣く必要ないと思うんだけど」

 他人であるノアの事でどうして泣けるのか。呆れた溜息を吐きながら、不可解そうにノアは眉を寄せる。前も今日も、彼女の行動は全てがノアには判らないのだ。

「だって、ノアが……引き篭もりで、ひっく、魔術オタクで、変質的なのは、そんな経験からなのでしょ……?」

「憐れんでるのかよく分からないね、それ」

 てっきりロゼッタが泣いているのはノアに対して「同情」しているからだと思っていた。しかし、彼女の口から出るのは容赦無い言葉で本当に泣いているのかノアは首を傾げたくなった。
 すると、ロゼッタは「憐れんでないわ」と首をぶんぶんと横に振る。

「わ、私が泣いてるのは……ノアに、気の利いたこと一つも言えない自分に苛立って、何も出来ない……子供のノアに酷いことした人達も、ノアも……腹立たしいって思ってるからよ……!」

「……僕にも?」

 憐れまれたり、同情されたりするなら分かるが、腹立たしいと言われるのも初めての経験だ。
 更にぼろぼろとロゼッタの瞳から涙が溢れる。
 泣いてる女の子を慰められる様な器用さは持ち合わせていないノアは、ただ呆然とその目を見てるしか出来なかった。

「何が『どうでもいい、昔のことだし』よ……! 一番気にしてるのはノア自身でしょ……!」

「だから、僕はこの事はどうでもいいわけで」

「どうでも良くないわよ……! 本当は無意識にでも気にしてるくせに! 無自覚のあんぽんたん……!」

 わあああん、とロゼッタは堤防が決壊したかの様に泣き出した。
 十七にもなって大人気もなく子供の様に泣き出すものだから、ノアもどうしたらいいのか分からず狼狽えた。手を伸ばしてみても、いらないと言わんばかりに彼女に手を叩かれて終わった。

「気にしてなかったら……自分の過去思い出して嫌な気分になったり、寝言で『お母さん』って言ったりしないわよぉ……!」

「…………」

 多分ノアは感情を押し殺し過ぎた。自分でも分からなくなる程に。
 本当は「人並みのもの」が欲しかったのではないだろうか。当たり前に享受されるものが、彼は欠落し過ぎている。それは親の愛情だったり、平穏な日常だったり。欠落したものであり、彼が心の奥底で欲しがったもの。
 だが、逃げようと思えば逃げられたのに、決して逃げなかった臆病なノア。そんな彼にもロゼッタは怒りを感じた。

「逃げたかったら、逃げればいいじゃない……逃げ場所が、無いなんて……怖いだけの、言い訳でしょうがっ……!」

 わんわん泣き続けるロゼッタ。
 ノア自身でさえ、今自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

「そ、そもそも……逃げ場所も、居場所も、自分でつくればよかったじゃない……ノアのばかぁ」

 目は真っ赤に充血して、袖はずぶ濡れだった。

「はぁ、こっちが泣きたいよ……」

 駄々っ子になったロゼッタの対処に困り果て、そう呟いて溜息を吐いた。
 しかし乾いたノアの瞳からは涙など出てこない。今も昔も、もう十何年も泣いた事はない。ふと、目の前で泣いてるロゼッタを見て、こんな風に泣ければ良かった、とノアは思う。
 もう泣けない彼だが、目の前でこんなにもロゼッタが大泣きしてくれているので、自分の代わりに泣いて貰ってる気分になった。
 自分を悲しいなんて思わなかった。思おうとは思わなかった。そんな事を考えてしまえば、現実を受け入れる事と同じだったから。

「シスターが……私の、育ての親が、ね」

 ロゼッタがまた話し出したと思ったら、ノアの肩に温かい何かが当たった。
 見ると彼女がノアの肩に顔を埋めている。じんわりとした人の体温の温かさや喋る時の振動、息遣いが鮮明に肌を通して伝わる。普段なら人にこんなに密着されるのは嫌いだった。幼少期の体験から、他人には触られる事があまり好きではない。自分から触れるのも抵抗がある。
 まだノアから自発的に触れる事は苦手だが、ただ今は、彼女に触れられてる部分が嫌ではなかった。
 素直に、温かいと思った。

「嫌なこと、悲しいこと、辛いことがあったら、泣きなさいって。大きな声で泣けば、邪悪なものも逃げていくって」

「……そう」

 人間が創り出して崇拝する神様に興味はない。そんな都合のいい話があるわけがないとノアは思いつつ、じっと黙っていた。

「ノア、泣くの下手そうだから……私が、代わりに泣いてあげる」

 そしてロゼッタはノアの代わりに泣き続けた。まるで、何年も押し殺したノアの感情分を。
 ノアもその間黙っていた。彼女の涙が自分のものだと許容するかのように。
 空いた自分の両手を見ながら、ノアはこの手で何をどうすればいいのか、ぼんやりと考え続けた。

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