20
***「それでどうなったの?」
ノアが話す昔話を、今では一生懸命聞いているロゼッタ。まるで昔話をせがむ子供の様に続きを催促した。
先程聞く事を渋っていた彼女とは思えない。ここまで来るともう気にしていない様だ。
少し間を置いて、ノアはぽつりぽつりと続きを話した。
「結局、軍師さんと騎士長さんに保護される形になったよ。というか負けたんだよね」
「え?」
聞けば幼かったノアとアルブレヒトは、無謀にもリーンハルトとリカードに挑んだらしい。当然勝てるはずもない。少量の食事と過酷な環境下にいて痩せ細った二人が、訓練を受けている軍人に勝てるなど誰も思わないだろう。
今のノアならばすぐに判断の付く事だろうが、当時の彼らにはそんな余裕も無かった。僅かに残っていた生存本能が働いたところも大きい。
挑んで負けたノアとアルブレヒトはリーンハルト達に半ば無理矢理「保護」され、アスペラルの王都へと連れて行かれた。正確には、判断を下したのはロゼッタの父・シュルヴェステル。
「弟は保護してくれた陛下にすぐに懐いた」
「……」
アルブレヒトは陛下を尊敬していると言っていた。命の恩人故に慕っているのだろう。
劣悪な環境に居たアルブレヒトを助けてくれて、手を差し伸べてくれた人。そんな王に敬愛も忠誠も抱くアルブレヒトの心理が、ロゼッタには容易に想像できた。
これは想像にしか過ぎないが、アルブレヒトにとって差し出された王の手は何よりも嬉しかったものに違いない。
だが、ここで一つ疑問が浮かんだ。
ノアは王に仕えているとはいえ、あまり忠臣とは言えない。シュルヴェステルに対し、感謝や敬愛などもあまり感じられないのだ。
「……僕は本当にどうでも良かった。僕にとって飼主が変わった程度の話だったから」
ロゼッタの考えている事が分かったのか、淡々とノアは呟いた。
そして当時のノアは魔術に興味関心があり、元々魔力も高かった事もあった為、魔術師として城で学んで今に至るとノアは長い話を締め括った。
最後は何ともあっさりとしたもので、何も感慨深いものはなかった。それはまるでノアが感じている感情の様で、淡々とした終わりだった。
ロゼッタは何とも言えない心地になる。
ノアの今までの人生を聞き終え、何か言葉を発するべきだろうかと考えたものの、何も出て来なかった。思うべき事はいくつもある。だが、ロゼッタの今まで生きてきた道とノアの生きてきた道は違い過ぎる。
そんな彼にどんな言葉を掛けたとしても、どんな事をしても、それが薄っぺらくなる気がしたのだ。
(もど、かしい……考えても、私は何をしてあげられるかわからない)
それは可哀想に、と言葉を掛けるのは容易。
だが、ノアが欲しいのは同情でも憐れみでもないのだ。
それなのに何も出来ない自分がもどかしくて、悔しくて。ロゼッタは胸が詰まる思いだった。彼の話をずっと聞いていても、ナイフが一本ずつ深々と突き刺さっていく様に心が痛んだ。
ノアは目の前にいて、手を伸ばせば届く距離だと言うのに何も出来ない。ロゼッタにとってはノアはもう共に離宮に住む一人で、日常生活の大切な一欠片だ。伝えられる事も伝えたい事もある筈なのに一言も出て来なかった。
「……姫、様?」
黙々と考えていたロゼッタが面を上げると、ぎょっとした表情のノアと目が合った。
「何で泣いてるの?」
不可解そうに、それでいて怪訝そうにノアが尋ねてきた。
ロゼッタは自分の手で顔を触ると、確かに頬は濡れていて、視界は段々とぼやけを増していく。泣いている自覚は無かったが、一度自覚すると雫は両目から止めどなく溢れた。暗がりの中ノアでも気付く程だった。
「何でって、そりゃ……悲しい、から、じゃない……」
拭っても拭っても、袖が濡れるだけで一向に止む気配がなかった。下唇を噛んで必死に堪えようとしても効果なし。
ノアは慌てる素振りは見せなかったが、何度も「どうして」を繰り返し、不思議そうに考えるだけだった。
「僕の事なのに?」
「ノアの事だから、よ」
間髪容れずに答えたロゼッタに、ノアは深緑の瞳を瞬かせた。
自分の育った村が戦争に巻き込まれたかもしれないと思った時、彼女は泣かずに国へ戻ると決心した様な人だ。そんな簡単に泣くとは思ってもいなかった。ノアにしてみれば、ただ、過去を聞かせただけだというのに。
この話で涙を浮かべてくれた人は初めてだ、とノアは純粋に不思議に思ったのだった。
(20/29)
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