アスペラル | ナノ
19


 した事はなかったが「もし」を想像した事は何度もあった。
 ノアを捕らえているのは変哲もない檻だ。魔術で壊せるかもしれないと考えた事は何度もあったし、実際ノアの魔力ならそれは可能だった。魔術の教養は無いと思われているかもしれないが、その実ノアには一つだけ覚えている術がある。多分、身を守る為に親が教えてくれたものなのだろう。
 また、昔ノアを買っていた貴族の一人が偶然手にした魔族の本を、気まぐれにノアに与えた事がある。人間には読めなかった様だが、それは魔術の指南書。字はほとんど知らなかったが、ノアは独学で読んだこともある。
 知識は少ないが、魔力は充分。ノアに足りないのは一歩を踏み出す覚悟だけだった。
 しかし檻の外に出る気も、出る勇気も無かったノアは今まで想像だけに留めていたのだ。
 前の前の子供はまるでノアが、そんな妄想をしていたのを知っているかの様に真剣な眼差しで見つめている。その瞳が容赦なくノアを抉った。

「のあ……」

 子供が彼の名前を呼ぶ。刻一刻と彼らの近くに炎が迫っている。
 だがノアはまだ決断出来なかった。外に出る事すら出来ない程、彼は臆病だったのだ。外が怖くて怖くて仕方がなくて、炎に身を委ねてもいいと思えてしまえる程に感覚が麻痺していた。

「でも、僕は……」

 刹那、テントの一部が爆風で吹き飛び大きな穴を開けた。
 熱風が二人を襲うものの、直撃は免れる。腕で破片を防ぎながら、ノアは穴が開いた部分を見遣る。今のはどう考えても自然のものではない。何かの力を外側から加えられて故意的に開いた穴だ。
 ノアは表情を険しくした。

「……おいっリーンハルト! 今のは力強過ぎるだろうが! 加減しろ!」

「はぁ、それはこっちの台詞。元はと言えば、リカードお坊ちゃんが力加減しっかりしてればここまで大規模な火災にはならなかったんだけど?」

 炎が爆ぜる音だけが響いていたテント内に轟音が聞こえたかと思えば、大穴から二人の人影が姿を現す。二人の騒がしい声が、場違いな程に辺りに響く。
 ノアは身構え、子供は檻を力強く掴んだまま檻の背に隠れるようにして二人を見つめる。この状況からして、味方とは思えない。
 入って来たのは金髪長身の男に、少し少年の様な表情を残した黒髪の青年。見世物小屋の関係者ではなかった。むしろ、二人には見覚えのない二人組だった。
 ノアは身動きしないまま、入って来た二人組を観察した。

「リカードお坊ちゃん、本当に子供がこっちに来たの? 見間違いじゃなくて?」

 金髪の男は半信半疑の瞳を、もう片方の黒髪の青年を向ける。まだノアと子供には気付いていない様だった。

「だからお坊ちゃん言うな……! 子供は絶対に見た。小さい子供がこっちに来た筈だ……今回は人間だろうが魔族だろうが、子供は保護するのが仕事なんだろ」

 そう言う黒髪の青年の手には剣が握られていて、刀身はゆらゆらと揺れる炎を反射していた。
 彼らが見た子供というのは、ノアの檻の陰で縮こまっているこのセピア色の髪の子供だろう。彼らの会話を聞いていてそう憶測は出来た。
 しかし「保護」という単語の意味がノアには分からない。ここで捕まれば、また売り飛ばされるのではないだろうか。そもそも助けてもらう理由もない。
 信用出来ない、とノアは一層表情を険しくした。

「というかこんな所で油売ってるより、俺は早くシルヴィーの元へ行くべきだと思うけどね」

「ふん、だったらお前一人で先に行けばいいだろ」

 黒髪の青年は機嫌が悪そうにずかずかとテントに踏み入ってくる。その二人は仲間であるものの、仲はあまり良くない様だとノアの目には映った。

「だって『軍師』の俺が『新米騎士』のリカード置いてって死なせたら、色々問題でしょ。新米だから実戦経験少ないし」

「新米騎士言うな! お前とて軍師としては今回が初陣だろうが! つい先日侍従から軍師になったからって偉そうに……!」

 どうやら黒髪の青年は騎士で、金髪の男は軍師の様だ。
 ノアにとってはそんな役職などどうでもいい事だが、ただならぬ事態である事は確かの様だ。しかしもしアルセル公国の騎士であれば人間。団長は魔族不法所持で罰せられ、ノア達は魔族として処分されるだろう。
 ノアがちらりと振り向くと、セピア色の髪の子供は恐怖で震えていた。それなのに、決してノアを置いて逃げなかった。

「偉そうって言われても、実際偉いわけで……ん? リカード、あれ」

 とうとう気付かれた。ノア達を見た金髪の男は顎で指し、黒髪の青年にそれを教える。
 黒髪の青年は目を見開き、それ見た事か、と嬉しげに笑った。

「俺の言った通りだろ」

「あー、はいはい、偉い偉い。リカードお坊ちゃんは偉いね」

「何だその投げ遣りな態度は! もっと言う事があるだろうがっ!」

 まるで漫才をしているかの様なコミカルな会話だった。ノア達の目の前でそんな会話を繰り広げられても、笑える状況ではない。
 存在に気付かれたのだ、ノアとて身を強張らせながら息を呑んだ。
 死ぬのは望んだとしてもここで捕まる事は望んでいないのだ。

「さて、早速お仕事でもしようか」

 金髪の男が片手を上げた瞬間、バキンッと固い音がした。
 ノアの目の前にある格子が鋭利な刃物で切られたかの様に、綺麗な断面のまま崩れ落ちる。一瞬の出来事で、何が起きたのかノアにも後ろにいる子供にも判らなかった。鉄の棒がゴロゴロと地面を転がり、ノアはあっさりとその身を解放される。
 ただ、助けられたとは一切思わなかった。

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