18
***「それで、どうなったの……?」
「……何故かそれ以降も弟は僕の元にことある毎に来た。懐かれたらしい」
その時のアルブレヒトの心境が分からないわけでもない。
味方が一人もいない、虐げられ続けるそんな劣悪な環境下では、ようやく見付けた「同胞」であるノアに一方的な親近感が湧くのだろう。縋りたくなる、と言ってもいい程だ。九才という年齢ならば尚更。
当時のノアにしてみれば、鬱陶しいの感情しかなかった様だが。
(アルの子供時代がそんなだったなんて……)
ノア同様、アルブレヒトはあまりそういった過去を感じさせない。しかし少し世間ずれしており、子供らしくない部分もあると言えばある。
アルブレヒトと再会した時どんな表情をすればいいのか、ロゼッタには分からなかった。
「それから一年、過ごした」
語れば長くなるだろう一年。ノアはそれ以上は語らなかった。
「……当時、アスペラルでは同胞を救う活動が盛んだった。僕と弟は、国王率いる騎士団に助けられた」
遠くを見つめるノアの瞳には、あの日の「赤」が映っている気がした。
*** ノアとアルブレヒトにとっては運命の日だった。
変哲もない夜、檻の中でノアは静かに眠っていたが外の騒がしさで目が覚めた。深夜なのだから公演ではない。普段であれば、見世物小屋の連中も寝静まっている時間である。
突然の異変に上体を起こすと、ノアは目を見開いた。
いつの間にか周りに火の手が上がっていた。
「……」
最初は火事なのだろうか、と思ったが違うようである。このノアがいるテントは猛獣や珍獣の檻があるテント。元々火の元になるものはないのだ。
しかも、外は騒がしいものの、消火をしている騒ぎではない。叫び声や馬が走る音、金属音、逃げ惑う声だった。
ノアには何が起きてるのか理解できなかった。
ただ目の前が赤い。血よりも鮮やかで躍動するような赤。それに混ざる橙と黄。三色が織りなす炎の波。檻の中のノアに徐々に迫っていた。
だが、彼は逃げようとは全く思わなかった。
(……そうか、ようやく、これで……)
解放されるのだと漠然と思った。生半可な解放ではなく、完全な解放。ノアが心の底で望んでいたものだ。
それに気付いたノアは安堵した。彼は今まで生きてきた中で一番穏やかな表情を浮かべ、檻の中で凭れ掛かってそれをただ静かに待った。もう少しだ、と。
「のあっ……のあ……!」
意識すら手放しそうになっていたが、突然の声に現実に引き戻された。
見ればあのセピア色の髪をした子供が走ってきていた。ノアは子供の名前すら知らない。それなのに、その子供は炎に包まれたテントに戻ってきていた。
「……そと、こわいひと、きた。にげる、いっしょ」
檻を掴み、必死の形相で子供はノアに訴えかける。
察するに、どうやらこの見世物小屋は何かから襲撃を受けているらしい。どうにか監視を掻い潜ってきた子供は一人で逃げず、ノアの元へと来た様だ。死を受け入れようとしている彼を逃がすべく。
「…………どうして僕まで逃げなきゃいけないの。僕はここでいい。行く気はない」
正直ノアにとって子供の行動は有難迷惑というものだった。ようやく解放されると思ったのだ、このままここで死にたいと願った。
しかし、子供は目に涙を浮かべて首を横に振る。
「いっしょ……のあも。にげる……」
ノアが動かなければ自分も動かないと言わんばかりに、子供は檻の前から動こうとしなかった。
彼にはこの子供がよく分からなかった。一年前に知り合い、今に至るわけだが、親切にしてやった覚えもなければ、友人になったわけでもない。それなのに、どうしてノアにそれ程固執するのか。
ノアの生死など、この子供には関係ない筈である。
それに今この子供と逃げたところで、ノアには行く宛もない。いつも想像している通り、広い世界に自らを放り込む勇気などなかった。
「それに、僕は檻の中。鍵も掛かってる。どっちみち逃げられない」
ちらりとノアは檻の鍵部分を見た。鍵は掛かっており、持っているのは団長だけである。
「……ちがう。にげる、できる」
じっと、子供はノアを見つめた。いつも見せる怯えた瞳や同胞の存在に喜ぶ瞳ではない、心の底すら見透かす様な瞳。
少しだけノアはたじろいた。
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