アスペラル | ナノ
13


「売られた……?」

 先程のノアの譫言の意味がようやく分かったものの、彼が「売られた過去」があるという事はロゼッタには衝撃の事実。
 何かの冗談とも思えず、彼女が見開いた水色の瞳でじっとノアを見ると、彼は平然と「事実だよ」と返された。

「……意外と鈍いね、姫様。もう気付いてると思ってた」

 そしてノアは服の袖を捲った。白い腕が露わになり、二の腕まで袖が捲られた瞬間、そこに文字が書かれている事をロゼッタは初めて知った。いや、書かれているのではなく性格には捺されているのだ。それは、人間の国の文字だ。単語といよりは文字記号と数字の組み合わせで、何かの暗号の様にも見える。
 困惑した表情でロゼッタはノアを見た。
 ロゼッタは人間の国出身だが、辺境の小さな教会である意味純粋に育った。知っている筈ないのだ、こんな醜い刻印の事など。

「それは……?」

「奴隷に押される烙印。奴隷って家畜だから、個別番号で識別して管理するんだよ」

 淡々と、表情には何の感情も浮かべずにノアは話す。
 ノアがロゼッタを見てみると、彼女は言葉も出てこないといった様子だ。
 それもそうだ、ノアからしてみれば「今まで幸せにぬくぬくと育ってきた少女」が初めて奴隷というものを知ったのだから。

「どう、して……こんな……」

 ロゼッタは手を伸ばした。この狭い空間ならば手を伸ばせばすぐに相手に手が届く。彼女の指先が烙印に触れるが、文字の部分に少しだけ凹凸があるだけで、それはノアの柔らかな肌だった。文字は茶色く、擦っても落ちはしなかった。
 落書きでも何かを貼りつけたわけでもない。確かに肌に焼き付けられた痕だ。
 ロゼッタとて馬鹿ではない。これがどんな意味を持ち、どんな思いで押されるか解ってはいる。ただ、見たのは今回が初めてだが。

「どうして、ね……そんなの僕が決めたことじゃない。ただ単純に、捕まえたのが僕だったという話でしょ」

「……っ!」

 ロゼッタは服をぎゅっと握った。悲しんでいいのか、怒っていいのか、どんな表情を浮かべれば良いのか分からないのだ。ただ、彼女は純粋に哀しかった。
 ノアは相変わらず表情がない。だが、もしかしたら彼もまた同様にどんな表情をしたら良いのか分からなかったのかもしれない。

「……僕が生まれたのは、確か北西部の国境沿いにある……シグラムっていう村だったんだって」

 まるで他人事の様な口振りだった。それが一層悲しみを増す。
 ロゼッタは静かに聞いていた。

「家族はよく分からない。誰がいたのか、もうよく覚えてないかな。陛下が当時の戸籍を調べれば分かるって言ってたけど、結局調べてないや」

 興味ないから、とノアは付け加えた。

「事の発端は十七年前、先の大戦の最中だった」

 十七年前の大きな戦争はシスターのアンから教えられてロゼッタも知っている。小競り合いを何度も繰り返していたアルセル公国とアスペラルだが、時折大きく衝突した。先日のロゼッタが関わった戦争を除けば、最後に大きく衝突したのが十七年前なのである。
 両国、被害は大きかったとロゼッタも聞いている。まだ生まれたばかりのロゼッタは経験していないものの、シスターが神妙な顔付きで語り聞かせてくれた事を未だに覚えている位だ。

「当時、戦争に乗じてアスペラルに侵入する人間の一団が跡を絶たなかった。目的は大体魔族の捕獲……労働にも使えるし、金持ちは毛色の違うペットが欲しかったんだって」

 十七年前のある日、ノアが暮らしていた村は人間の一団から襲撃を受けて焼き払われた。
 そしてまだ二歳だったノアは村から、アスペラルから連れ出された。二歳だったものの、あの時の事は未だ夢に見る位ノアは覚えている。
 両親の顔も声も覚えていないのに、箱の中で訳も分からず泣き叫んだのだ。父と母を呼んだ。もしかしたら兄弟の名前も呼んだ。木の箱に爪を立て、血が出る程引っ掻いた。だが、誰も迎えに来てはくれず、気付いた時には人間の国だった。

「競売場に着いた時、僕みたいな子供は沢山いて、僕もみんなも鎖を着けられた」

 子供達はみんな怯えていたとノアは言う。もう鎖の痕など綺麗になくなった自分の手首を撫でながら、ノアは時折無い筈の鎖の感触を思い出していた。
 泣き叫んでも意味がなかった。殴られ、蹴られ、暴力という恐怖で押さえ付けられた日々だった。
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