アスペラル | ナノ
12


「でも……」

 ノアの考えが読めないのに加え、今の彼の態度は大した変化がない。変わりないからこそ聞くのが怖かった。
 勿論、気にならないと言えば嘘だ。
 何があったのか尋ねたい衝動はあるが、それは理性で抑えつけていた。

「気になるなら聞けばいいのに」

 平然とノアはそう言うが、道順を尋ねるのとは訳が違う。

「……だって、ノアは嫌じゃないの? 誰だって聞かれたくない事ってあるじゃない」

 触れてはいけない部分に触れ、相手を傷付けるのが何よりも怖いとロゼッタは思う。

「別に。だって、どうでもいい、昔のことだし」

 そう言うノアの表情と声には、一切の感情は含まれていなかった。


***



「良かった……ここにいたんですね」

 ローラントとアルブレヒトが一度別れ捜索に行き、合流した直後だった。一緒に来たはずではないシリルと広場で偶然居合わせた。
 だが、シリル本人は彼らを探していたらしく、息を切らせながら二人の元へとやって来た。

「シリル……どうしてここに」

「皆さんを、探してたんです」

 肩で息をしながら、シリルは面を上げる。そこで彼は違和感に気付いた。ローラントとアルブレヒトを見付けたので、当然ロゼッタの姿もそこにあるものだと思っていた。
 しかし、そこにあるのは二人の姿だけ。ロゼッタの姿はなかった。
 シリルは嫌な予感がしたが、そんな筈ないと不安を押し殺した。

「ロゼッタ様は……? お手洗いか何かですか?」

 この二人がロゼッタを放っておく筈もないのだから、そうであると信じたい。そうだとシリルは思いたかった。
 すると二人の表情が曇る。自分が来る前に何かがあったのだと、シリルは予感した。

「シリル殿、大変な事態になった……」

 黙ってしまったアルブレヒトに代わり、ローラントが事の発端をシリルに説明したのだった。


***



 ロゼッタとノア、二人だけの空間には沈黙が流れていた。時折隙間から聞こえてくるのは、ガタガタッと回る馬車の車輪の音。
 彼女は何も言えなかった。ノアのあんな諦めるような瞳、今まで見たことがない。

「一つ、教えてあげる。予想だけど、僕達は人攫いにでも遭ったんじゃないかな」

 ノアの深緑の目は何も映していなかった。ただ遠くを見るように、壁に凭れ掛かりながら淡々と話している。

「え……?」

 ロゼッタはてっきりルデルト家の刺客か何かかと思っていた。
 人攫いというのがどういったものかは知っているが、そんなものがアスペラルにも居るというのは初耳だった。アスペラルは穏やかで治安が比較的良いと思っていたのだから。
 まるっきり初耳だと驚いている彼女を一瞥し、ノアは溜息を一つ零した。

「アスペラルもそこまで安全だとは言い切れる国じゃないよ……たまにいるんだ、同族を売る魔族も」

「どうして……?」

 戦争で捕らえられ、奴隷になった魔族を助け出す動きは国でもあるというのに。仲間が仲間を売るという衝撃的な事実に、ロゼッタは息を呑んだ。

「……高く売れるから、それだけだよ。魔族は仲間意識が強いって言われるけど、全員が全員そういうわけでもないと思うんだよね」

 ずっとアスペラルは良い国だと思っていたロゼッタには、衝撃が強かった。これが今まで見えていなかったアスペラルの闇の部分なのだろう。
 ロゼッタは口元を押さえ、目を見開いていた。

「多分、このまま二人して国境沿いで人間に引き渡されて、人間の国連れて行かれるんじゃないかな。そして市場に出されるんでしょ。競りだから、高値を付けた人間に連れて行かれる。その先が……見世物小屋か娼館か、金持ちのペットかは知らないけど」

 淡々と、それでいてまるで間近で見聞きしたかの様な口振りだった。ロゼッタにしてみれば想像しただけで恐ろしいというのに。

「詳しい、のね……」

 それは嫌味でもなく、単に純粋に思った事を口に出しただけであった。
 リーンハルトもシリルも、そんな事教えてはくれなかった。それなのにノアがこんなに詳しく教えてくれるのは思っていなかった。
 彼にどういう意図があるのかは知らないが、ロゼッタにとっていずれ知るべき事。正直目を背けたいとは思うものの、実情を知れて良かったとは思える。
 そう思えるのは、未だ彼女にとって現実味がないからかもしれない。
 今から売られると教えられても、焦っていないのがその証拠だ。

「十七年前、僕もこうやって……売られたから」

 淡々と話すノアの横顔から、目が離せなかった。
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